知性の発揮について

日比野庵

現代的知的生活のための条件

思索するためには心の平静さがないといけない。精神の自由は、より善く生きるために必要なものだけど、知的生活のためにも必要なもの。

 心の中が雑念や執着で一杯だと、思索したいテーマの居場所がない。雑念や執着だけ思考停止して、思索したいことだけを考えられる人は別だけれど、順序として、思い煩うことのない状態に自分や周りの環境を置いておくように努めるのは大切なこと。

 自分の心の状態をチェックして、悩みごとや執着で心が止まっていないかをみて、そうであれば、まず悩みを解決していくことを考えるべき。心が波立つときって、どうしていいかわからないとき。やるべきことが定まれば、心は落ち着いてゆくもの。

 心の平静さを担保するものって、実は問題解決能力だったり実務能力だったりする。日々のくらしに事欠かない経済力がない場合は別として。

 高い認識力で問題を瞬時に快刀乱麻のごとく断ち切っていくことができれば、悩む時間は物凄く短くてすむ。

 そうしてから次に、ひとりになれる時間と空間を少しでも確保できるような生活を工夫して作っていくことが必要なのだと思う。今の住宅事情では、書斎を持てる人なんて極僅かだろうから、尚のこと工夫しなくちゃいけない。

 皮肉なことだけど、高い問題解決能力を持っている、いわゆる「デキる人」ほど沢山仕事を抱えていて、いつも忙しい。時には家まで仕事を持って帰ったり。

 ただ、そういった、大量の情報に毎日接していて、それを片端から処理していく生活に慣れきってしまうと、逆にいつも情報の洪水に浸かっていないと落ち着かなくなっていくのではないかとも思う。もしそうであれば、その人はだんだんと孤独に耐えられない性格になっていくに違いない。いきおい、一人静かに考え事したり精神統一したりすることが苦手になってゆく。こうなってしまっては知的生活からは程遠い。

 現代における知的生活は、経済力は別として、高い事務処理能力を備えつつ、同時に孤独に耐えられて、ひとりになれる時間と空間を持つことが要求される。とても難しい。 

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