異世界の彼女が僕の心を覗き込む

日比野庵

強敵

 智哉と神楽耶は裕也の先導で、ゲートが開くと思われるポイントへ向かって旧神岡鉱山敷地内を歩いていた。

 敷地内に入りしばらく歩くと小学校跡地が広がる。その一角に、大きな学校跡碑が建っていた。既に廃校となった榧洞小中学校の跡碑だ。学校跡の碑の脇を抜け、坂道を降りると、木造の小屋がいくつか建ち並ぶ場所に出た。だが、どの小屋も大なり小なり朽ち果てている。

 先導する裕也が、一つの小屋の前で一瞬足を止めた。が、直ぐに歩き出す。智哉もその小屋をみたが、廃屋というだけで特に変わったところはない。平屋建ての粗末な木造小屋だ。壁の木板は所々捲れ上がり、蔦葛のような枯れ草が絡みついている。三角屋根の下には「團結」と書かれた白い看板が張られていた。

 智哉は、周りの小屋をぐるりと見渡しながら、昔はここに多くの人が住んでいたんだな、と裕也に続いた。

 突然、裕也が立ち止まる。

「あ~。智哉、車に忘れ物したわ。二人で先に行っててくれないか」
「なんだよ、兄さん。こんな大事な時に」

 如才ない兄が忘れ物するなんて珍しいと思いながら、智哉が少し非難めいた表情を浮かべる。

「いや。悪い悪い。ゲートが開く予想ポイントは車の中で話した通りだ。分かるよな」
「うん。あの建物の向こうだよね」

 智哉は遠くにみえる三階建ての廃屋を指差した。

「そうだ。俺も直ぐに追いつくから……。

 智哉は分かったといって神楽耶を見る。神楽耶は無言で首を縦に振った。智哉と神楽耶は裕也と別れて、目的地に急いだ。

 裕也は、二人の後ろ姿が見えなくなったのを確認してから、先程通り過ぎた「團結小屋」に近づき、声を掛けた。

「おい。隠れてないで出てこいよ。君らが噂の『黒服君』なんだろう?」

 古板がキィキィと音を立てた。立て付けの悪い小屋の玄関を抉じ開けて、男達がぞろぞろと出てくる。彼らは黒服に身を包んではおらず、ハイキングにくるようなラフな恰好だったが、醸し出す雰囲気は登山客のそれではなかった。

 男達はゆっくりした足取りで近づき、裕也を取り囲んだ。

「ひぃ、ふぅ、みぃ……。十二人か……。流石に十二対一の演武なんてしたことないなぁ。師匠なら……」

 裕也は頬を指で掻いた。

「やれやれ、何時まで保つかな……」

 そう呟くと、裕也は緊張した面持ちで、構えを取った。


◇◇◇


 癖毛の赤髪とストレートのおかっぱ黒髪が地面に這い蹲っていた。勝ちを手にしていた筈の二人は男に打ち倒されていた。

 ミローナとエトリンは砂利の混じった砂を噛んだまま、動けなかった。

「ぐっ……糞っ。何でだ!」
「……あの方、化け物ですわ」

 ミローナが憤り、エトリンが呻いた。つい先程まで、明らかに自分達が優勢だった。あと一呼吸の内に決着がつく筈だった。男が怪しげな白銀の光を身に纏うまでは。

 テレポートからのミローナの斬撃も、岩をも砕くエトリンの一撃もまるで通用しなかった。ミローナは、悪夢を見ているのではないかと思ったが、地面に転がっているのは自分達だ。ミローナは負けを認めざるを得なかった。

 男を包んでいた白銀の光はいつの間にか無くなっていたが、反撃するどころか立ち上がることすらままならない。ミローナとエトリンは、精一杯の力を振り絞って、男を睨みつけた。

「おやおや。鬼ごっこではなくて、缶蹴りでしたかね」

 男はエトリンの頭を踏みつけた。靴底でエトリンの頭を地面にぐりぐりと擦り付けたあと、したたかに蹴飛ばす。ぎゃん、という悲鳴がミローナの鼓膜を抉った。

「手前ぇ。……許さねぇ」

 腹の底から悔しさを滲ませたミローナに、男は顔面へのインサイドキックで応えた。

 勢いのついた革靴がミローナの鼻先を穿つ。ミローナは、倒れた姿勢のまま、ゴロゴロと二、三回転して仰向けになった。彼女の顔面は砂利と鼻からの鮮血で染まった。

「劣等の姉妹にしては、よく頑張ったと評価して差し上げましょう。コレがなければ危なかったことは確かでしたからね」

 そういって男はずっとポケットに入れていた左手を出して、ポンポンとポケットを叩いた。

「畜生……」 

 ミローナは首を少し持ち上げてエトリンを探す。エトリンは、ミローナからそう離れていないところに倒れていた。息はあるようだった。

「殺すのか?」

 ミローナは、口で荒く呼吸しながらそう言ったが、男は軽く否定した。

「生憎、こんなところで弾を浪費するのは勿体ないのでね。命だけは助けて差し上げましょう。もっともゲートまで君達をお連れすることはできませんがね。せいぜい亀のように這い蹲って探し回ることだ」

 男は、勝ち誇ったように嗤うと、テレポートして何処かへ消えた。


◇◇◇


 智哉と神楽耶はグラウンド跡地を背に廃社宅らしき建物が立ち並ぶ坂道を上っていた。周りに立ち並ぶ三階建のコンクリート製の建物の壁にはシダのような植物が巻き付いていた。智哉と神楽耶の目指すゲート出現予想ポイントは、ここを抜けた先にある浄水場だ。

 智哉は腕時計を確認する。四時三十分を少し過ぎていた。ゲートが開く予想時刻である六時まではたっぷり時間がある。これで本当にゲートが開いてくれれば、神楽耶は帰れるのだ。智哉は神楽耶が元の世界に帰還できそうなことを喜んでいたが、同時に心の奥底で淋しい気持ちも感じていた。あと少しで、神楽耶との別れが訪れる。もっと神楽耶と一緒に居たい。そんな自分の気持ちをはっきりと自覚した。

 何かの間違いでゲートが開かずに神楽耶がずっとこちらの世界に居てくれたら、と不謹慎な思いが智哉の頭を掠めた。智哉は慌てて、その思いを打ち消そうと頭を振った。

「なぁに。大丈夫?」
「あ、大丈夫、何でもないよ」

 神楽耶の気遣いに智哉は恥ずかしくなった。自分の世界に帰れないと分かってからの神楽耶はずっと辛い思いをしていた筈だ。そんな神楽耶が自分を気遣ってくれる。

 ふと、先程バイノーラルビートを使って、宙の王と再会したときの事を智哉は思い出した。

 ――百億年ぶりの再会。

 宙の王はそう言っていた。僕達は百億年前から知り合いだったんだ。そう思うと、今こうして神楽耶と二人で歩いているのが不思議に思えた。神楽耶はこの事を知っているのだろうか。それとも、向こうの世界で、宙の王から聞かされるのだろうか――。

 ――止めよう。

 話せば別れが辛くなるだけだ。智哉はそこまで考えて、迷いを振り切った。

「もう少しだよ。立花さん」
「うん。そうね」

 智哉は努めて明るく声を掛けた。神楽耶は智哉に顔を向けてにっこりと笑った。夕日に照らされた神楽耶の顔がキラキラと輝いて見えた。

 その時、智哉と神楽耶の前方十メートルくらいの空気が渦を巻き、白く輝いた。輝きが収まると、茶のコートにサングラスをした男が、両手をコートのポケットに入れたまま姿を現した。

「やっとお会いできましたね。お嬢さん」

 ミローナとエトリンを地に這いつくばらせた男が神楽耶に向かって歪んだ笑みを浮かべていた。
 

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