ご不要な魔導書買い取ります

夙多史

Page-08 三日後

 是洞真夜は店の地下書庫に籠っていた。
 店の二階に自室もあるのだが、真夜は自宅にいる間のほとんどの時間を地下書庫で過ごしている。理由は単純、ここの方が落ち着くのだ。
 あれから三日が経ったが、例の魔導書の封印は未だに解析できていない。魔術界屈指の魔書作家――来栖杠葉が仕掛けたと思われる封印は、魔術に対するプロテクトが尋常ではないのだ。
 それでも、徐々にではあるが解析は進んでいる。現在わかっていることは、この封印は魔導書の暴走を防ぐ役割もあることと、日に日に封印の力が僅かずつ弱まっていることだ。
 後者がわかったところで本日の解析作業を終え、真夜は休憩がてら書庫内の隅にあるテーブルで別の魔導書を解読していた。実はこの地下書庫にある魔書は全て売り物で、真夜が今腰かけている椅子とテーブルは客との商談に使うための物だったりする。
 時計を見ると午後七時を回ったところだった。地下にいると時間の経過がどうも曖昧に感じる。
 しばらく休憩していると、ペシペシ。後頭部を薄くて柔らかいなにかで叩かれた。
「……」
 真夜は無視を決め込むが――ベシベシ。更に力を込められる。
 ――鬱陶しい。
「……なんの用だ?」
 振り向かず苛立ちを孕んだ声で問うと、そいつは対面へと回り込んできた。セミロングに伸ばした髪に、ツユクサを模した縹色の髪留めをしている少女だった。濃い緑色を基調としたエプロンを高校の制服の上からかけ、首からはマジックで『是洞古書店 来栖』と書かれた即席のネームプレートが提げられている。
「せっかくコーヒー淹れたから持ってきてあげたのに、態度悪いよ、真夜くん」
 彼女――来栖月葉は、くりっとした目を猫のように釣り上げ、むぅとした表情で真夜を睨んだ。言葉通り左手にはティーカップとミルクと角砂糖の瓶を乗せた盆を持ち、右手には真夜を叩いたと思われる布はたきを握っている。
「掃除道具と飲料物を一緒に持ってくるな。埃が入る」
「入ればいいんじゃないかな? 砂糖五個分くらい」
 笑顔で本音を晒しながら月葉は盆をテーブルに置いた。真夜は先日、彼女の親の形見を取り上げるような真似をしたため、それを根に持たれているのだ。
「というか聞いてよ。日和さんってば全然魔術のこと教えてくれないんだよ。小説の方が忙しいのはわかってるんだけど、これじゃあ約束が違うと思わない?」
 月葉は二日前からこの是洞古書店でアルバイトをしている。しかしそれは建前上であり、本来の目的は是洞日和――真夜の姉から魔術師となるためのイロハを教わることである。やかましくて迷惑千万だ、と真夜は思うが、自分が原案を出したようなものだから今さら文句は言えない。
「……」
 真夜は月葉の愚痴に対してなにも言わず、コーヒーにミルクをたっぷり注ぐと、角砂糖の瓶を傾けてボトボトと適当な数を放り込んだ。
「うわっ、真夜くん、それ砂糖入れ過ぎじゃない? 糖尿病になっても知らないよ?」
「魔書の解読には頭を使う。糖分は必要だ」
「それにしても多いと思うけど……十個以上あった瓶に三個しか残ってないし、飽和してるし」
 月葉は味でも想像したのかしかめっ面をしている。そんな彼女になど構わず、真夜は甘ったるいコーヒーを平然と口にするのだった。
「ところでお前、僕に愚痴を零しに来ただけか?」
「お前じゃなくて『月葉』。ちゃんと名前で呼ばないと日和さんが怖いよ?」
 愉快そうな笑みを浮かべる月葉に指摘され、真夜は苦々しく舌打ちした。
 事の発端は二日前、月葉のアルバイト初日に日和が『是洞は二人いるから月葉ちゃんもこの坊主を「真夜」と呼びなさい』と言い出したことだ。そのとばっちりで真夜も彼女のことを名前で呼ぶように命令されてしまった。
 ――いい迷惑だ。
 当然、そう思った真夜はコンマ二秒で却下したが――
『ほほう、お姉さんに逆らうと毎日手料理を食べさせるわよん?』
 などど脅迫されては真夜も首を縦に振るしかない。日和の料理は上手下手という言葉とは次元が違う。料理を魔術的に作成するためいろんな意味で危ないのだ。その証拠に、昨日好奇心で日和の手作りクッキーを食べた月葉が三十分ほど麻薬中毒者のようにトリップしていた。
 だが一番いただけないのは、名前を呼ばれて嫌がる真夜を月葉が面白がってしまったことだろう。
「ほらほら真夜くん、昨日の私みたいになりたくなかったら私の名前を言ってごらん?」
「子供かおま……月葉は」
 別に名前で呼ぶことに抵抗はない。ただ、慣れていないだけなのだ。
「よろしい」と勝ち誇ったように胸を張る月葉。最近彼女が姉に影響されつつあることは真夜にとって悩みの種だった。
「私はちゃんと仕事で来たのです。で、真夜くんは仕事もせずになにを読んでるの?」
 さり気なく嫌味を含ませた月葉が覗き込んでくる。真夜は開いていた魔導書を閉じ、
「この前紀佐桐吾から買い取った〝雷獣〟の魔導書だ。魔術師協会に申請した所有者登録が完了したからこうして解読している」
「あれ? それも売り物だよね? 勝手に解読しちゃってもいいの?」
「なにかあった時のために売り手側も魔書を理解しておく必要があるんだ。だから魔書の販売は一級以上のライセンスを取得している魔術師がいないとできないことになっている」
「ふぅん」
 納得しているのかしていないのか、適当な返事をする月葉。
「わかったなら話しかけるな。邪魔だ」
 言うと、月葉はムッと唇を尖らせた。
「この地下室もお店なんだよね? お掃除するから真夜くんも私の邪魔しないでよ」
「! やめろ! 余計なことはするな!」
 早速布はたきで棚の埃を落とそうとした月葉を、真夜は語気を強めて制した。突然の大声に月葉の肩がビクリと跳ねる。
「余計って……店内のお掃除はバイトの仕事なんだけど?」
「それは上だけでいい。ここはただの書庫じゃない。魔書の収容庫だ。知識のないやつが勝手に弄ると魔導書の暴走を引き起こすかもしれん」
 先日のことを思い出したのか、『魔導書の暴走』と聞いた月葉は顔面を蒼白させて布はたきを引っ込めた。
「地下は僕が管理しているから、お前は姉さんの手伝いでもやっていろ」
 突き放すような口調で言った真夜に、月葉は拗ねたように頬を膨らませた。
 そのまま立ち去ろうとする彼女だったが、なにかを発見した様子で戻ってくる。
「ねえ、真夜くん、そこの魔導書ってもしかして私の?」
 月葉はそう言いながらテーブルに置かれた魔導書を指差した。
「そうだ。言っておくが、まだ教えられることはなにもないぞ」
「まあ、それはわかってるんだけど、ちょっと見せてほしいなぁって思ったりして」
 そーっと慎重に手を伸ばしてくる月葉から、サッと真夜は魔導書を遠ざけた。
「ムッ」
 眉を吊り上げた月葉が対抗して魔導書に掴みかかってくるが――サッ。
「ていっ!」
 サッ。
「そこっ!」
 サッ。
「ムキーッ!」
「お前はサルか」
 いい加減にウザったくなったので、真夜は魔導書を〝書棚〟へと収めることにした。
「ああっ!?」
 空間に消える魔導書を見て愕然とする月葉。真夜が所有する魔術的空間――〝書棚〟に仕舞えば彼女にはもうどうすることもできないのだ。
「フン、奪い返そうなんて考えないことだ」
 わかりやす過ぎる月葉の行動に真夜は短く溜息を吐いた。
「むぅ、マヨちゃんのイジワル」
「なっ、僕をその名で呼ぶな!」
 ギロっと人を殺せそうな視線で睨んでやると、月葉は「あはは」と笑いながら駆け足で地下から逃げ出すのだった。
「まったく、本気で鬱陶しい奴だ」
 真夜がそう漏らした直後――

『ちょっと日和さん! さっき片づけたのになんでもう散らかってるんですかっ!』
『いや違うのよ月葉ちゃん! これには魔術的な深い意味があってね』
『小説書くのに魔術いるんですか! 嘘つかないでくださいっ!』

 開けっぱなしの鉄扉の向こうから、女子二人の大声が地下まで届いてきた。
「……なんというか、あいつは書店の店員というより――」
 呆れ口調の真夜はぽつりと独りごちる。

「――母さん、みたいだな」

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