ご不要な魔導書買い取ります

夙多史

Page-03 是洞古書店

 市の商店街から僅かに反れた裏通りのさらに奥。自転車がぎりぎりで通れるほどの狭い路地を抜けた先がメモ用紙に書かれている住所だった。
 午後の授業を追えた月葉は、特に部活動などはやっていないためまっすぐにそこを目指した。理音と依姫は用事があると言って校門前で別れたので、今は一人である。こんな怪しげな場所に単身突撃させるなんて薄情な友人たちだ、と心中で冗談半分に愚痴ってみる。
「ここで、いいんだよね?」
 誰にともなく呟き、月葉は目の前にある建物を見上げる。木造建築の大きな屋敷が堂々と構えていた。築五十年はあろうかという古風な雰囲気を醸し出しているそこは――
「是洞古書店?」
 玄関の大きな扉の上にある看板に、そう書かれてあった。
「まさか売れってこと? あーでもでも、『是洞』ってことは……自宅?」
 月葉は屋敷の前をうろうろして様子を見ることにした。広めのガラス窓から窺える一階部分がどうやら書店になっているらしく、古い学校の図書室みたいな趣がある。一階に対して比較的窓の少ない二階部分は、恐らく自宅になっているのだろう。
 屋根に留まった三羽のカラスが、月葉を威嚇するように「カァ!」と鳴いた。
 ――な、なんかコワイ。
 そこまで寂れてはいないが、幽霊屋敷と言われたら信じてしまいそうな建物に恐怖心が沸き起こってくる。だが、このまま観察していてもこれ以上のことはわかりそうにない。変質者と思われるのも嫌なので、月葉は勇気を出して店の両開きの扉に手をかけた。
 キイィィィ。
 扉を開く時の古めかしい音がホラー映画を連想させる。時間帯が夜中だったら迷うことなく逃げ出している月葉である。
「……お、おじゃましまーす」
 薄暗い店内に月葉はオドオドしながら足を踏み入れる。古本独特の臭いが充満している店内には、誰もいない。月葉が背伸びしても一番上には届きそうもない本棚が、どうにか人の通れる隙間を残して並んでいるだけだった。
 そんな静謐極まる店内に――カタカタカタカタ。
 プロの料理人が野菜を刻む時に似たリズムで、アニメとかに出てくる骸骨の効果音みたいな音が響く。
 ひっ、と漏れそうになる悲鳴を堪え、音が聞こえる方向を振り向くと――

「だぁあああああああ纏まんないぃいいいいいいいいいいいっ!!」
「ふひゃあああああああああああああああああああああああッ!?」

 突然の大声に、腰が抜けた。
「あら? お客さん? ごめんなさいね、気づかなかったわ――って、大丈夫?」
 L字型の会計台の後ろから、艶のある漆黒の長髪を纏めることなくストレートに下ろした女性が身を乗り出してきた。アルバイトの大学生だろうか、年齢は二十歳前後と思われる。スラリと背が高く、モデルとして雑誌に載っていそうなプロポーション。同性である月葉から見ても文句のつけどころのない美人だ。ついつい羨望の眼差しで眺めてしまう。
「あわ……あわわ……」
 腰さえ抜けていなければ。
「あはははっ、ごめんごめん、驚かせちゃったみたいね。ほら、立てる?」
 ペタンと床にへたり込む涙目の月葉に、会計台を身軽に飛び越えた女性が優しく手を差し伸べてきた。
「あ、はい。……なんとか」
 その手を取ってふらつきながらも立ち上がり、汚れたお尻を叩いてスカートを正す。
「それにしても可愛らしいお客さんね。ウチの弟と同級生くらいかしら? 制服も凛明のブレザーだし」
 薄暗い店内を照らすような明るい笑顔で、女性が月葉を品定めするように見詰めてくる。均整の取れた輪郭に目鼻口が芸術的なまでに配置されていて、ファンデーションすら使ってないらしい白い肌には染みも雀斑も見当たらない。着ているTシャツやジーパンはヨレている上に安物のようだが、それを含めても綺麗な人だということは変わらない。
「えっと、店員さんですよね? なにをされていたんですか?」
 オバケじゃなかったことに月葉は胸を撫で下ろしつつ、気になったので訊ねてみた。
「ん? ああ、ちょっと副業をね」
 女性はどこか照れ臭そうにしながら会計台の裏に回り、椅子に座る。それから台に置いてあったノートパソコンの画面を月葉に見せてきた。先程の音はキーボードを叩く音だったようだ。
 画面には日本語で書かれた文字が縦書きに綴られていた。
「これ、小説ですか?」
「うん、そう。だけど原稿の締切近いのに全っ然話が纏まらなくってね。つい苛立って叫んじゃったのよ。ホント、驚かせてごめんなさいね」
「べ、別に気にしてないです。こちらこそ、変な声上げちゃってすみません」
 ペコペコと頭を下げる月葉に、女性が苦微笑を返す。
「それで、この知る人ぞ知る是洞古書店になにか用? 本探しだったらタイトル言ってくれればどこにあるのかすぐに教えられるけど? あ、漫画や小説は少ないわよ。ほとんど私が頂いちゃってるから」
「いえ、そうじゃなくて。この本を――」
「売りに来たのね。オーケーよ。古書店だから買い取りもちゃんと行ってるわ」
 月葉の言葉は遮られ、カバンから取り出した例の本もスリのような早業で引っ手繰られた。
「本に関してウチはケチつけないからね。物によってはそれなりに……」
 月葉から引っ手繰った本を見るや否や、女性は瞠目して時が止まったかのように数秒間停止する。
 そして――

「あなた、魔術師だったの? ライセンスランクはいくつ?」

 よくわからないことを口にした。
「……へ?」
 ――マジュツシって……なに?
 今度は月葉が呆然とする番だった。
「あっちゃー、その反応からして違ったみたいね。ごめん、今の忘れてくれる?」
 うっかり機密を漏らしてしまったという様子で女性はおでこに手をあててそう言ってくるが、聞いてしまったものは覆せない。月葉の口は自然と疑問を声にしていた。
「マジュツシって、あの魔術師ですか?」
「ああ、やっぱり忘れてくれないわけね。そりゃそうよね。一般人にとってはインパクト大だもんね」
 椅子の背凭れに全体重を預けてぶつぶつと呟いた女性は、開き直ったような顔つきになって月葉をまっすぐに見据えてきた。
「そう、その魔術師よ。あなたがイメージしたもので大まかには合ってると思うわ。あ、でも〝魔法使い〟は行き過ぎよ。箒に乗って空飛んだり、呪文唱えるだけで火の球出したりできるわけじゃないの。そういうことするにしても、いろいろと準備しなければいけないのが私たち〝魔術師〟の面倒なところ」
 月葉は思いっ切りその〝魔法使い〟を想像していた。三角帽子と黒ローブを纏った老婆が箒に跨っているイメージを脳内から追い出し、訊ねる。
「私たちってことは、お姉さんも?」
「そうよ。私はなにを隠そう、魔術師協会『白き明星』公認の一級閲覧ライセンスを持つ凄腕魔術師なのよん」
 語尾をふざけた感じに砕き、ウィンクまでする女性。この微妙に張り詰めた空気を緩くするためだろうが、正直、月葉にはなにがなんだかさっぱりわからない。魔術師はまだいい。信じているわけではないけれど、言葉の意味は理解できる。しかし、『白き明星』やライセンスといった単語は意味不明過ぎて頭の中で混沌の渦を巻いている。
 この人が今執筆している小説の設定ではないのか、そう思う。
「信じられないって顔してるわね。別にいいわよ、信じなくて。この話はここで終わり。それよりこの本、どうも売りに来たってわけじゃなさそうね」
 彼女の言葉に月葉は自分がここへ来た目的を思い出す。魔術師がどうのこうのという話は、月葉にはどうだっていいことなのでひとまず横に置いておく。気になるけれど。
「えっと、実はその本なんですけど――」
 月葉はどうしても開くことのできない不思議な本のこと、それを見せた是洞真夜にこの店の住所を教えられたことなど、ここに至る経緯を掻い摘んで説明した。
 黙って聞いてくれていた女性は、ふぅん、と思案顔になる。
「なるほどねぇ、ウチの真夜がねぇ。そういうことなら依頼は『鑑定』ってことでいいのかしら?」
「あ、はい。たぶん。――って、ウチの真夜?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」女性はキョトンとし、「私は是洞日和これとうひより。この店の店主で、是洞真夜のたった一人のお姉ちゃんよん」
 また砕けた調子で自己紹介してきた。言われてみれば、綺麗な黒髪といい、どことなく是洞真夜に似てなくもない。性格は全然違うけれど。
 それに店主。てっきりアルバイトの人かと思っていた月葉は急激に恥ずかしさが込み上がってくるのだった。
「あ、あの私、来栖月葉です。その、よろしくお願いします!」
 赤面した顔を隠すために頭を下げる月葉。すると女性――是洞日和は「ぷふぅ」と噴き出すように笑った。月葉の羞恥心ゲージがさらに上昇する。
「あはははっ。そんなに畏まらなくていいわよ、月葉ちゃん。面接じゃあるまいし。それじゃ、さくっと鑑定しちゃうわね」
 ぐぐっ。日和は早速手に力を入れて本を開こうとしたが、魔術師と名乗っていた彼女でも開くことはできそうにない。魔術師なら魔術でもなんでも使えばいいのでは? と皮肉めいたことを思いながら、月葉は鑑定の様子をぼーっと眺める。
「ふふっ。これはなかなか、強敵だわ」
 唇を斜に構えて日和は呟くと、コッコッと本をノック。続いて上方に放り投げたり、ぐるぐると振り回したりして本に軽い衝撃を与えようとする。
 それからおもむろに立ち上がると、会計台へ置いた本にビシッと指を突きつけ、
「ちちんぷいぷい!」
 怪我した子供を宥める時のおまじないみたいな呪文を唱えた。
「……」
「……」
 当然のごとく、本にはなんの反応もなかった。
 ――あれ? デジャヴュ?
 月葉は思わず苦笑した。日和の行動は理音に本を見せた時の流れにそっくりだ。
「うーん、参ったわね。中身が見れないことには判断のしようがないわ」
 柳眉を寄せた困惑顔で日和は本の表紙、裏表紙、背表紙という順にチェックしていく。どうでもいいけれど、そういうことは普通振り回す前にやるものではなかろうか。
「ん? 来栖杠葉って……まさか、あの来栖杠葉!?」
 背表紙の擦れた作者名を読み取った日和が目を見開いて素っ頓狂な声を上げた。
「お母さんを知ってるんですか?」
「知ってるもなにも、来栖杠葉って言えば魔術界では有名な魔書作家よ! 十年前に亡くなったって聞いてたけど、こんなところで彼女の魔導書にお目にかかれるなんてテンション上がるわぁ!」
 キャー! なんて黄色い奇声を発して瞳をキラッキラと輝かせる日和。体を気持悪くくねくねさせて本当にテンションがおかしな方向へ振り切れている。それほどまでに月葉の母親の本は彼女にとって珍しく貴重な物だったのだろう。
 それはともかく――また胡散臭い単語が飛び出してきた。
「ま、魔導書ってなんですか! これそんなに怪しい本だったんですか!」
「あれ? 月葉ちゃん、さっき『お母さん』って言った? ということはなに? 来栖杠葉の娘さん? そういえば苗字、来栖だったわね」
 日和は月葉の質問など聞いちゃいなかった。
「でも月葉ちゃんは魔術師じゃないんだよね。そういうことは教わらなかったってこと? 意外ねぇ。絶対に才能受け継いでると思うのに、なんか勿体ないわ」
「日和さん!!」
 バン! 月葉は両手で会計台を強く叩いた。
 それにパチクリと目を瞬かせた日和は、どうやら跳ね上がっていたテンションが急激に醒めてしまったようだ。月葉の狙い通りである。
「魔導書ってなんですか? これ、そんなに怪しい本だったんですか?」
 先程と同じ質問を月葉は幾分か落ち着いた口調で繰り返した。
「そうね。月葉ちゃんが本当にこの本について知りたいって言うのなら、私たちのことをまず〝信じて〟もらわなきゃいけないわ」
「信じるって……?」
 是洞日和が凄腕の魔術師である、と信じろということだろうか。そんな荒唐無稽な話、信じる信じないの前に理解ができない。月葉は人を疑うことを知らない無垢な子供ではないのだ。実際にこの目でその『魔術』とやらを見なければ話にならない。
「そういうことだから、月葉ちゃんにも付き合ってもらおうかな。ちょっと待ってて」
 日和は後ろの壁に設置されていた電話の受話器を取り、ボタンを押してどこかにかける。たぶん、内線だ。
「……あ、マヨちゃん。準備できてる? んもう、怒んないでよ。準備できてるならすぐに出発するわよ。あ、それとお客さん来てるから」
 それだけ言うと、日和は受話器を戻して通話を切った。
 ――マヨちゃん?
 恐らく他の店員だろう。お客がいないとはいえ、流石に店員が日和一人というわけはあるまい。
 待つこと数分。会計横にあったドアが静かに開け放たれ――
「……フン、やはり客というのはお前か」
 不機嫌そうな顔をした是洞真夜が現れた。
「え?」
 月葉はポカンとした。彼は私服ではなく学校の制服のままで、ポケットに手なんか入れて月葉を見下すような目で見ている。自分でここへ来るようにメモまで渡しておきながらなにその態度! と怒鳴ってやりたかったが、月葉の口は別の言葉を紡いでいた。
「……マヨちゃん?」
 真夜を指差し、日和を見る。日和はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていた。
「僕をそんな気持悪い名前で呼ぶな。鳥肌が立つ」
「『真夜』は『マヨ』とも読めるでしょ? 女の子だったらそうなってたらしいのよ」
「僕は男だ」
 真夜の苛立ちが三割ほど増したような気がした。刃物のような目つきで睨まれたが、そんな可愛いあだ名を知ったからには全然怖くない。女装させたら似合いそうだなぁ、と余計なことまで考えてしまう月葉である。
 フン、とマヨちゃん、もとい是洞真夜は鼻息を鳴らす。
「悪いが、急な依頼が入った。お前の本についてはその後だ」
「あー、それなんだけどね、真夜。彼女も一緒に連れて行こうと思うの」
「は? 正気か、姉さん?」
 真夜が無表情を少し嫌そうに歪める。いちいちこちらの神経を逆撫でしてくる態度だ。しかしそんな捻くれ者が『マヨちゃん』……可笑しくてついニヤけてしまいそうになる。
「私は正気よ。どの道、彼女には魔術師や魔書について講義しなきゃいけないでしょう? 手間が省けるじゃない」
「それはそうだが、姉さんもついてくる気か?」
「あら? 月葉ちゃんと二人きりになりたいの?」
「無理です!」
 反射的に月葉は叫んでいた。こんな無礼が人の皮を被って本読んでるような奴と二人きりになった日には、気まず過ぎる空気に堪え切れず押し潰されてしまう。
 そんな月葉に二人ともノーコメントで、何事もなかったかのように会話を再開する。
「店に誰もいなくなる。先月空き巣に入られたことを忘れたのか?」
「一般のお客さんなんて滅多に来ないから大丈夫よ。空き巣だって、あの時より防犯術式を強化したから今度入ってきたら返り討ちにしてやるわ」
「小説は? 締切が近いんじゃなかったのか?」
「息抜きよ、息抜き。それに私が行かないと誰が月葉ちゃんに解説するのよ?」
 くっ、と真夜は押し黙った。確かに彼は人になにかを教えることは苦手そうだ。
 無口無表情で人を寄せつけないあの是洞真夜が、家族とはいえこんなに会話をしている。そのことに新鮮さを感じながら、月葉はずっと気になっていたことを訊ねた。
「あの、日和さん、さっきからどこへなにをしに行く話をしてるんですか?」
「ふふふ、それはね――」
 日和は勿体ぶるように少し間を空け、またも砕けた調子で言う。

「――魔導書の出張買い取りよん」

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