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いつかその手を離すとしても

ノベルバユーザー172401

15 つないだ手を取る

一度でいいから、来てくれないかなと思った。
不謹慎だけれど、そう浅ましく思ってしまうくらいには、私はまだ現実を受け止められていないのだ。

私は車にひかれ、病院に運び込まれた。
検査の結果、特に命に関わる傷もなく全身の打撲のみ。頭も打っていない、戻った意識もはっきりしている。とのことで、1週間ほど入院となったのだった。
目が覚めて、ずっと付き添ってくれていたあかねに泣かれて、ついでに家族には怒られて。朝になって見舞いに来てくれた坂上先生は悪運が強いですね、と笑っていた。
あかねが電話で、仙道が心配していたと言っていた。後輩にも、心配ばかりかけてしまって申し訳ない。
1人になる病室は、静かで。私は考えないようにしたいことばかり考えていた。
坂上先生が出て行って、ノックの音がして。家族のだれかだろうかと思った時に、開けられたドアから滑り込んできた人影に、私は目を疑った。

「…かん、ざき…?」
「体は、大丈夫か」

私の方を見て、案じるように声をかける。その言葉が嬉しくて、それ以上に切なくて、ついぶっきらぼうな言い方になってしまった。
どうしよう、なんていえばいいんだろう。私はこういう時、どうすればいいのかわからない。
大丈夫だと思っていたのに、もうその決意が揺らいでしまいそう。私は、まだ、神崎が好きなまま。この声が存在が、傍にあるだけで嬉しく思ってしまうという体たらくだ。
そして、私は神崎の声を聴く。言葉を、意味を頭が理解した途端に私の目からは留めていたはずの涙があふれ出ていた。

「郁、お前と未来を歩きたい」
「…っ、神崎、なに言って」
「そうだよな。虫がいいよな。――悪い、俺の勝手な理由でお前を離したんだ。でも、信じてほしい。もう一度俺を見てくれないか。泣かせない、とは言えない。だが、それ以上にお前に傍にいてほしいし、幸せにしたいから」

そっと、私の涙をぬぐう神崎の手が離れて、私の手を握る。
真直ぐに私に降りかかる言葉と、与えられる手のぬくもりにこぼれそうになる嗚咽を必死にこらえた。私は、夢を見ているんだろうか。私にとって都合のいい夢なんじゃないだろうか、と思うくらいに、この言葉は私を優しく抱きしめる。
それでも、夢じゃないと思えたのは。握られた手の温かさと、私を見据える神崎の目があったからだ。
――いいのだろうか、もう一度この手を取っても。私がこの手をつないでも。

「わたし、私は。神崎を、幸せに…できる…?」
「お前、この間言ったよな。自分で幸せを掴めって。俺の幸せは、お前だ。これが俺が選んだ幸せだ。俺が、自分で決めた。
お前の悲しいことも嬉しいことも、全部今度こそ受け止めるから、俺の傍で笑っていてほしい。今度は俺がお前の手を取る。俺は、――郁が、好きだ。お前じゃないと駄目なんだ」

しっかりとつながった手と手の上に、私の涙が落ちる。
神崎、そう呼んだ声は掠れて声だってうまく出せなかったのに、なんだと優しく聞き返すから。
私はまた、声にならない声を上げる。
耳に飛び込むのは、ずっと欲しかったもの。私がずっと思い描いた言葉。
だというのに、私の中の臆病な心が一歩を踏み出すのを怖がる。躊躇して、それでも踏み出したいと右往左往する私を、神崎はじっと待っていた。
せかさず、ただ、そっと、私の傍で。手を握ったまま、神崎は私が動くのを待っている。
見上げた先で見た目は、私を優しく見下ろしている。お前が好きだ、と告げた声と同じくらいに熱の浮かんだ目が。
――だから、もう一度。私が離した手を、伸ばす。

「…つかまえた」
「ずっと、すき。諦められなかった。私、わたし…も、神崎が好き」
「遅くなって、ごめん。傷付けて悪い。泣かせてばかりだ」
「これは、これは…っ、嬉しくて泣いてるの…!」

ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、きっとぐちゃぐちゃの顔で私は痛む体を動かして神崎に寄り添った。
そっと抱きしめられた体の熱さに、これ以上ないほどの思いがこみ上げる。
私がずっと抱いてきた想い達はきっと、このまま私の中にあるだろう。そしてそこに上書きされていくのだ。神崎の弱い所も、強い所も、全部全部好きだという感情が。
捨てなくてよかった。そして、捨てられなくて当たり前だ。生半可なもので捨てられるほど私の思いは弱くなかった。

「お前に、言わなきゃいけないことがある」
「…なに?」
「4月から、異動になる。駅前の男子校だ。――そうすればお前と俺は同じ学校の同僚じゃない。だから、一緒に住まないか」

へ、という間の抜けた声が出た。
異動というのも初耳だったし、一緒に住むというのも、私の中にはなかったことすぎて理解が追い付かない。
少しだけ体を離した神崎が、私の額に口づけた。

「異動は知ってる人の方が少ない。それに、いい機会だ。お前と一緒の学校だと、隠さないといけないだろ」
「そ、れはそうだけど…、心の準備が、ほら」
「いやだ。俺の部屋はそれなりに広いから、越してこい。俺は、お前を離す気なんてもうないんだ」
「プロポーズのつもり?」
「馬鹿言うな。そういう事はここじゃなくてちゃんとする。――だが、まあ、予約させてもらうぞ」

そういうと神崎は私の手をそっと取って薬指に口づけた。
びくり、と動く私に少しだけ笑う。
こういう風に、慣れたらいいとは思っていても、いざこうなってしまうと戸惑いの方が大きいのかもしれない。挙動不審に陥る私を神崎はため息をついてみている。だって、コレは仕方がないのだ。それでも、私は決めた。
神崎と歩いていくことを。離れた手は、もう一度つながったから。もう、離さなくてもいいとわかったから。

「私、神崎の未来に居てもいい?」
「お前がいない日々は、味気ないし、そんな日常を送るつもりもない」
「うん。…私の事、好きになってくれて、ありがとう」

昔、夢見ていた。
好きな人の幸せを願える自分。好きな人と歩く未来、好きな人に好きになってもらえること。
どれもが叶うなんてことがないのだと、泣いた時間もあった。
それでも、そのどれもが叶う未来もあるのだと、あの時の私に教えてあげたい。
私は、今、幸せだと思う。神崎が私の傍にいることが幸せだというのなら、私の幸せも神崎と歩いていくこと。日々を過ごすこと。泣きそうなくらいの嬉しさを噛みしめる。

「ゆめを、みてるみたい」
「…夢にさせてやるわけないだろ」

そうして、私は初めて神崎とキスをした。
初めてでもないのに、初めて見たいにぎこちない私は、それでも満ち足りた気持ちで目を閉じた。ふわふわと、心が満たされる感覚。
好き、と声に出した言葉は、届く間もなく飲み込まれた。







***

「どうしてそんなに緊張してるの?っていうか、こういう事で緊張する神経もってたのね」
「…お前は俺をなんだと思ってるんだ」

スーツと、ワンピース。
仕事できるよりも上等のそれを身に包んだ神崎、余所行きのワンピースを着た私。
確かに、私も同じ立場だったら吐きそうなほどには緊張するだろうけれど。いつも余裕綽々の神崎が珍しいなと思っただけ。
そういうこと、緊張しない性質だと思っていたのは間違いだったみたいだ。

「お前の、家族に挨拶するんだ。緊張しないわけないだろ」
「…うん、そうだね。でも、そんなに緊張しなくても、反対されないよ。むしろすごく喜ばれたし」
「それでも、こういうことはちゃんとしないとだろ」

私と神崎が思いを伝え合ったあれから、一年がたっていた。
神崎は人事異動で男子校に赴任して、私は未だに同じ高校で働いている。卒業式に私は残念ながら出ることはかなわなかったが、そこで神崎はそれはそれはモテたらしい。ソースは坂上先生。
それでも、昔なら冷たく突っぱねただろう神崎が、どういう風の吹き回しかちゃんと対応したというのだから驚きである。珍しいこともあるものだ。
春休み中にたまった仕事を片付けていたら、私が事故に遭う前に神崎が好きだと言っていた女生徒が訪ねてきて、フラれました!と言って去って行った。吹っ切れた顔をしていたから、よかったのだろうか。ただ、先生お幸せに!とついでに付け加えられた言葉に、神崎がどういう対応をしたのかぜひ聞かせてもらいたかったのだが。

そして、春。――私と神崎の薬指にはまる、指輪。
私たちは、もうすぐ家族になる。
そしてそれを私の家族に報告に行くところだ。
歩きながらつながった手は、いつもと同じように温かい。

「お嬢さんをくださいってやるの?」
「…セオリーだな。でも俺はやらないからな」
「しろって言ってないわよ。それに、私が選んだんだからいいっていうよきっと」

きょとん、としてそのあとに、神崎は呆れたように笑った。
つないだ手を揺らしながら歩く。春の風が私たちを通り過ぎて行った。
――こうして、私たちは歩いていくのだ。繋ぎ直した手は、もう離れない。

「――郁?」
「ううん、なんでも」

私の未来に神崎がいるように、神崎の未来にも私がいる。
それが、これ以上ないほどに、幸福だ。






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