異世界の彼女が僕の心を覗き込む

日比野庵

飛騨

 十一月某日――。

 白銀のボディにオレンジのラインが入った車両が、滑るようにホームから離れる。川を越える鉄橋に差し掛かる頃、オルゴールのような音色のチャイムが、車内の喧騒を破った。

 ――今日もジェイアール西日本をご利用下さいましてありがとうございます。この列車は特急ワイドビューひだ十四号名古屋行きです。列車は定刻通り富山駅を発車致しました。これから先、停まります駅と到着時刻を御案内致します……

 自動音声ではない、車掌による生の車内放送が流れる。グリーン車に連結された自由席の車両の一隅で智哉と神楽耶が席を並べていた。車内放送を一通り聞き終わった後、神楽耶が智哉にブルーの瞳を向ける。

「桐生君、何処で降りるの?」
「猪河駅。そこから研究所までバスか車になっちゃうけど、兄さんが迎えに来てくれることになってるから……。あと三十分くらいだよ」
「お兄さんは、私が元の世界に帰れるかもしれないって言ったのよね」  
「うん。昨日の電話だと、時間がないから直ぐ来てくれって」 
「……そう」

神楽耶は小首を少し傾げて微笑んだ。
「桐生君、貴方の中の空の王は……」
「それについては何も……。でも、もうすぐ兄さんに会えるから、そこで……」
「わかったわ」

 神楽耶は、正面を向いて自分に言い聞かせるかのように呟くと、首に掛けたクレストを指でそっとなぞった。神楽耶のブルーの虹彩がほんの僅かの間、グリーンの輝きを帯びた。

 智哉は神楽耶の瞳の変化には気が付かなかったが、神楽耶が触れたクレストには違和感を覚えた。

「立花さん、そのクレスト……」
「えぇ。訳あって、ちょっと欠けてしまったのよ。でも大丈夫よ」

 智哉には神楽耶が少しだけ悲しそうな表情をしたように見えたのだが、神楽耶の大丈夫の答えにそれ以上訊くことを止めた。

 その神楽耶に悲しそうな表情をさせ、ブルーの瞳をグリーンにさせた存在は、神楽耶のすぐ傍に居た。

 智哉と神楽耶の席から四列程離れた席に二人の若い娘が座っていた。車内だというのに、一人は目深にフードを被り、もう一人はおかっぱの綺麗な黒髪を晒している。

「ねぇ、ミローナ姉さま。どうしてこんなにコソコソしないといけないんですの」
「仕方ねぇだろ。あいつと手ぇ握ってるのは秘密なんだからよ。それに、あいつについていかないと、帰ることもできねぇんだぜ」
「折角同じ車内にいるのに、神楽耶お姉さまに御挨拶もできないなんて残念ですわ。あぁ、神楽耶姉さま、こちらを振り向いて下さらないかしら」
「うるせぇな、エトリン。緊張感ねぇやつだな」
「うふふ。でもぉ」

 ――珈琲、紅茶、ウーロン茶はいかがですか。

 ミローナとエトリンが掛け合い漫才をしている横を車内販売の売り子が通り過ぎる。その声に、後ろを振り向いた神楽耶がミローナとエトリンを見つけてクスリとした。

「あ、神楽耶姉さまが笑いかけて下さいましたわ」

 きゃっきゃっと喜ぶエトリンを横目に、ミローナは仕様がない奴だとばかりに座席のシートを少し倒して身を任せた。

 車両の一番後ろの座席には、そんな彼女達の様子を見つめる独りの男がニヤリと口元を歪めていた。


◇◇◇


 午後一時三十九分。キハ85系の車体が定刻通り猪河駅のホームに滑り込んだ。猪河駅は一日の旅客数が百人にも満たず、本来特急が停車するような駅ではない。だが、猪河駅はジェイアール西日本とジェイアール東海の境界駅であるため、乗務員交替で特急でも停車する。

 猪河駅の時代を感じさせる木造造りの駅舎は、地面から腰の辺りまで、木目も良く見えない程に古ぼけた木の板で覆われ、そこから上はペンキで白く塗られていた。入口の頭上には青い駅銘板が掲げられ、白字で大きく「猪河駅」と書かれている。

 智哉と神楽耶以外に数人の客が降りた。その中にはミローナとエトリンもいたが、二人は智哉に気づかれないように、しばらくホームの陰に隠れてから、移動した。

 智哉は改札を出ると、辺りを見渡した。左手の郵便局と右手の個人商店は静まり返っていて、乗降客以外に人の姿は見あたらない。智哉は、駅舎脇のトイレの隣りに、一台だけ車が停まっていることに気づくと、迷わず足を向けた。

 白い屋根にメタリックブルーの車体が、さして広くもない駐車場にちょこんと置かれていた。裕也のミニクーパーだ。智哉がコンコンと運転席の窓をノックする。シートを倒して横になっていた裕也が、ゆっくりと身を起こしてドアのロックを外した。

「時間どおりだな。智哉」
「僕じゃないよ。電車だよ」

 智哉は律儀に訂正した。智哉と神楽耶が後部座席に乗り込んだことを確認すると、裕也はクーパーをゆっくりとスタートさせる。車窓からの景色がスローモーに流れていく。

「智哉、今朝は早かったか?」
「七時くらいだからそれほどでもないよ」
「昼飯はどうした?」
「あ、富山駅で食べてきたからいいよ」
「そうか。じゃ寄り道しないでいくぞ」

 裕也はそう言って、真っ直ぐに車を神岡素粒子研究施設へと走らせた。
 十分程走ったろうか。三人を乗せたミニクーパーは、目的地へと到着した。

「着いたぞ」

 裕也が到着を知らせる。車から降りた智哉は意外そうに声を上げた。

「ここなの?」
「もっと立派なとこだと思ったか」

 裕也はそうだろうなとでも言いたげな表情だ。
「あ、いや、素粒子研究の最先端なんでしょ。だから……」

 智哉が言葉を濁す。裕也はまあいいからと、智哉と神楽耶を建物の中に案内する。施設の中は、土曜日だからなのか閑散としていた。

「今日は俺が当直だ。UKウルトラカミオカンデには人がいるが、ここは俺たちだけだ。ここで話そう」

 裕也はそういって、一室の扉を開けた。
 

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