異世界の彼女が僕の心を覗き込む

日比野庵

決戦

「誰です。貴方は」

 神楽耶ではなく智哉が声を掛けた。

「ふむ。君が報告にあった少年ですか」

 男はそういって、サングラスに手を掛けた。

「おや。君の中に宙の王はいないようですね。ではお嬢さんのほうですか」

 男のサングラスが怪しく光り、濃い茶色のレンズが神楽耶を映し出す。

「ほう。宙の王は、鞄の中のクレストにエミットされている……。私が渡した『クレストⅡ』とは違うようだが……」

 男は神楽耶の胸元のクレストではなく、鞄の中にしまっているミローナのクレストを言い当てた。

「宙の王の居場所が分かった以上、これはもう必要ありませんね」

 男はおもむろにサングラスを外した。そこに現れたのは、神楽耶が良く知った顔だった。

「クーマ技術主任! なぜここに」

 神楽耶が驚きの声を上げる。

「ふっ。決まっているではないですか。宙の王をお迎えに参上したのですよ。そして……」

 クーマが鼻先で笑う。

「フェリア・クレイドール。貴方を処刑するためにね」

 クーマがコートのポケットから右手を出した。その手には拳銃が握られていた。

「何の積もりなの。クーマ!」
「お嬢さん。貴方はこの世界で一生を終える筈だったのですよ。貴方に渡した『クレストⅡ』には宙の王をエミットできないように調整しておいた。六角転送基の帰りの日時も変更した。貴方は、宙の王とコンタクトもできず、帰る方法も分からないままこの世界に取り残される。完璧だと思ったのですがね」

 クーマは一息置いた。

「しかし、貴方は今、此処に居る。何故貴方が今日此処にゲートが開くと知ったのかは分からない。宙の王を別のクレストにエミットしたことも計算外だ。完璧な計画など中々ないものですね。……だが」

 そう言ってクーマは手にした拳銃の射線を神楽耶から外した。

「私は慈悲深い。素直に宙の王を封印したクレストを渡すのなら、命だけは取らないで起きましょう。ただ、この世界で生涯を送ることになりますがね。死ぬよりはいいでしょう」
「鞄にクレストなんてないの。此処に宙の王はいないわ」

 神楽耶はカマをかけた。神楽耶がミローナからクレストを預かっていることをクーマが知っている筈がない。神楽耶のブルーの瞳はそう主張していた。

「ふふっ。貴方がこちらの世界にジャンプするときに渡した眼鏡を開発したのは、一体誰だと思っているのです。先程外したサングラスには、宙の王の情報思念体パターンを検知できる機能があるのですよ」
「でも、あれは私にしか使えない筈じゃ……」

 神楽耶以外の者が使っても、その本人の情報思念体パターンが邪魔をして宙の王の検知ができなくなる。神楽耶はそう聞かされていたことを指摘した。

「ふはははっ。これだから、頭の弱いのは困りますね。そんなノイズなど私が除去できないとでも思っていたのですか。貴方に渡した眼鏡を使えば誰でも宙の王は検知できるのです。これで機構最高のエージェントとはな。次元調整機構も随分とレベルが低いようだ」

 クーマは心の底から馬鹿にしたように嗤った。

「私を殺して、宙の王をエミットしたクレストを持ち帰ったところで、貴方も唯では済まないわ。カラク所長が……」

 組織に所属する一介の技術主任が、同僚のエージェントを裁く権利など持っている筈がない。神楽耶の反論はその点を突くものだった。しかし、その神楽耶の言葉を遮るようにクーマが口を開いた。

「あぁ、生憎、カラクはもう死んだ。君がこちらにジャンプしてから間もなくね。今は私が所長ですよ。御心配なく」
「……!」

 神楽耶は言葉を失った。カラクは神楽耶を次元調整機構にスカウトしてくれた恩人だ。恩人の死。それは神楽耶に与えるであろうショックは計り知れない。智哉は心配そうに神楽耶をのぞき込んだ。

「でも、何故……」

 神楽耶が小さな声で呟く。それが聞こえたのか聞こえなかったのか、クーマが説明する。

「検死の結果、カラクは超遅効性の毒を盛られていた。盛られた時刻を逆算すると、君がこちらにジャンプした前々日だ。あの会議の時です。誰かが『ラジャ』に毒を仕込んだのですよ。そう貴方がね」
「嘘よ。何かの間違いだわ。ちゃんと調べれば……」

 神楽耶が悲痛な表情で訴える。

「ははははっ。いいぞう。その顔。絶望に悶えるその表情。最高だ。それでこそ、復讐が果たせるというものだ」

 クーマが嗤う。神楽耶がえっという顔をした。

「まだ分からないのか。この低脳が。カラクが『ラジャ』を飲む前に、甘味ブロックを使ったのを忘れたか。あれに毒が入っていたのだよ。勿論、お前の仕業にするためだ」

 ――――!

 神楽耶は息を呑んだ。全ては仕組まれていたのだ。何もかも。呆然とする神楽耶にクーマが続けた。

「私は、昔、ラグログ・クレイドールに全てを奪われた。そう貴方の父上です」
「お父さん……」
「ふっ。何も聞かされていないのか。ラグログらしい……」

 クーマは拳銃を構えたまま、僅かに目を細めた。

「では、貴方の父上が何の研究をしていたかも知らないのでしょう。ラグロクは次元断層への情報思念体転送の研究をしていたのだよ。永遠の知識を得るためにね」

 クーマは大きく息を吸った。

「人の命そのものは転生によって続くとはいえ、転生の度に記憶はリセットされる。それでは折角得た知識も経験も無駄になる。だから、記憶を保持したまま、次元断層に情報思念体を転送し、新しい肉体を見つけて転送し直す。これなら記憶と経験は失われない。ラグロクはその研究をしていた……」

 クーマの眉間に皺が寄り、手にした拳銃が僅かに震えている。

「私もその目的に賛同した。故にラグロクの研究を助けた……。しかし、奴は次元断層への転送実験に私の妻と娘の情報思念体を使った。私が望んだと騙してな……」

 クーマの瞳は怒りの色に満ちていた。

「次元断層へのジャンプは失敗した。妻と娘の情報思念体は次元断層に消え、行方不明となった。私は妻と娘を救出するため、次元断層への安全なジャンプ研究を続けた。クレストを開発したのもそのためだ。その過程で私は、ラグロクの研究では不十分だと気づいた。過去世の記憶を持ったまま転生しても、その記憶は個人のものに止まる。ならば、全ての情報思念体の記憶と経験を一つに纏めてデータベースにすればよい、と」
「じゃあ、宙の王のエミットは……」

 神楽耶が口を挟む。

「彼は無限の転生者として知られている。しかもリセットされる筈の過去世の記憶も忘れていない。彼の記憶は、そのデータベースの中核を担う筈だった。劣った人間の情報思念体をエミットしてもゴミのデータが増えるだけだ。私が創造するデータベースに下等な思念体は不要だ」

 クーマの演説に智哉が叫んだ。

「違う! 断じて違う」

 おや、そこに居たのかとばかりクーマが智哉を見下ろした。

「皆の魂はもともと一つに繋がってるんだ。転生輪廻の度に新しい経験を積んで、それぞれに成長して、また一つになる。誰が優れているとか劣っているとか全然関係ない。人は生きているだけで、生きていけるだけで祝福されているんだ。成功も失敗も宇宙はそのまま全部受け止めている。何一つ欠けちゃいけない。宇宙に要らないものなんて一つもないんだ。貴方は間違っている。貴方のやろうとしていることは、魂の転生を妨げ、宇宙を破壊する行為そのものだ」

 智哉は、バイノーラルビートの瞑想で、宙の王に観せて貰った『宇宙樹』を思い出していた。無限の転生を繰り返しているのは宙の王だけじゃない。ただ歩みに差があるだけだ。全ての魂と繋がり、宇宙を輝かせる大樹。今の智哉にはあれが真実なのだと思えた。

「ふん。少年。お前に何が分かる」

 クーマが銃口を智哉に向けると引き金を引いた。

 ――パン。

 乾いた銃声が響く。銃弾が智哉の左腕を掠め、その先の劣化したコンクリートの路に触れ火花が散った。

「桐生君!」

 神楽耶が叫ぶ。智哉は左腕を押さえてうずくまる。苦悶の表情を浮かべたが、神楽耶を見上げていった。
「大丈夫。かすり傷みたいだ。動けるよ」

 にこりとしてみる。かなり無理矢理でぎこちなかった。

「クーマ! もうこれ以上、彼を傷つけさせない」

 神楽耶は拳を握りしめ半身になって構えた。

「もう許さない。貴方だけは」
 
 神楽耶はクーマを睨みつける。

「面白い。やれるものなら、やってみるがいい……」

 クーマは銃口を空に向けて、鼻で笑うと、彼の躰は白銀色に包まれた。
 

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