ご不要な魔導書買い取ります

夙多史

Page-20 意外な手助け

「あっ!」
 逃げ遅れた母子のいるベランダに真夜の姿を見つけた月葉は、ひとまず不安心が薄らいで自分でも眉が晴れるのを感じた。
 野次馬たちからも歓声が上がる。誰もかれもが真夜をヒーロー扱いしている。知り合いを誉め讃えられて月葉も悪い気分ではなかった。
 子供を背中に乗せ、母親をお姫様だっこした真夜は――
「えっ……」

 高さ五十メートルは優に超えている十六階のベランダから、飛び降りた。

「ええええええええええっ!?」
 彼の予想外の行動に吃驚した者はなにも月葉だけではない。先程まで彼に歓声を送っていた野次馬たちも皆、度肝を抜かれた表情で呆然としている。そんな中でただ一人、日和だけは「あちゃー」と高価な花瓶を割ってしまった時のような声を出していた。
 落下中、真夜は母親を片手に預け、空間から一冊の魔導書を取り出す。彼がそれを開いた瞬間――
 ふわり、と。
 三階ほどの高さで、落下の勢いが急に和らいだ。まるで上からワイヤーで吊るされているように、彼はゆっくりと降下して地面に足をつける。
 静まり返る場。
 誰もが、今の非現実を理解できていなかった。
「一体、なにが……?」
「〝浮遊〟の魔導書よ、月葉ちゃん」
 日和が野次馬たちには聞こえないよう月葉の耳元で囁いてくる。
「その名の通り、術者にかかる重力を無視して空中に浮かぶことのできる魔導書よ。真夜が万全なら浮かぶだけじゃなく空だって自在に飛べるわ」
 そんな魔導書まであるとはもはやなんでもアリだ、と月葉は思った。
「だけど、マズいわね。見られたわ。こんなに大勢に、はっきりと。あーもう! こうなるってわかってたら人払いの準備してたのに!」
 がりがりと綺麗な黒髪を掻き乱す日和。彼女も人払いを普通の魔術で使えるらしい。しかしそれには事前の準備や決められた手順が必要な上、なによりもう遅い。
 野次馬たちが騒ぎ出す。
 母子を地面に下ろした真夜は、その場に無言で突っ立って野次を浴びている。その野次に非難めいたものはないが、好奇心と恐怖心が入り混じって真夜でなくとも居心地が悪い。
 ――みんなやめて! 真夜くんを困らせないで!
 月葉が心の中で叫んだその時だった。

 月葉、真夜、日和以外の人々が淡い光を纏った。

 その光は一瞬で消えたが、同時に真夜へ浴びせかけられていた野次も収まった。皆、不思議そうな顔をして近くの人となにかを確かめ合っている。
「まったく、なにをしているのかね、君たちは?」
 聞き覚えのある、紳士然としていながらも無駄に偉そうな声。
 振り向くと、銀髪のロン毛をしたスーツ姿の外国人が呆れた様子で歩み寄ってきていた。
「アドリアン……さん?」
 彼は先日、月葉に母親の魔導書を譲ってくれと頼んできた魔導書使いだ。少々強行的な手段を取ってきた彼は、真夜によって返り討ちに遭い、今は月葉が自分から譲ってくれるのを待つしかない状態となっている。月葉に譲るつもりなど毛頭ないけれど……。
「対策もせずに一般人の前で魔術を使うなど、なにを考えているのだね?」
 アドリアンは一冊の魔導書を脇に抱えており、切れ長の青眼で月葉と日和を交互に見た。真夜とは目を合わさないようにしている気がするが、きっと気のせいではないだろう。
 日和が目を細める。
「あら? それをあなたが言うのかしら? 月葉ちゃんに〝曝露〟の魔導書を使ったことは棚上げ?」
「うっ……」
 渋面を浮かべるアドリアンはぐーの音も出ないようだ。
「それ、〝忘却〟の魔導書ね。いいもの持ってるじゃない。売ってくれないかしら?」
「ば、馬鹿を言わないでもらいたい、是洞日和氏。私は一度手に入れたコレクションを手放したりはしないのだよ」
「私に〝曝露〟を使った謝罪ってことでいいわ」
「君、どれだけ私から金を取ったと思っているのかね?」
 日和はすっかり安心し切っている様子だ。〝忘却〟の魔導書……名前からして人の記憶を消すような効果があるのだろうと月葉は考えた。実際に月葉たち以外の人々はなぜ母子が助かっているのかわからないといった雰囲気になっている。
「貴様、なにをしにここへ来た?」
 戻ってきた真夜がアドリアンの長身を睨め上げるようにして言う。
「せっかく助けてやったというのに、君はまったくもって無礼だね。私はたまたま通りかかっただけだ」
 アドリアンは不遜な態度を取りつつも、触れると切れそうな空気を纏っている真夜から一歩離れた。この前の決闘がトラウマにでもなっているのかもしれない。
「だいたい君ならあんな真似などしなくともよかったろうに、なぜわざわざ飛び降りたのかね?」
「フン、貴様に話す義理はない」
「いや、あると思うのだが?」
 後始末をしてくれたアドリアンには事情を話してもいいと月葉も思うのだが、真夜は隙を見せたくないようだ。
「あの、アドリアンさん、ありがとうございました」
 ペコリと月葉はお辞儀する。「そんな奴にお礼言う必要ないわよ」と日和が呆れているが、助けてくれたのだから誰かが言わないといけない。真夜も日和も絶対に頭を下げないから、代わりに月葉がやるしかないのだ。
 一番恨まれていてもおかしくない人物に礼を言われ、アドリアンは戸惑ったように踵を返す。
「まあいい、今後は気をつけたまえ」
 気障ったらしく言い残して、彼は人ごみの中へと消えていった。
「あっ、そうだ真夜くん、逃げ遅れた人ってあの親子だけだったの? お金持ちの人は?」
 子供とその母親が助かってほっとしたので失念していたが、肝心の暴走した魔導書の持ち主はどうなったのだろう。真夜が助けなかったということは、いなかったか、やはりもう亡くなっていたのか……。
 真夜は例によって鼻息を鳴らし、
「そのことだが、不可解な点がある」
「不可解な点?」
「ここでは話せん」
 眉を寄せる月葉に真夜はそう言い、人ごみを避ける道を選んで商店街の方向へと歩き始めた。
 が、その肩を日和に掴まれる。
「待ちなさい、真夜。向こうに車を止めてあるわ。話はその中で、店に帰りながらにしましょう」
「車……」
 ニッコリと微笑む日和に、真夜はいつもの無表情を少し嫌そうに歪めて振り返った。

 精神的疲労に車酔いが追加され、結局真夜は車内で一言も喋らなかった。

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