異世界の彼女が僕の心を覗き込む

日比野庵

宙の王

 裕也は、神楽耶から『宙の王』を回収する方法を確認すると、長机から少し離してパイプ椅子を二つ並べた。計測器とをバイノーラルビートの音源をセットし直しながら智哉と神楽耶に座るよう指示を出す。

「すまんな。こんな椅子しかなくて」
「いいよ。別に、一日中座っている訳じゃないでしょ」

 裕也の断りに問題ないと応じた智哉は神楽耶をちらと見た。神楽耶は鞄から出したミローナのクレストを左手に持っていた。神楽耶の「準備はいい」との問いかけに、智哉は短く「いいよ」と答える。

 智哉と神楽耶が椅子が座る。計測器のセットを終えた裕也が智哉に神楽耶の眼鏡を渡した。智哉は、電極がついた神楽耶の眼鏡をもう一度掛けると、両手を膝に置いて、粗末な背もたれに身を預ける。智哉の左手に神楽耶が自分の右手を重ねた。

 裕也が電極を仕込んだヘッドホンを智哉に掛ける。ピーッ、ピーッという音が智哉の鼓膜を振動させた。

「ビープ音が鳴っている筈だ。聞こえるか」
「うん」
「じゃあ、始めるぞ。何か異常を感じたら手を上げてくれ」

 智哉が眼を瞑ると同時に、裕也は音源のボタンを押した。

 ビープ音が消え、ポーンという高い音が智哉の耳に響いた。ステレオのようなそうでないような不思議な感覚だ。特に何も変化はない。二分程聞いていると、音のパターンがポンポンと同じリズムを刻むものに変わる。裕也がバイノーラルビートのパターンを切り替えて、智哉の脳波の変化をチェックしているようだ。

 バイノーラルビートが三つ目のパターンになったとき、智哉に微妙な変化が訪れた。

 ――ゴォー。

 耳鳴りがする。智哉は、最初電車かなにかの音かと思ったが、そんな筈はないと思い直す。今の神岡研究所付近に鉄道は通っていない。かつては神岡鉱山鉄道が走っていたが、二〇〇六年に廃線になっている。

 智哉は、自分の体の中で何かが小刻みに震えているのを知覚した。智哉は少し怖くなったが、手を上げずそのまま我慢していた。目を開けてみる。裕也が端末を操作しながら、モニタと睨めっこしているのが見えた。

 また目を瞑る。眠くはない。目を瞑っている筈なのだが、何故か先程見た光景がそのまま見えた。『宙の王』と始めてコンタクトとしたとき、彼の誘導で会得したあの見えないものを『観る』感覚が全身を満たしていった。

 ふと目の前にスクリーンのような映像が浮かび上がった。一瞬夢かと思ったが、夢のようなぼんやりした感覚ではない。画像もやけにクリアだ。やがて智哉の意識はスクリーンの中に吸い込まれていった。


◇◇◇


 ――澄んだ湖の畔。温かいそよ風が、草花の匂いを運んでくる。智哉の意識はそこに居た。

 ぐるりと辺りを見渡す。湖を取り囲むように黄金色の草原が一面に広がっていた。
 と、草原の向こうから一人の男が近づいてくる。

 男は襟首に太い金の縁取りをした白の貫頭衣を着ていた。胸元に掛けて大きくV字型の切り込みが入っている。両肩からエンジ色のマントが翻り、腰には金の刺繍が入ったスカイブルーの帯が巻かれている。足にはエンジ色のサンダルを履いていた。その姿はまるで古代ギリシャの王のような佇まいだった。

 智哉は彼が『宙の王』だと分かった。夢の中で何度もあった『彼』の姿だったからだ。
彼は智哉の前にくると、静かに微笑みかけた。

 ――智哉。お別れを言いにきたよ。

(……宙の王)

 ――そうだよ。僕が宙の王だ。会えてよかった。

 智哉は『宙の王』の言葉が関西弁でないことに違和感を覚えたが、宙の王は直ぐにそれを悟った。

 ――君の心が柔らかくなったからね。もうあの喋り方は必要ないんだ。
(ここは夢の世界なの)

 智哉の問いに宙の王は、目を閉じてゆっくりと頭を振った。

 ――ここは、全ての魂の経験と記憶を保存するところ。宇宙の記憶の集積場だ。

 宙の王の右手が弧を描く。

 ――見えるかい? 智哉。魂の大樹『エンピレオ』だ。君達の世界では世界樹と呼んでいるようだね。この宇宙に生きる全ての魂はこれと繋がっているんだ。

 それは黄金に輝く大樹だった。上へ行けば行くほど、末広がりに広がるその枝は眩いばかりに光に満ち、どこまでも天に伸びていた。

 ――全ての魂は輪廻転生するたびにここに還ってくるんだよ。
 ひときわ輝きを放つ光が『エンピレオ』に向かうのを智哉は観た。その光は一旦、宙の王に近づくと彼の周りをぐるぐると二、三度回った後、再び『エンピレオ』に向かった。

 ――お帰り。ベアトリーチェ。

 宙の王は『エンピレオ』に合流する光に挨拶をしてから智哉に向き直った。

 ――彼女の魂はもう十万回も転生してる。その間ずっと数学者になりたいと願っていんだ。最初の頃は四則演算も碌に出来なかったけど、今では立派な数学者だ。十万回の転生の間、彼女はずっと数学者を目指して生きてきたんだ。そして夢を叶えたんだよ。

 智哉は宙の王に誘われ『エンピレオ』の傍にいった。智哉は『エンピレオ』を仰ぎ見る。四方八方に伸びた『エンピレオ』の枝は、天蓋を黄金の光で満たしていた。

 ――智哉。夢は諦めさえしなければいつかは実現するんだよ。今世でなければ来世で、それでも駄目なら来来世で。君も叶えたことが沢山あるんだよ。

 智哉はそんなのないよと小さく首を振った。転生輪廻という言葉は知っていたが、ピンとこなかった。宙の王は穏やかな表情で智哉に語りかける。

 ――じゃあ、君の転生を見せてあげようか。そう、百億年くらい前の。

 そういって、宙の王は『エンピレオ』の枝に触った。その途端、智哉の目の前に、緑に輝く美しい球体の像が浮かび上がった。

 ――ここは……地球から遠く離れた惑星だね。君は今から百億年前、この惑星で科学者をしていたんだ。

 宙の王はにっこりと笑った。


◇◇◇


 映像はテニスコートくらいの大きな部屋を映し出した。天井は吹き抜けで高く、壁はうっすらと白い光を発している。部屋の周りにはケーブル類や計測器の類が所狭しと並べられていた。太いケーブルの何本かは部屋の中央に伸び、その先は、人の背丈の五倍はあろうかという水晶の様に透明な六角柱の装置へと繋がっている。
「もうすぐだ」
「先生、いよいよですね」
「ああ、次元を超えて別の宇宙にいけるぞ」
 若き教授らしき人物とその助手が六角柱の装置の前で話している。

(あ……あれは)
 ――そうさ。六角転送基だ。あれは百億年前のこの惑星で作られたんだ。

「君。この転送基に名前を付けてくれないか。どうも私はセンスがなくてね」
 教授は助手に依頼した。
「私だってありませんよ」
 そういって助手は、右手の人指し指で彼の左頬を掻いた。智哉には見慣れた仕草だった。

――そう。あの教授は君の過去の転生だよ。そして、あの助手が君の兄さんだ。

 智哉が喋る前に、宙の王が答えた。

 ――智哉。君の兄さんは、君に憧れて君のようになろうとして、何千万回も科学者として転生しているんだ。

「センスのないネーミングですが、『六角転送器』でどうでしょう」
「はは、見た目通りでいいじゃないか。そうさせて貰おう」
 教授がそう答えたとき、部屋の扉が開いて、七、八歳くらいの小さな女の子が三人飛び込んできた。笑顔一杯で教授と助手の元に駆け寄ってくる。彼女達に続いて一人の二十歳くらいの青年がゆっくりと入ってきた。
 その金髪碧眼の青年は、転送器を見上げて、教授に声を掛けた。
「出来ましたか。教授」
「おお、殿下。わざわざのお越しを」
「素晴らしいですね。教授の理論が実証される日をこの目でみれるとは……」
「いいえ。殿下の援助がなければ到底ここまでは……」
 教授の答えに三人の女の子が反応する。 
「せんせーできたのー」
「すごーい。お空の果てにいけるんでしょー。あたしもいってみたーい」
「ねーねーうごかしてよー」
 三人の女の子は教授と助手に抱きついておねだりする。おさげと、おかっぱと、オレンジの癖毛が躍った。
「もうちょっとだからね。楽しみにしておきな」
 助手が答える。
「教授、向こうの宇宙はどういう宇宙なのですか」
 映像の中で、青年が教授に質問する。
「一言でいえば、我々の宇宙と対をなす宇宙です。互いの宇宙は相手の重力でアンカーされ、安定状態に入ります。ようやく生まれてくれました。といっても十億年は経っていますが。……そろそろ人が住める惑星が出来ている頃ですよ」

(あの人達はもしかして……)

 智哉の推測が当たっていることを宙の王は告げた。

 ――そうだよ。あの三人の娘は、神楽耶、エトリン、ミローナだ。そして殿下が僕だ。当時、三人は僕の侍従をしていたんだ。

 映像は、その後の実験で、対宇宙への物質転送が成功に終わったことを映し出していた。

 智哉は宙の王に向き直った。宙の王は、口を開きかけた智哉を制して「続きがあるよ」と微笑んだ。


◇◇◇


 智哉の目の前で映像が一瞬揺らめくと、場面が変わった。巨大な野外広場のようなところに、先程見た転送器を数十倍も大きくした装置が置かれていた。装置の底面はサッカーグラウンドが何面も入る程広く、三つの蒲鉾形の尾鰭のようなものがついた円盤がいくつも並べられていた。円盤の側面には小さな窓があり、人影が見える。どうやらUFO型の乗り物のようだ。何時でも出発できるように見える

 その中で、一機のUFOだけハッチが開いている。その脇で、髪に白いものが混じった教授と助手が、殿下と握手している。殿下の後ろには、美しく成長した神楽耶、ミローナ、エトリンが控えていた。

「殿下。本当によいのですか。六角転送基は、まだ……」
「片道通行がどうしたというのです。対宇宙が生まれたのでしょう。対宇宙の文明の発展を見届けなくてはなりません。教授の理論通り、我らの宇宙が安定状態に移行するためにも、対宇宙は滅んではならないのです。こちらの事は兄王にお任せしてある。心配いりませんよ。それに……いつか向こうの宇宙でこちら行きの転送基でも作ればいいではないですか」
「でも、それはいつになるのか……。いくら我らが無限に転生するとはいえ、その日が必ずくる保証はありません」
「教授、向こうの宇宙にも、きっと教授のような方がいらっしゃいます。大丈夫ですよ」
 殿下の言葉に、教授は観念したように息を吐き、ポケットから小さなペレットを取り出した。
「殿下。ではこれをお持ちください。六角転送基の設計概念図と基礎データが入っています。向こうの宇宙にこれを解読できる科学者がいたら、きっと彼が向こうで六角転送基を完成させるでしょう」

 教授はすっきりした表情を浮かべ、殿下にペレットを手渡した。

「ありがとう、教授。きっと実現させてみせますよ」
「もう、出発の時間だぜ」

 オレンジの癖毛が殿下の後ろから声を掛ける。次いで、おさげとおかっぱの黒髪が教授と助手に最後の挨拶をする。

「御名残惜しいですけれど、きっとまたお会いできますわね」
「教授、向こうの宇宙にいけて光栄ですわ。本当にありがとうございました」
 おさげとおかっぱが頭を下げる。

「殿下。向こうの宇宙に着いたらなんて呼べばいいんだ? 『殿下』じゃ恰好つかないぜ」
 元気一杯にオレンジの癖毛が殿下を見上げる。

「ふむ。では、向こうの宇宙の王ということで『宙の王』とでも名乗ろうか」
「へっ。そりゃいいや……じゃな。教授。またいつか向こうの宇宙で会おうぜ」
「ええ、お待ちしていますわ」
「楽しみね」

 教授は、精一杯の笑顔を作って見送りの言葉を掛けた。

「殿下。皆さん、元気に行ってらっしゃい。いつかどこかの宙でお会いしましょう」
 映像はそこで終わった。


(……)
 ――思い出したかい? あの転送基を作ったのは君たち兄弟なんだ。だから僕は君の心の中に来た。転送器の完成設計図を貰いにね。そして、あの時の三人も僕を追いかけて、こっちの宇宙に戻ってきたんだ。百億年ぶりの再会だ。
(宙の王、貴方は……)

 ――僕が、こちらの世界に転送してきたとき、最初は誰の心に入ればいいか迷っていた。そんなとき君を見つけた。君の心に入ってみたら、とても懐かしい感じがしたんだ。直ぐに分かったよ。君があの時の教授なんだって。君がお兄さんに会ったときもそうだ。もともと友人だったんだ。僕たちはね。百億年も経ってしまったけれど、僕とあの娘達はこうして戻ってきた。「ただいま」って言ってもいいかな。
(……お帰り)

 智哉は自分の目頭が熱くなるのを感じた。溢れる感情に身を任せる。両頬を涙が伝った。
 そんな智哉の様子を静かに見守っていた宙の王だが、やがて、何かに呼ばれるように後ろを振り返った。

 ――そろそろ時間のようだ。これから僕は神楽耶の持ってるクレストに乗って、向こうの世界に還るよ。まだやり残していることがあるからね。
(また、こっちに来れるの)
 ――使命が終わったら。

 宙の王は二コリとて智哉の手を握った。

 ――心配要らない。僕達の心は繋がっている。『エンピレオ』がある限りはね。

 そう言って宙の王は智哉に別れを告げた。が、何かを思い出したように振り向いた。

 ――帰りのゲートが開く場所だけど、君のお兄さんの予想どおり、此処から南に行った鉱山跡で間違いないよ。開く時間もピタリだ。閉じる時間はもう少しあるけどね。後で伝えておいてくれないか。

 小さくコクリと頷いた智哉に安心した表情を浮かべた宙の王は、草原の向こうに消えていった。


◇◇◇


 ――――トモヤ。
 ――智哉。

 智哉はゆっくりと目を開けた。瞼に溜っていた、涙が零れ落ちる。二、三度瞬きした智哉の視界に飛び込んできたのは、智哉の顔を覗きこんでいる裕也だった。

「大丈夫か智哉。上手くいったぞ」

 裕也が少し興奮気味に、実験の成功を伝える。智哉は首だけを回して、神楽耶を見る。神楽耶は天井を向いて、安心したように大きく息を吐いていたが、智哉に見られていたことに気付くと、恥ずかしそうに口元を手で押さえた。

「エミットは成功したの?」

 智哉が神楽耶に確認する。

「ええ、宙の王はこの中に居るわ」

 神楽耶が紫のクレストを見せて微笑んだ。

「よかった」

 そう答えた智哉だったが、時間が気になった。折角、宙の王をエミットしても帰りのゲートが閉じてからでは意味がない。

「兄さん、今何時なの?」 
「三時十五分だ。間に合うぞ」
「兄さん、バイノーラル中に宙の王と話したよ。宙の王は兄さんの言うとおり、神岡鉱山跡に帰りのゲートが開くって」
「そうか。なら決まりだ」

 裕也は機材の片付けに取り掛かった。

「さっきの今で済まないがこれから直ぐ出発するぞ。あそこはもう廃墟だからな。明るい内にポイントに着いておきたい」

 裕也の声を合図に、智哉と神楽耶が立ちあがった。神楽耶が元の世界に帰る時が近づいていた。
 

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