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いつかその手を離すとしても

ノベルバユーザー172401

4 泣きたいときの

神崎はコートをひっかけて、かろうじて持っている鞄は口が空いていた。
乱れた髪の毛に目をそらす。どうして、今、来るんだろう。来てほしくない時に限って、――泣きそうなときに限って神崎は私の前に来てしまうんだろう。
コートもマフラーも装備した私を気まずげに見ながら、神崎はコートを着なおした。

「…大丈夫か?」
「当たり前でしょ。どうしてここまで来たのよ」

口元を、マフラーにうずめることで隠す。冷たい風が私の顔おを冷やして、ついでに熱くなった目元も冷やしていった。

「どうして、だろうな。…泣いているんじゃないかと思って」
「私が泣こうが、笑おうが、神崎に関係ないわ」
「ああ、そうだ」

自分で言った言葉に自分で傷ついてどうするのだ。笑えない。
神崎はそっとうなずいて、そして私に歩み寄った。
関係ない、という関係が一番堪える。私と神崎は、友人で、けれど全てを共有するほど深い仲じゃない。深いところまで入れない。

「でも、お前が辛そうなところを見るのは、つらいよ。郁」
「…っ、どうしてそこで名前を呼ぶのよ!」
「どうしてって、そうでもしないとお前、このまま一人で帰って落ち込むんだろ」

名前で呼べば、お前はなんだかんだ大人しくなるから。と静かに言った。
ふざけないで、馬鹿じゃないの、言いたい言葉はぐるぐる回るのに私の口は震えるばかりでどの言葉も出てこない。
神崎は、一度懐に入れた人間は無条件で甘やかす。その人が傷付いていたら、無理やりにでも傷を治そうとする。そして、私はきっと、その中に入れてもらっている。
だからこそ、私は今こうして神崎に気にかけてもらっているのだ。
――でも、それじゃ足りない。私の中の好意が、積もり積もった感情は周りと一緒じゃいやだと叫ぶ。
それでも、友人として特別枠にいることへの嬉しさと愛おしさに揺れるから、人間の心という奴は複雑極まりないものだと自嘲した。

こういう時に、考える。神崎は、彼の恋人だった坂上桜をどうやって甘やかしていたのか、特別扱いしていたのか。きっと私との間には天と地ほどの差があって、その差があることに私は空想の中でほっとする。
私がまだ自惚れていないことを、自覚できる。

「飲みに行こう、話さなくてもいい。明日は休みだろう」
「……神埼のおごりなら、いく」
「林原を呼ぶか?仙道にする?」

どうしてこういうときだけ、優しくなるのか。辛い、優しさがしみる。傷口に甘さが触れてそのまま溶け出して、私に触れたところから塩水に代わっていくようだ。ピリピリした刺激が破りそうなくらいに、痛い。
それでも、一緒に飲みに行って時間を共にできる喜びに、私はそっと目を閉じた。
大丈夫だ、噛みしめて胸の中で押しつぶして、お酒と一緒に流してしまえばいい。そうすれば、明日には復活できる。私はそうやって、傷を治してきたはずだ。

「神崎は仙道に来てほしい?あかねは、今日はデートって言ってたからやめとく」
「いや、たまには二人で飲むか」
「……ばかばっかだわ、ほんと」
「なにもされてないな?」

ぼそりとつぶやく。言葉は、私に向けたもの。
『泣きたいときは、頼れ』千崎の声が脳内でフラッシュバックする。でも、私は頼らない。もう同じことはしない。きっと千崎は平気なふりをして傷付くのだろう、私と同じ思いをこれ以上背負わせたくなかった。
だから、私は貰った連絡先をそっとポケットの中で握りつぶす。
神崎に、行くわよ、と偉そうに言い放って先に歩きだした。キス以外はなにもされてない、何かをしたのは私の方だ。キスひとつで傷がついたと騒げるほど私は可愛くない。それよりも、人を傷付けるほうが怖い。
何もされてないな?なんて、聞いてきた神崎の肩にパンチして、笑う。当たり前でしょ!、その言葉は私の口癖のようになっている。

「高いとこにしよーっと」
「他人の金だと思って…」
「貯金しっかりしてるんでしょ、たまには使わないと宝の持ち腐れってものよ」
「笹原、お前な」
「…ありがと、心配してくれて」

ぼそぼそつぶやいた言葉は、しっかり届いたようだ。
ふん、と笑いながら神崎は私と並んで歩きだす。私と神崎の間は、拳二つ分。友達として並ぶ距離。この距離は、中学生のころから変わらない。

金曜日の居酒屋はこんでいる。
何とか席を確保した私たちは早々に注文して、出てくるのを待つ。神崎はよくわからないからと私に注文をゆだねてきたので、神崎が好きそうなものをメインに注文した。
だし巻き卵に、漬物に、ホッケの塩焼きに。私が好きなトマトの串焼きもつけてあとは適当に。
乾杯をすることはない。
淡々と口に運び、話し、そして食べる。私たちの食事はいつもそれだった。
というよりも、癖がついてしまったといってもいいかもしれない。
高校生の時、必要なこととはいえ無理やりに食べさせている罪悪感から、食事中にやたらに話しかけるのを控えていた。今は、それが心地よく感じてしまう。
昔は、会話がないことが不安だったのに。

「――千崎に会った」
「……、どこで」

薄い味のチューハイを飲み込んで私はグラスを置いた。
神崎は枝豆の殻を指でつまんだまま、食べる気配がない。

「公園でて、すぐの交差点で。面識はなかったが、お前と付き合っていたのは知ってる」
「知って、たの?」
「…短かったろ、お前ら。千崎は気付いてたと思うけど、無視された。話したこともないから当たり前だが」
「………」

知っていたのか、ということに意識が持っていかれる。これは、罪悪感かもしれない。
神崎を好きなのに、利用するように関係を持った過去の私の愚行。千崎も神崎を知りながら見ないふりをしたこと。
ぐちゃぐちゃにあわさった気持ちの行方がマイナスの方向へベクトルを向けていく。

「高校の、二年生くらいかな。ちょっとだけだったけど」
「それくらいだったか。…千崎と何かあったのか?」
「…なにも。昔のノートを返してもらっただけよ」

嘘をついた。敏感な神崎のこと、アルコールの回ってうまく隠し事ができていない私の様子位わかっているだろうに。
神崎は、そうかとだけ頷いて日本酒を煽った。
私もグラスを飲み干して、新しいものをもらう。ここでは薄い味のチューハイで十分だ。下手に酔ってしまったら私はきっと、溢れ出した言葉を止めるすべを持たないだろうから。
仙道がいれば、もしくはあかねが居れば、私は酔ったとしても理性的に動けるだろう。けれど、今は二人だけだから。
私が神崎の重荷になることだけは避けなければならないのだ。

「飲まないのか?いつも日本酒やらワインばかり飲む奴が」
「今日はこっちの気分なの、たまにはおいしいわよお」
「悪酔いするなよ」
「明日休みだもん、明日の私に苦労かけるくらい何ともないわ」

肩をすくめた神崎が、だし巻き卵を頬張った。
ねえ、神崎。届かないだろう言葉を胸の中でつぶやく。
好きなもの全部覚えてるよ。何が嫌いかも、知ってる。食べたくなるものを選んで、食べて、そして自分で生きていけるようになった神埼に、私はもういらないかもしれない。
手を離すべきだ。そうして、私もこの気持ちから手を引いて大事に抱えていた好きを、友情としての好きに置き換えてしまえばこんな思いはしなくて済む。
けれど私はその踏ん切りがつかない。
友人としていることがうれしくて、辛くて、けれど好きだと伝えて関係が変わることも怖い。私はそんなジレンマを持て余してこの年になってしまった。26歳、そろそろ結婚を考え始める時期。

「郁、泣くなよ」
「泣いてねえわよ、っていうか郁って軽々しく呼ぶな」
「やめねえよ」
「…なんでよ」
「お前がほっとけないからに決まってるだろうが」

ああ、今この時に私以外の時間が止まってしまったらいいのに。
泣き出したいほどの激情を、グラスを傾けて押し流す。
放っておけない、なんて。馬鹿な人だ。なんてことない言葉でさえも私は甘い餌と勘違いして、そうしてそれに縋り付いてしまうのだ。

「飲みすぎて間違い犯すってことはしないわよ」
「そんなもん当たり前だ馬鹿」

茶化した言葉は真面目な声で返された。
口をへの字にしてトマト焼きを掴む。口の中に入れたトマトは、びしゃっと簡単につぶれた。
それでもきっと、私のこの想いは、このトマトみたいに簡単には消えてくれないんだろう。
だから、せいぜい神崎に大事な人ができるまで私は傍に立っていてやるのだ。立たせて、貰うのだ。





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