自己破壊衝動(タナトス)

みいくらげ

第4章

 人間界にきて150年、もうそろそろ帰ろうか…そう思っていた時だった。


 どこへ行っても

 
 「神様、私をお助けください!」


 ………。

  
………そんな悲痛な叫びばかり…………………


 正直もう、うんざりしていた。


 (この世界も、失敗なのかもしれないな。)


 失望と虚しさで僕の疲れは限界を越していた。


 …帰ろう。


 僕は少しだけ、足を地面から離した。

 
そうだ、僕は人間じゃない。短い間だったが、しばらく人間の姿でいたせいで、自分が重力に逆らっていることに違和感を覚えた。




 「浮いてる!!!?」


 甲高い声が後ろから響いた。


  (しまった…)

 
 どうやら人がいたらしい。もたもたしてないで帰るべきだった。



 「お兄さん…だぁれ?」


 ……。

 ……………………。 


 …………。



 (さて、どうしたものだろう。)



 僕はとりあえず地面に足をつけ、少女の方を振り返った。そして、驚く…


 (綺麗すぎだろ!)


 この子はおそらく奴隷だろう。汚れた服に、無数の傷……それなのに…この子の目は驚くほど綺麗で、キラキラ…という以外、表現のしようがない…ともかく、その潤沢とも言える様子は、よもや人間離れしていた。



 少女はもう一度繰り返す。


 「お兄さん…だぁれ?」


 そこからは、警戒も恐怖も感じられなかった。


 普通の人間なら、いや…この時の人間ならば、悪魔の子だの、魔女だの死神だの、そう言って僕を恐れたに違いない。宙を歩く少年なんて畏怖の対象でしかない。それなのに君の表情はどこまでも真っ白を描き、無邪気にこちらに笑ってる。


 僕は呆気にとられた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 少女の名前は「ティアナ」と言うらしい。


 僕はこの時初めて人間に名を名乗った。


 「アイク」と。


 なぜそう名乗ったかは、僕にも謎だ。


 僕らはそれから、毎週日曜日のこの時間にここに来ては、飽きることなく話続けた。尽きない話は、僕に初めて充実を教えてくれた。その時気づいた。僕は「話すこと」に飢えていたんだ。ずっと独りで旅を続けて、僕はいつの間にかたくさんのことを知っていた。君は僕の話をいつでも楽しそうに聞いてくれた。それだけが幸せで、僕の中で帰るという考えはとうに忘れ去られていた。



 僕は君との時間が愛しくて、それ以外なんてどうでもいいと、本気で思っていた。神様失格?うん、その通りだ。


 ……でも大丈夫。


 神様は所詮神様なので。


 僕には人間の運命を止めることはできなかった。
 君を救うことは、できなかった。




 君に奪われた心は、どうやら僕の中の人間の心だったみたいだ。どんなに君を愛しく思っても、僕は自分が神様であることを忘れられない。あのときあの子を救っていたら、僕は資格を失っていた。僕は個々の運命には手を出せない。神様は万能じゃないんだ。


 
 ぼくはこわかった。あの子を助けて、僕が消えてしまうことが…怖くて、僕は逃げたんだ。



 ある日、彼女は言った。


 「お兄さん、神様でしょ!」


 勝ち誇った顔で僕の目を凝視する少女は、まるで今思いついたかのようにそう言った。



 僕は思った。



 (今さらか。)


 僕は苦笑した。



 「だったら、どうするの?」


 
  彼女は迷いなく答えた。


 「だったら、ありがとう。」



 え…?


 .........?




 「…なんで、ありがとうなの?」



 その質問は予想してなかったのか、彼女は少しのあいだ、考える素振りを見せた。


 
 僕は君が斜め上に浮かべるものを探ろうと、そこに視線を移した。そしてその視線を彼女に戻した時、君は切なそうに、笑った。



 ……………………………。


  ……。



 「この世界が、好きだから…かな?」



 君がゆっくり語り出す。



 「私の弟は、死んだの。お母さんも、いない…だけど、私は生きている。生きて、働くことが出来る。確かに、辛いことの方が多いよ?痛いのも、苦しいのも、好きなわけがない。でもね、それでも私には守りたい弟がいた。それだけが生きる意味だった。それを失った私は、もう、死ぬだけだった………。」


 彼女はゆっくり息を吐く。



 そして、こう続けた。



 「でも、今は…………」



 …………。


 ……。


 そう言うと彼女はこちらを振り返り、僕の頬にそっとその唇が触れた。



 不意打ちだった。



 僕は動揺を必死に隠した。


………………………。


僕は尋ねる。

 
「今…は……?」



 彼女はまた後ろを振り向き、答えた。



 ………………。


 ……。


 「君がいる。」



 その言葉に、僕は泣いた。



 気がつけば彼女も泣いていた。



 僕らは夕暮れの中に閉じ込められた。



 自然と握られたその手を、離したくなくて……




ーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 君が死んだのはその翌月だった。

 

 

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