話題のラノベや投稿小説を無料で読むならノベルバ

いつかその手を離すとしても

ノベルバユーザー172401

10 ある終わりの日について



――暗転。そして私の意識は沈み、痛みと甘美な優越感が支配する。

私はいつだって愛されたいと思っていたし、愛されるのが当然だと思っていた。
小さいころからほしいものはなんだって手に入って、欲しがればなんだってもらえた。私をみんなちやほやしたし、そうなるように努力だってした。欲しがっているばかりではいけないというのも、私は年を取れば理解したけれど、手に入れられるものがないということはないと思っていた。
だから、最初は何の冗談だろう、と思ったのだ。

「君との結婚は君が20歳を越えてからにしよう。それまでは恋人を作ってくれても構わないし、家に迷惑の掛からない程度に遊んでもらっていい。僕もそうする」
「長い人生を共に歩むんだから、最初から一人だけと決めるのはまだ早いと思わないか?」
「結婚したら、君だけを愛すると誓うよ。もちろん、今だって愛しているけど、一人には決められないんだ」

今振り返ってみれば、なんて自分勝手な言い訳だと思うのに。
あの頃私は高校生で、その人が好きだった。だから婚約者に選ばれたと聞いた時に飛び上るほど嬉しくて、私は選ばれたんだと誇らしかった。何よりも、好きな人に愛されるという日々を想像して心が震えたのに。だからこそ、その甘美さから、私はその要求をのんだというのに。
ふたを開けてみれば、これだ。欲しかったのは私ではなくて、私が持っている家柄が欲しかっただけ。でも幼かった私はそれに気が付かなかった。
――いつか愛してくれる、20歳を越えれば私は愛される。
だから、それまでに私はあの人に愛されるようにたくさんの事を経験すればいい。そう結論付けて、私は高校を卒業した。
大学生になって、彼――塚本崇さんは、時々デートをしてくれるようになった。大人の男性とのデートは私を酔わせたし、君が特別だとささやかれる時間は甘かった。だからこそ、私は成人するまでは見なかったふりをしていようと決めたのだ。――車に散らばる、彼の遊んでいる女性たちの欠片を。たまに香る、女性用のコロンの香を。見せびらかすようにつけられた、首筋ギリギリのキスマークを。私に愛を囁く言葉を、どれだけの人に言っているの?と言いたくなる自分の醜い嫉妬した顔にも。
私は全部全部ふたをして、そして、愛されない欲求を満たすために男の子たちと遊んだ。

神崎雪斗くんは、私が最後に関係を持っていた男の子。私と出会ったのは、確か、本屋さんだったと言っていた。本屋さんで、私は彼の落とした傘を拾って渡して揚げたらしい。私は全く覚えていなかったけれど、それで一目惚れをしたんだと恥ずかしそうに目を緩めたところが私をたまらなく優越感に浸らせた。
神崎君のことは、友達としては好きだった。彼は私を好きだと言ってくれたし、私はそんな彼に私の体を差し出した。自分勝手な利害の一致。きっと神崎君は私が好きだと思っていたかもしれないけれど、友愛だと言えなかったのは、寂しさを埋める温もりを手放したくなかったから。それが間違っていたのだとしても、私は私の寂しさを埋めたくて。

それでも、私は神崎君と外を出歩くことをしなかった。会うのはホテルか、私が持っているマンションの一室でと決めていた。神崎君は切なそうにしていたけれど、見ないふりをした。だって、塚本さんに見られてしまったら嫌だったの。
ただ、何度か、彼の熱意に負けて私は一緒に出歩いたことはある。昼間の町は明るくて、隣を歩く人が塚本さんだったらいいのにと何度も思った。名前を、意識しないと間違えてしまいそうで。
私はあたりさわりのない距離で歩いていた気がする。きっと、彼も気づいていた。でも、どうしても私は外の明るい光の中で恋人同士のふりを出来なかった。ベッドの中ならよかった。やることを始めてしまえば、あとはもう目を閉じてしまえる。脳内はすり切れて、恋人のように甘えてささやかれる愛を甘受すればよかったから。
神崎君は、黒髪で長身の綺麗な男の子だった。歳を重ねれば精悍になるだろうな、という子。明るい日差しの下の彼は、それでも私の王子様にはできなかった。――いつか、このことが分かってしまった時に彼はどんな反応をするんだろう、と。
向けられるのはなんだろう。絶望?後悔?嫌悪?憎悪? そのどれでも、いつか私に向けられたって構わないから、今この期間の中で私が愛を求める間は、私が欲しいものを与えてくれる人がいてほしかった。私は私を愛してくれる人を手に入れるまで、代わりのでもいいから愛が欲しかった。まやかしでもよかったのだ、あまやかな毒さえあれば。

「……ささはら、」
「――なにかあったの?」

呆然としたような声がして、私は思考を打ち切って神崎君を見た。
神崎君は前を見たまま驚きに目を見張って、けれどその顔は、私が今まで見たことないくらいに切ない表情だった。
面白いものを見たような顔をしてしまったかもしれない。ばつが悪そうに、友達が、と口に出した彼の目の先を見た。
――女の子と、男の子。同級生だろう彼らは屈託なく笑いながら立っていた。
髪の毛の長いすらりとした女の子。はっきりとした顔立ちで、目を引く華やかさがある。男の子は今時のカッコいい子、という印象。知っているのはどちらだろう。
男の子が女の子の事を、ささはらと呼んでいたから、きっと知り合いは女の子の方なのだろう。ささはら、神崎君が呼んだ声がやけに甘ったるく感じた。
私たちは、彼らの声が聞こえるくらい近くに寄ってしまっていた。けれど二人とも気が付かない。神崎君は気まずげに、そして眉間に皺を寄せていた。
ああ、と思う。そして、聞いてみたいと思ってしまった。絶対にきかない言葉。――ねえ、私の事を好きなの?本当に?

「桜さん、好きですよ」
「ふふ、ありがと」

でも、私は彼を利用する。私は欲しいものはなんだって手に入れるのだから、そうしたいのだから。
あの後、二人組の男女は道をそれていって、私たちは短いデートを終えた。ただ街中を歩いただけ。そして私のマンションであっさりとした情事をした。そのまま別れて、そして私は初めて感じた虚しさに泣いた。
愛してほしい、私を見てほしい。愛が欲しい人に愛されたいのに、願えばいつも叶った願いがかなわないことへの悔しさにシーツにくるまりながら私は止まらない涙を流した。塚本さん、という涙声で何度も読んだ名前には、決して返事は返ってこなかった。

そのあと、私と神崎君は何度か体を重ねた。気が付けば、私は20歳を越えていたし、塚本さんは私だけを愛しているとは言わず、これ見よがしに彼の遊び相手たちがまとわせる女性ばかりが目についた。もう、地団太を踏んで悔しがることはできなかったし、私は半ばあきらめにも似た気持ちを抱いてしまっていたのかもしれない。
それで終わりにしてしまえばいいのかと、思ったのは。きっと、今の私では手に入らないと思ってしまったからだろうか。いつか、もしかしたらしわくちゃの老人になったら彼は手に入るかもしれない。でも、その時は私もしわくちゃだ。今この、とびきり美しいときに、手に入れたい。
鏡に映った私の目は、昏かった。昏い瞳で見た鏡の中の私は、うっそりと微笑んだ。


「泊りで旅行に連れて行ってくれませんか?あなたと二人で行きたいな。ドライブしながら一緒に行きましょう」
「ああ、なら、今度の連休にしよう」
「海を見ながら走る道がいいです。きっと気持ちいいわ」

最近は全くあっていなかったから、罪滅ぼしの意味もあって私の主張はすぐに通った。彼は年下の恋人を甘やかすように、私の頭を撫でて額にキスをした。
――それじゃあ連休に、旅館も予約しておくから。
その言葉を聞きながら、私は自分の顔がちゃんと笑えているだろうかと心配になった。心の奥で、この間見た、鏡の中で笑う顔が言う。これが最後、きっと、これで。

出かける前の日、私は弟の部屋に行った。独り言をつぶやく姉を訝しげに見る弟を見て、私は満足した。ただ、それだけ。
弟との仲は悪かったけれど、私は別に弟の事を嫌いだったわけではない。好きではなかっただけで。それに、私は彼が私に興味がなくてよかったと思っている。私の言葉を聞いても特別何に気付いたわけでもなかったから、ただひとりごとを話すにはもってこいだった。
きっと訳が分からなかっただろう。私も、わけがわからなくなっていた。
そして私は、塚本さんと乗り込んだ車の中で、最期を想う。

ドライブは順調だった。私の思った通りに、見晴らしのいいコースを選んだ彼は、上機嫌な私に何を想っていたのだろう。
ご機嫌取りは成功した、とでも思っていただろうか。残念ながら、それは正解だ。私は浮かれていたし、何よりも楽しかった。だからこの楽しさを持ったまま、私は腕を伸ばした。
え、という声を上げたのは塚本さん。私は笑いながら、力任せにハンドルを自分の方に回した。助手席側にハンドルをめいいっぱい回せば、車はスピードを出していたこともあって海へと飛び込んでくれる。驚愕に目を見開いた塚本さんは、硬直して動かない。

「愛してくれてれば、よかったのに。でも、これで一緒よね?」

最期だけは、私に下さいね。
うふふ、と笑った私の声は、いつも以上に甘く響いた。そして車は海へと投げ出され、私は執念の様に愛している人を連れて最期の門をくぐる。
これで私の物。私だけの人になってくれた。車に残された、見えない彼女たちへの優越感と、とんでもない空しさと一緒に私は海へと沈んでいく。
愛している、愛してた。私のこの気持ちは、きっと、誰が何と言おうと私が決めたのだから愛なのだ。

そして私は終わり、残された人たちへの思いは特に浮かばないまま、暗転。
私の中にはもう神崎君は居らず、神崎君もまた、私ではない誰かをちゃんと愛せるようになればいいと勝手に思う。それが、彼女だったらいいだろうなあとも思うのは、私の中に僅かばかりに残った罪悪感から来たものだったのかもしれない。






「いつかその手を離すとしても」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「恋愛」の人気作品

コメント

コメントを書く