知性の発揮について

日比野庵

知性をコントロールする心

 本を読んだりして得られる知識には性能がある。それは、知の有用性で計ることができて、指向性・深度・賞味期限の3つの軸で表される。その知のブロックの体積が大きいほど性能は高い。

 だけど、知識は知識としてしか存在してなくて、人に使われることで初めてその性能は発揮される。

 知識を扱う主体は知性。知性は知識を運用する。その知性をどの方向に発揮したかで、運用結果は全然違ってくる。

 智慧も悪知恵も、その思考過程では共に知性が働いているんだけれど、その向かう先は全然違う。

 たとえば、国益に関して知性を発揮するとき、同じ国益を目的としていても、自国の強みや他国との関係を冷静に分析して、現実的かつ他国と共存可能な方策を発揮することもできれば、強力なプロパガンダを行って他国を貶めることで自国の国益を計ることもできる。

 知性ってそれだけで無条件に良いものというわけではなくて、使われ方で毒にも薬にもなるもの。

 知性は知識を運用する道具として存在するのであって、知性を更にコントロールするところの心がちゃんとしていないと、とんでもない結果を招く。

 知識を運用するところの知性を更にコントロールするのは心。心のあり方が知性の方向を決める。

 知的正直の大切さにも触れたけれど、心が知を自らの飾りとして使おうとすれば、知性は自らを飾るものとして発揮されて、知性そのものや心を磨くことには使われなくなる。
 

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