異世界の彼女が僕の心を覗き込む

日比野庵

復讐

 神楽耶との通信を切ったクーマは「ふっ」と嗤うと、背もたれに体を預け、何かを思い出したかのように呟いた。

「フェリアお嬢ちゃん……か」

 クーマはフェリアを知っていた。いや正しくは彼女の父を知っていたというべきか。

 クーマは昔、フェリアの父、ラグロク・クレイドールの助手をしていた。自らの研究を続けるためだ。クーマは次元断層とテレポートの研究をしていたのだが、当時は次元断層の存在すら認められておらず、クーマは異端児であった。研究費も底をつき思案した挙句、同じく学会の異端児であり、マッドサイエンティストであったラグロク・クレイドールの下に転がり込んだのだ。


 ―― 十周期前。

 フェリアの父、ラグロク・クレイドールの私設研究所内。何やら言い争う声が聞こえる。
 クーマはラグロクに喰って掛かっていた。

「妻を! 娘を返してください! クレイドール博士!」
「……彼女達は貴重な研究の犠牲になったのだよ。素晴らしいじゃないか」
「そんな……」
「次元断層へのジャンプ実験を言い出したのは君だよ。クーマ」
「しかし、実験は擬似情報思念体を使う予定だった筈です」
「擬似は何処まで行っても擬似にしか過ぎない。データにはならんよ」
「博士!」


 ――
 ――


 クーマの脳裏に十年間の苦い思い出が蘇る。次元断層跳躍実験の被験体にクーマの妻と娘の情報思念体を無断でラグロクに使われ次元断層に迷い込んだまま行方不明になったのだ。彼女達の情報思念体パターンを予め採取していなかったため、次元断層の何処に迷い込んでいるか特定することさえ出来なかった。

「酷いものだ……あんな事を平然とするとはな……」

 クーマは転送基のコンソールに置かれた『クレスト』の一つを手にとった。あの実験以来、クーマはラグロクの元を離れた。テレポーターでもあったクーマは妻と娘の救出に自分も次元断層へテレポートすることも考えたのだが、位置も分からないまま闇雲にテレポートしても二重遭難になるだけだった。

 クーマはラグロクへの復讐を胸に秘め、妻と娘を救出するための研究に没頭した。『クレスト』の量産に成功したのは、その成果だ。

 情報思念体をその身に封じることができる『クレスト』には特殊な宝石が使われる。それは元々天然鉱石であった。その鉱石は、アメシストのような光沢を持つ紫の宝石だったのだが、深海の海底からしか採取できない希少鉱石だ。それゆえ大量生産など到底不可能だとされていた。

 その頃、次元断層の存在が確認され、迷い込んだ情報思念体の救助作業が始まったのだが、『クレスト』の絶対数の不足はエミッターの育成を阻害するのみならず、次元断層からの情報思念体救出も滞らせることになった。

 クーマは『クレスト』の量産化のために、海底の熱水鉱床に掘削孔を掘ってパイプを埋め海底資源を噴出させる方法を開発した。噴出した資源を精製し、人工的に『クレスト』を製造することに成功したのだ。

 現在、惑星ヴィーダのエミッターの全員、テレポーターの過半が『クレスト』を携帯できるようになったのだが、その殆どは『人工クレスト』だ。彼らの『クレスト』が深紺色をしているのは人工生成物であるからだ。

 クーマが次元調整機構に来たのは、所長のカラクの勧めは元より、次元断層の何処かに今も彷徨っている妻と娘を探すためでもあった。次元断層へ迷い込んだテレポーターの救出を行っている次元調整機構であれば、妻と娘の手掛かりが見つかるかもしれない。それがクーマに残された最後の希望だった。

 ところがある日、クーマは次元調整機構のエージェント名簿の中に「クレイドール」の名を見つけた。クーマは、フェリアの名前に見覚えがあった。十周期前の記憶がありありと蘇った。

 ――娘のフェリアだ。事故で死ぬところだったが、なんとか一命を取り留めた。その代わり全身の骨は金属になってしまったがね。

 ラグログはポートレートをクーマに見せながらそう自慢してみせた。ポートレートには微笑むラグロクと並んで映る七歳当時のフェリアの姿があった。フェリアの右目の下の傷が印象的だった。それがクーマの記憶をより確かなものにしていた。

 ラグロクはその後まもなく死んだ。風の噂では狂い死にしたとも囁かれた。だがそれを聞いたクーマは失望した。復讐を果たす相手が突然居なくなったのだ。やり場のない怒りの矛先を何処にぶつけてよいのか分からなかった。そんな折にラグロクの忘れ形見が現れたのだ。クーマは心の中に再び復讐の炎が燃え盛るのを覚えた。

 フェリアが転送基で対宇宙にジャンプしたあの日、フェリアの右目の下の傷を見てクーマは身震いした。かねてから計画していた彼女への復讐が始っているのだ、と。


◇◇◇


 クーマがフェリアに転送基が故障したと告げた次の日、彼は独り転送基の部屋にいた。

「くっ、くっ、くっ」

 クーマはくぐもった嗤い声の後、手にした通信端末を操作する。

 クーマの目の前の空間が揺らいだかと思うと、男達がテレポートして現れた。人数は十二人。皆、地球風の服装をしているが、黒の上下に、黒のネクタイという如何にもエージェントという恰好だ。

「久しぶりだな。クーマ」

 現れた黒服達のリーダーと思しき男が口を開く。

「相変わらずですね。カイ……、いえ『闇の使徒』」

 クーマは眉一つ動かさず答えた。

「前置きは抜きだ。クーマ。今回の仕事はこの十二人でやらせて貰う。全員テレポーターだ。エミッター能力を持っている者は二人用意した」

 『闇の使徒』と呼ばれた黒服リーダーが鼻を鳴らす。些か気負いが感じられる喋り方だった。

「それは随分と大掛かりですね。まぁ、こちらとしては確実性が上がりますから願ってもないことですがね」
「あの『紅月の稲妻』が相手と聞いてな。しかも初体験の対宇宙での仕事だ。念を入れさせてもらった。それなりの報酬は要求させて貰うが文句はないな」
「ふっ……問題ありませんよ」
「オーケーだ。では、仕事内容の最終確認をさせて貰おうか」

 黒服リーダーの要請にクーマは無言で頷くと説明を始めた。

「『紅月の稲妻』ことフェリア・クレイドールは、六セグエント前に向こうの宇宙に行きました」

 一セグエントとは惑星ヴィーダで年月を表わす言葉だ。惑星ヴィーダでも一年を十二等分したものを一ヶ月としている。惑星ヴィーダは、地球と公転周期がほぼ同じであるため、一セグエントは、おおよそ地球の一ヶ月に相当する。

 クーマは説明を続けた。

「フェリアの向こうの世界での名前は『タチバナカグヤ』だそうです。向こうの世界の文字に不案内でも、呼び名が分かっていればどうにかなるでしょう」

 クーマはそう言うと、転送基の端末の隣にあるテーブルに足を向ける。テーブルに無造作に置かれていたプレート型の端末を手にすると、プレートの前面を人差し指でなぞった。プレートは瞬時に地球の立体ホログラム映像を映し出す。

「貴方達への依頼内容は、対宇宙に逃げた『宙の王』の回収です。ですが、一番の難関は『宙の王』の情報思念体が隠れている現地の人物を探し出すことです。残念ながら、貴方達では、『宙の王』を見つけることはできないでしょう。捕捉スコープを使っても、貴方達の情報思念体の波動パターンが邪魔してしまいますからね」

 クーマは、黒服のリーダーの目の前までくると、プレート端末を操作して、次のホログラム映像を出す。そこには智哉の姿が映し出されていた。

「そこで、捕捉スコープを邪魔しない情報思念体の波動パターンを持つフェリアに行っていただきました。彼女には『宙の王』の回収まで命じていますがね。彼女の役目はターゲットの捕捉迄です。回収から先は貴方達の仕事です。この少年は、フェリアが捕捉した現地惑星のターゲットです。彼の名は『キリュウトモヤ』。『宙の王』は彼の中に隠れています。彼を発見したら、速やかに『宙の王』を回収してください。『宙の王』のエミットはお渡しした『クレストⅡ』にお願いします」
「分かった」

 『闇の使徒』の返事に無言で頷いたクーマは続ける。

「現地で、フェリアの居場所を探す時にも『クレストⅡ』を御使用下さい。『クレストⅡ』に彼女の情報思念体パターンをインストールしてあります。彼女に近づけば、『クレストⅡ』が共振して、色が紺からブルーに変わります。正確な位置まではトレースできませんが、目安にはなる筈です」
 
 そこまで聞いて、『闇の使徒』は片眉を僅かに上げた。

「だが『紅月』が俺達より先に『宙の王そらのおう』をエミットしてしまっていたらどうするんだ」
「心配ありません」

 黒服リーダーの耳元で、クーマは囁いた。

「彼女に持たせた『クレストⅡ』には、『宙の王』をエミットできないよう調整してあります。彼女にエミットされることはありません」
「ふん……なら問題ないな」

 『闇の使徒』は深く頷くと更に確認する。

「では、エミットした後、ターゲットの少年はどうする? 口を塞ぐか?」
「それも必要ありません」

 クーマはホログラム映像を切って、プレートを小脇に抱える。

「彼が宙の王を知ったとして何も出来ませんからね。ただ、ターゲットはフェリアが監視しています。エミットの為に彼を連れ去ろうとすれば、彼女が介入してくるでしょう。そのときは……」

「実力行使するだけだ。いや『紅月の稲妻』から先に片づけるべきだな」

 クーマを遮って『闇の使徒』は結論付けた。

「やり方はお任せしますよ。フェリアお嬢さんが戻って来れなければそれでよいのですから」
「ふっ。クーマ。お前と『紅月の稲妻』との間に何があったが知らないが。契約であれば、何も訊かん。任せて貰おう」
「お願いします。本当は三セグエント前に貴方達にジャンプしていただく予定だったのですが、ちょっとした邪魔が入りましてね。今日になってしまいました」

 転送基の脇に取り付けた小さなボックスのランプが赤から青に変わったのをみてクーマは呟いた。

「この『六角転送基』は想像を絶する高い科学技術で創られた素晴らしいシステムですが、エネルギー消費が激しすぎるのが難点ですね。一回ジャンプするとエネルギーの充填に三セグエントも必要なのですから」

 クーマは左手を胸に当てると、右手で転送基を指しながら頭を下げ、『闇の使徒』に出発の時が来たことを告げた。その態度は、少々芝居気に過ぎているようにも見えた。

「エネルギーの充填が終わったようです。御仕度ください」

 クーマの指示に従い、黒服達は次々と転送基に乗り込んだ。転送基は広く、十二人が一度に乗ってもまだ余裕がある。

「帰還の日ですが……」

 黒服が全員転送基に乗り込んだのを確認してクーマは言った。

「次にゲートが開くのは二セグエント後の今日です。お間違えなきように……」

 クーマはフェリアに告げた帰還日より一セグエント後の日を告げた。

「了解した。二セグエント後だな。クーマ

 『闇の使徒』は余裕の笑みを浮かべ復唱する。

 クーマは軽く鼻を鳴らすと身を翻して、転送基の端末の席につく。

「では、始めますよ」

 クーマが転送基を操作する。男達の姿が揺らぎ、やがて転送基は空になった。
  

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