異世界の彼女が僕の心を覗き込む

日比野庵

バイノーラルビート

 裕也の言葉に、最初は瞳を輝かせていた神楽耶だったが、その光は直ぐに失せた。

「だけど、いつ何処にゲートが開くのかなんて……」

 神楽耶が不安気な表情で、智哉と裕也の顔を交互にみる。

「それなんだが、昨日計算してみたんだ」

 裕也は緑茶を口に含んだ。

「方角はニュートリノ観測からみて、東南東か西北西」
「距離は?」

 智哉が心配そうに聞いた。

「重力波の強さから計算した。重力波は、発生源が近ければ近いほど強く出る。昨日からの重力波は神楽耶君が此処に来たときと比べてずっと強かったんだ」
「どういうこと?」

 智哉は理解しようと真剣だ。

「一番右の重力波の傾きがその前の五つと較べて急峻になっている。だから重力波のピークはもっと大きくなると予想される。その推定の大きさから計算したら、もっと近くで起こるという結果になった」

 裕也は少し興奮気味に続けた。

「『かぐわ』と同じく重力波観測をしているLIGOとVIRGOのデータとも突き合わせてみたが、重力波発生源は岐阜県北部から富山県南部という結果になった。もっとも彼らは、重力波を発生させる程の質量物質が日本にあったら、地球が飲み込まれているはずだと取り合わなかったけどね」
「何処なの? 兄さん」
「ウルトラカミオカンデのすぐ傍、旧神岡鉱山跡地だ。余りにも近過ぎて、東南東だの西北西だの方角なんて意味ないくらいだ。ゲートが開く推定時刻は、今日の夕方六時から七時」
「じゃあ。兄さんはその為に」

 智哉が目を輝かせた。

「そう。だから直ぐに来てくれといった。準備は出来てるかい?」

 裕也は神楽耶に問うた。神楽耶は小さく首を縦に振った。

「今三時前だから、まだちょっとあるね」

 智哉が自分の腕時計をみた。

「いや。そうとも限らないな」

 裕也がパソコンの液晶画面を折りたたんで伏せた。プロジェクターの画像が青一色に切り替わった。

「神山鉱山ってそんなに遠いの?」
「そうじゃない。予想ポイントの榧洞抗までは車で四十分もあれば着く」
「じゃあ……」

 智哉の言葉に裕也はテーブルを指で二回叩いて否定した。
「もう一つ問題があったろ。智哉の中の『宙の王』さんだ。彼を回収しなきゃいけない」
「あ」

 智哉は思わず声を漏らして神楽耶に顔を向けた。神楽耶は、真っ直ぐ裕也を見ていた。

「方法が見つかったのですか?」

 神楽耶が期待に満ちた表情をみせた。

「……多分ね。当たりかどうかはやってみないと分からないが。神楽耶君。『宙の王』を回収する作業ってのは、どれくらい時間がかかるんだい?」
「何も問題がなければ、五分も掛かりませんわ」
「そうか。何時間も掛かるものじゃないだろうなとは思っていたが、なら間に合うかな」

 裕也は、そう言って、ポケットから神楽耶から借りた眼鏡を取り出した。

「智哉、ちょっと実験するぞ。被験者になってくれ」

 痛くするわけじゃない、と言いながら、裕也は、テーブルに置いたポータブル計測器に二本のプローブの接続部をはめ込んた。もう一方の端には電極のようなものが取り付けられていたが、一本を智哉のこめかみに貼り付け、もう一本を神楽耶に借りた眼鏡のフレームに貼り付けた。

「智哉、掛けてみろ」

 裕也が眼鏡を差し出す。智哉は電極が外れないように、そおっと眼鏡を掛けた。レンズに度が入ってないから酔う心配はない。裕也が計測器の電源を入れる。計測器の画面に、緑と黄の二本の波線が浮かび上がる。裕也は計測器を操作しながら、思った通りだ、と呟いた。

「神楽耶君から借りた眼鏡を調べたら、どうやら脳波を拾っているらしいことが分かった。尤も脳波が神楽耶君のいう魂振動パターンなのかどうかは確定できないし、それ以外のパラメータもあるかもしれない。だけど今の所、これしか手段がない」

 裕也が計測器の向きを変えて、画面を智哉と神楽耶に見えるようにした。

「見えるか。緑の波が智哉の脳波。黄色が神楽耶君の眼鏡を使って拾っている『宙の王』さんの脳波……いや振動パターンか。二本の波は殆ど重なっているだろ」

 智哉は小さく目で頷き、神楽耶がはい、と返事した。

 裕也が計測機のツマミの一つを回す。波形がびよーんと横に広がった。画像のスケールを変えたのだ。裕也は隣のツマミをくるくると回すと、波形の画像が横にスライドしていく。重なってみえた緑と黄の線は、所々重なり、所々が離れていた。

「二つの波形は殆ど重なってみえる。だけど拡大すると、重なっているところとそうでないところがある。つまり智哉から二つの違う種類の脳波が出ているんだ。智哉、『宙の王』さんは、離れられなくなったとお前に言ったんだよな。もし、この二つの波形を強制的に分離して重なる部分を無くしたらどうなると思う?」

 神楽耶がまさかという顔をした。裕也は神楽耶に向き直った。

「神楽耶君。そこでお願いなんだが、今から、智哉と『宙の王』の波を分離する。そのタイミングで合図するから『宙の王』さんを回収してみてくれないか」

 神楽耶は驚きを隠さないまま、二つ返事でオーケーする。

「ええ。もちろんですわ。お兄さん。でも……」

 神楽耶の言葉を遮るように智哉が口を出した。

「兄さん、分離するっていうけど、そんなことできるの?」
「バイノーラルビートって聞いたことがあるか。智哉」
「何なの、それ」

 裕也の問い掛けに智哉は質問で返した。

「簡単にいえば、脳波の誘導だ」

 バイノーラルビートとは、異なる周波数を左右の耳に聞かせたとき、その周波数の差に等しいビート音に脳波が同調する現象のことだ。この現象を利用して、意図的に脳波をコントロールすることで、集中力を高めたり、睡眠誘導をするコンパクトディスクやアプリが存在する。

 裕也は、智哉と神楽耶に一通りバイノーラルビートについて説明した後、智哉にバイノーラルビートを聞かせて、智哉の脳波を別の周波数に誘導し、『宙の王』の脳波と分離すると告げた。

「但し、どの周波数のバイノーラルビートで分離できるか分からない。だから脳波をモニタリングしながら、周波数を変えて一つずつ試すしかない。神楽耶君のいうとおり、回収にそれほど時間が掛からないなら、ゲートが開くまでに上手く分離できる周波数を見つけられると思う」

 智哉は、掛けていた神楽耶の眼鏡を一旦裕也に渡しながら、もしかしたらと期待が膨らんでいくのを感じていた。智哉は神楽耶がどう思っているのか気になったのだが、神楽耶の胸元のクレストを見て、気づいたようにあっと声を漏らした。

「立花さん、君のクレスト、割れているんだよね。それでも大丈夫なの」

 割れたクレストを使ってしまうと、宙の王の回収が上手くいかないのではないかと智哉は心配した。

「ううん。……大丈夫よ」

 神楽耶は、鞄から鮮やかな輝きを放つ紫色のクレストを取り出した。

「大切な預かりものよ。ミローナからのね」

 神楽耶はそういって、優しく微笑んだ。
 

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