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いつかその手を離すとしても

ノベルバユーザー172401

1 昼休みと過去の

人とはわからない。人間の本心を見抜くことは難しい。
――本人が言ったことが本心であるなどと誰が決めたのか。
少し言葉を変えるだけで、偽りは本人の中で知らないうちに真実へと変わる。本質は歪む。それが真か偽りか、それは本人にもわからないままに。

高校の建物は、意外と隙が多い。
科学準備室は穴場だ。ここの担当は私の腐れ縁で、今はここにいない。タバコを吸わせてもらうには絶好のポイント。
タバコの煙をくゆらせながら思考は戻っていく。私の感情へ、過去へ、過去の記憶へ。
――同僚が抱える出来事を、私は事実としてのみ知っている。そこにあったはずの、あの男の感情を自分が知りたいのかはわからないけれど、ただあの男の思想は時たま不可解だった。
誰にでもあることだとおもう。全てを解りあえる存在などそうそういないということ。
私とあの男は、中学生からの長い付き合いだ。――あの男を、26歳になってまでも放っておくことができないのは私があの男を好きだからだろうか。
果たしてそこに、それ以外の何か感情はあるのだろうか。
残り僅かな缶コーヒーを飲み干した。
カフェオレの甘さがべったりと下にまとわりつく。

――知ったような口を
――俺の全てがわかるとでも、本気で?

いつだったか勇気を振り絞って想いを告げた生徒にあの男が淡々と言い放った言葉を私は思い出した。
のぞき見をしたわけではなく、私がサボっていたところに二人がやってきて始まったのだ。静かに見なかったふりをしてあげたので良いだろう。
あの男の、激情もなにもない、ただ静かな口調。けれどそれは遥かに深く痛く、鋭い刀だった。
女生徒は何を言っていたのか覚えていない。ただ、あの男の言葉だけ鮮明に思い出す。泣きながら去って行った少女の後ろに、私の面影を見た。
過去。傍にいたのに手の届かなかった私の後姿に、良くにていた。

その会話をぼんやりと聞き流しながらもあの男はいつまでも過去に囚われたままでいるつもりなのだろうと漠然と思ったのだった。
生徒に気付かれずにすんでよかった、とほっとしながら死角から男の近くへと寄ったあの日。
今日は、それと逆。私に近づいてきた男は私の指に挟まれている煙草に目を眇めた。

「窓を開けて吸え」
「悪かったわ。一応換気扇つけといたんだけど?…窓開けろだなんて珍しいわね、いつもは開けないでしょう」
「ならどこかで吸ってこい」
「ジョーダン。今喫煙者ってだけで煙たがられてんのに外の、それも高校で開けっ広げに吸ってたら怒られちゃうじゃない」
「どこで吸おうが誰に怒られようがお前は特に気にもとめんだろうが、郁」
「まあ、それはそうだけど。にしても随分ご機嫌ななめねえ?」
「――お前の仕業か」
「あら確認が必要?あんなに開けっ広げに笹原郁って印を残してあげたじゃない」

怒りをあらわにするのは珍しい。
いつもこの男は感情を殺しているから。押し殺して押し込めて、そしてなかったものにしようとする。
そんなことができるはずがないのに。
押し殺した感情は消えずに蓄積されていくのだ。そして、爆発したときが一番恐ろしいとどうしてわからないんだろう。

だからこそ、たまにガス抜きをしなければ壊れてしまうのだ。―――故に、わざと私は男――神崎雪斗をおちょくり、怒らせている。ためこむばかりじゃ体に悪い。
全く、友達思いも甚だしすぎて涙もでてくるくらいの健気さだ。誰か褒めてくれて
もいいんじゃなかろうか?
ちなみに今日の悪戯は、学校ではく上履きを可愛いキャラもののスリッパにすり替えておくことと、本物は職員室の机の下に置くこと。生徒が見ている中で、そういうのを履くのはちょっと頭に来るだろうかとやってみた。最近、ネタ切れしてきたのは認める。

「いい加減にしろと何度も言ってるだろう」
「そう怒らないでよ。可愛かったでしょう?」
「…お前は馬鹿か」

神崎雪斗は気付いていないだろう。
誰よりも聡く傷付き易く潔癖で、更に周りに一歩距離を置き慎重になる癖に、一度心を許した人間に対しては他人に対してすることを一切排除する。神崎の懐にいるものを、神崎は信じ、そして自分からは見捨てない。疑わない。決して。
馬鹿か、と呆れたように言った言葉は、嫌悪はうかんでいない。しょうがないなというような、それ。

「悪かったってば。機嫌直してよ」
「――…2ヶ月昼飯奢れ。それでチャラだ」
「うっわー、えげつなーい。薄給にして酒飲みの私にそれやる?ねえ鬼なわけ」
「だったら最初から馬鹿げたことをするな」
「やあよ」
「……」
「2ヶ月昼ご飯奢りかあ、きついわ。仙道辺りにたかる?あいつ飲み代とか軽くだしてくれるはずよね」
「…どっちが鬼だ。しかもそれはお前を慕ってる後輩だろう。可哀相なことをしてやるんじゃない」
「お酒は私の人生行路のパートナーなのよ?それに仙道は、『郁先輩にならいくら遣っても後悔しないっス!馬車馬のようにこき使ってください!』ってまさかのドM発言されたのよ?これはもう存分に使ってやるしかないじゃない」
「郁、お前はどうして危ないヤツに好かれるんだ」

一瞬、呼吸をするのを忘れる。
いつもはお前と呼ぶし、仕事では笹原先生と呼ぶくせに、名前を呼ぶなんて卑怯だ。
動揺を隠すように煙草を灰皿に押し付ける。

「知らねーわよ。ったく、高校教師よりいい仕事ないもんかしらねー」
「俺に言うな。お前の酒代に消える金で俺は十二分に生活出来るしむしろ貯金もできてるぞ」
「あんたに物欲ないだけじゃない?」
「酒をやめれば済む話だろう」
「人の気も知らないで無茶苦茶言わないでよ」
「笹原がアルコール依存症になったら遠慮なく笑ってやろう」
「そうね、それもいいかもね。酒の事しか考えられなくなるんだものね」
「…末期だな」
「私がお酒だいすきって知らなかった?それより神埼、ご飯まだでしょ、行くわよ」

男の白衣をずるずると引っ張り歩く。
この男は最近物を言わずとも自分から食べる様になった。それは偉い進歩である。

思い出したくもないあの時。時期は高校二年生の夏。夏休みを目前にした私たち。
なんてことない日だった。授業も終わり、放課後を待つだけの気だるい時間。
私は中学生のころから神崎が好きで、でも神崎はそれには気づいていない、友人関係だった。その日も私は神埼と話せることがうれしくて、けれど神埼に最愛の人がいるという事実に傷付いていた日々。
――変わったのは、神崎は最愛の人を亡くしたということ。

神崎は偶然出会った大学生の女性に恋をして、そしてその人と関係を持つようになった。一番近くで見ていたからわかる。あの時神崎は私には決して見せることのない笑顔で笑っていた。私以外の、人に向けた笑顔を。
幸せそうだった。会う時間は限られていて、でもそれでも嬉しそうで。
けれどその表情はすぐにみることなどできなくなった。交通事故で神崎の恋人が死んだからだ。
そして、彼女には本命の婚約者がいてその婚約者とともに亡くなったのだと、自嘲気味に笑う神崎から聞かされた。あの時の絶望は、傷はどれほどのものだったのだろう。愛した人から愛してもらえない傷。愛した人に遊ばれていた事実。選ばれたと思っていたと、自惚れていたのだと自嘲したときの切なさ。
どうしてこんなに傷つけてるのに、それでもまだ神崎の中に居座って、と何度もその人を私は詰った。心の中で何度も、憎んだ。
――それからの神崎はいつも死に急ぐように死に切れないまま生きることを放棄して生きていた。

隣で私はただみていた。
私は見るという選択肢しか与えられなかったのだ。
でも見ているだけでは足りなくて、食事をさせ、外へ連れ出し、拒否されても隣に居座った。
生きていてほしかった。絶望しないでほしかった。私を見てくれなくてもいいから、もう一度あの笑顔を誰かに見せられる人になってほしかった。
少しずつ生きるようになってきた神崎とは何の因果か勤め先まで一緒になってしまった。
偶然同じ大学へ行き教員免許をとり同じ高校で科学を教えている神埼と、国語を教えている私。――私はただの同僚だ。

いずれ、私の手がいらなくなるまではみてやろうと思っていたが、そろそろ手を離してやっても大丈夫だろうか。
神崎の手を離すときが私の恋の終わりなのだ。叶うことなど一生来ない夢を私は中学生のころから抱えて、消せない思いを抱いている。


「お前どこ行く気だ?」
「んー?」
「食堂はこっちだ」
「あれ、…周りみてなかったわ」

自己犠牲も甚だしいがまあ致し方あるまい。
私は神崎雪斗との友人としての生活も気に入っているのだ。たとえそれが、悲しかろうが。

五限目が始まったので学食に人気はない。
食堂のおばさまにカツカレー(これは私)とAランチ(一番安くてボリュームが少ない奴だ、これは神埼)を頼み、すぐに出てきたそれを受け取って席に着く。
食事をする、という行為は生きることに直結する。と私は思っている。
だから、私は神埼を食事に引っ張り出した。少しでもいいから、と。

「なあ、笹原」
「なによ?」
「俺は生きるしかないのか」
「…なあに、まだ死にたいわけ?」
「それがわからんのだ」
「ねえ、これ、おいしそうに見える?」

ずい、とスプーンにのせたカツカレー(一口)を神崎の目の前へ。

「ああ、そうだな」
「じゃあ生きるべきよ。あんた自身は否定するかもしんないけど、モノがおいしそうに見えたり、食べたいって思ううちは身体は生きることを求めてるんだわ」
「……」
「あ!?このばか!」

むんずと掴まれた手。スプーンが神崎の口の中に入り出た時には乗っていたカツカレー一口分は綺麗に消えていた。図らずも間接キスげっと、である。いや何回もやってるから今更気にはしないのだけど。

「笹原、」
「……なによ」
「うまかった」
「…そりゃあ、そうでしょうよ」

むすっとしたままで自分のカレーを食べる。ここのカレーはおいしい。でも癪に障る。
食べ物の怨みは恐ろしいのだ。このカツカレーは私の好物で一口やるのもおしいくらいなのでむーとしたまま返事をしてやった。

「さっきのお返しだ」
「……ばかんざき」
「お前な、今時の高校生の方が大人だぞ」
「食べ物の怨みは恐ろしいのよ!」
「――郁」
「――っ、げほっ、」
「何故噎せる」
「あ、あんたご機嫌ななめのときくらいしか名前呼ばないじゃない!何なのよ?!」
「何って、気分だが」

気分で名前を呼ぶんじゃない。そう言いたい気持ちをこらえる。
全くどうして、こんなに動揺するんだろう。泣きたくなった。名前を呼ばれただけなのに、私は今、どうしようもなくうれしい。

「そうでしょうとも、ええ。気分でしょうとも。びっくりした死ぬかと思った」
「…それは困る」
「はあ?」
「お前にはまだ死んでもらいたくないんだ」

だから、そういうのやめろってんのに。
押し込んだ感情でてくるでしょうが。
私は吐き出しそうなその言葉を辛うじて、口に含んだカツカレーと共に飲み込んだ。



 

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