ご不要な魔導書買い取ります
Page-21 是洞姉弟
「それで、なにが変なわけ?」
是洞古書店に到着すると、会計台の椅子に座った日和がノートパソコンを起動させつつ真夜に問うた。
「これだ」
真夜は〝書棚〟から三冊の魔導書を取り出し、会計台に乱雑に積まれた資料本――日和が出しっ放しにして片づけてない――を脇に除けて作ったスペースに置いた。
それにしても酷い有様である。会計台は今みたく資料本を除けないと物が置けないし、日和の足下にはお菓子の袋やら空き缶などが踏み場もないほど散乱している。客から見える位置は真夜が片づけてくれているのか意外と綺麗だったが、日和も少しは自分でごみの処理をしてもらいたい。
――ああ、お掃除したい。
なんて月葉は思いもするけれど、今はそれどころではないので口には出さなかった。
「これ……全部〝火弾〟の魔導書?」
「そうだ。そして、今回回収した暴走魔導書だ」
三冊の魔導書を検分する日和に真夜は頷いた。日和は深刻そうに息を吐く。
「同時に三冊の、それも全部同じ種類の魔導書が暴走するなんて偶然、あるのかしら?」
「そんなにおかしいことなんですか?」
眉間に皺を寄せている日和に、事の重大さがさっぱりわからない月葉は小首を傾けて説明を求めた。
「おかしいわよ。カードゲームじゃないんだから、同じ魔導書を三冊も集める意味がわからないわ。そんな非合理的なことをする魔術師なんて私たち魔書の販売をやってる者くらいよ。まあ、持ち主が一般人だったから偶然そうなったのかもしれないけど、確率はかなり低いわね」
「あ、でも、〝火弾〟の魔導書二刀流、みたいな感じに使ってたんじゃないですか?」
月葉は真夜が二冊の魔導書を同時使用していたことを思い出しながら、両手で二刀流のジェスチャーをする。
その月葉の動きに日和が、ぷはっ、と吹き出した。
「それはないない。魔導書の多重使用って高等技術よ? 三冊も同時に使用できるレベルの魔導書使いなら、もっと上位の魔導書を使った方が強力だし負担も軽いって知ってるわ」
「そ、そうですか……そうですよね」
無知だから仕方ないとはいえ、月葉はジェスチャーまでした自分が気恥ずかしくてきゅっと縮こまった。
「今回の件は何者かの意図を感じる」真夜は日和に視線をやり、「姉さん、依頼人の連絡方法は文書かなにかだったのか?」
「いいえ、電話よ。だけど、ぐぐもってて機械で変えたような声だったわ。ウチは訳ありのお客さんも時々来るから、最初は『なにこいつ?』くらいしか思ってなかったけど、これはどうも怪しいわねぇ。」
マンションの上層を借り切っていたお金持ちは初めから存在しなかった。真夜と日和の会話の流れではそうなっている。
「もしかしてだけど、日和さんに恨みのある人が魔導書の暴走を利用して日和さんをその……殺そうとしてたんじゃ……?」
「――ッ!?」
月葉の根も葉もない予想を聞いた真夜がハッとする。
「違う、そうじゃない」
なにかに気づいたらしい彼は、会計台の横にあるドアを開けて地下書庫へと潜っていった。
唐突な彼の行動に月葉はポカンとする。
「違うって……なにが?」
「そりゃあ、『僕のお姉ちゃんは人に恨まれるようなことなんてしてないやい』って意味でしょうね」
ニコッとなにかを奥に隠したような笑顔を見せる日和。絶対そんな意味じゃないだろうし、恨まれることやってそうだ、と月葉は思ったが閉口することにした。日和の笑顔がなんか怖い。
そのまま五分が経過したが、真夜が戻ってくる気配はない。
日和は伊達眼鏡をかけてカタカタとパソコンのキーボードを叩いている。その余裕な横顔からして、小説の締切は開き直って破る気満々といったところだ。
会話が途切れると立っているだけの月葉は非常に気まずい。こうなったら掃除をやってしまおうと床のごみに手を伸ばした時、日和がおもむろに口を開いた。
「それにしても、今日は真夜も無茶したわねぇ。普段はあんな子じゃないんだけど、まあ、逃げ遅れたのが親子だったんじゃあ仕方ないわ」
――親子だったから?
日和の言葉に引っかかるものを感じた月葉は、掃除を一時中断してこれまで訊かないようにしていたことを口にする。
「あの、日和さん、変なこと訊いてもいいですか?」
「ん~? なにかな?」
「えっと、日和さんたちのご両親って今、どうされているんですか?」
月葉はずっと疑問に思っていたのだ。この是洞古書店で暮らしているのが日和と真夜の姉弟だけだということを。月葉は時々空気を読めないこともあるが、そういう他人の事情にずかずかと踏み込んでいけるほど無神経ではない。だから、黙っているつもりだった。
日和が月葉を見てニヤっと笑う。
「知りたい?」
「え、あ、その……言いたくなければ、言わなくていいです」
「あはは、遠慮しなくていいわよ、月葉ちゃん。――って言っても無理か。そうね、月葉ちゃんの想像通りだと思うわ。私たちの親はもういない」
最悪の想像が当たってしまい、月葉の表情が暗く染まる。日和は『気にしないで』とでも言うように優しく微笑み、続ける。
「あれは真夜が小学校に入った頃だったわ。私たちのお母さんは魔導書使いだったんだけど、強力な魔導書を使おうとして失敗したの。それでその魔導書が暴走して、お父さんも巻き込んじゃって、二人とも帰らない人になっちゃった。お祖父ちゃんの代から続いているこの店とお金、そして私たち姉弟だけを残してね」
日和は窓の外を見やり、打ち明けるように語っている。話のあまりのヘビーさに月葉はゴクリと息を呑んだ。幼い時に両親を亡くしているから、真夜は逃げ遅れた母子を見殺しにはできなかったのだろう。その気持ちは月葉にも痛いほどわかる。
「まあ、普通なら親のそんな姿を見たんじゃトラウマになるわね。魔導書なんかに触れたくないって思うかもしれない。だけど、真夜は違った」
日和はそこで一呼吸置き、過去を懐かしむように言葉を紡ぐ。
「親の無念を晴らすっていうのかしらね。とにかく真夜はどのような魔導書でも読み解いて扱える魔導書使いを目指すようになったの。そして現実にあの子は僅か十一歳で特級閲覧ライセンスを取得したわ。史上最年少。まさに天才ね」
気のせいか、窓に映る日和の表情が哀愁の色を帯びたように見えた。
「そんな弟を見てたらさ、お姉さんだけショック受けてるわけにもいかないじゃない? だから私も頑張って一級まで上り詰めたってわけ。それに、私も真夜も大好きなこのお店まで失いたくなかったのよ。そういう気持ちも強かったから、頑張れたんだと思う」
簡単にだが二人の過去を聞き、やはり踏み込むべきじゃなかったと月葉は思った。しかしその反面、より一層二人に近づくことができたという喜びもあった。なんとも言えない気分になる月葉は、日和にかける言葉を見つけられないでいた。
掃除も忘れて突っ立っていると、テンションと笑顔を普段通りに戻した日和が月葉に振り返る。
「月葉ちゃんってさ、私たちのお母さんに似てるのよねぇ」
「へえ、お母さんに……って、ええっ!? わ、私がですか!?」
衝撃的なカミングアウトにすっ転びそうな勢いで狼狽える月葉。日和はそんな月葉をからかうような目で見詰め、
「うん。一生懸命でしっかり者、でもなんとなく放っとけない感じのところとか特にね。あの坊主が必死になるのもわかるわぁ」
「誰が必死になっているだと?」
ギクリ、と日和の表情が固まった。なんと答えればいいかまごついていた月葉の肩もビクゥ! と跳ねる。
会計台横のドアの前に立った真夜が、無感情な黒瞳で月葉たちを睥睨していた。
「姉さん、余計なことを話したな」
視線という刃物が日和の首筋に添えられる幻を月葉は見た気がした。
「い、いやねぇ、マヨちゃん。ちょろっと昔話をしてただけよん」
「僕をその名で呼ぶな」
不機嫌そうに言い返す真夜はいつもの真夜だった。これでも精神的にかなり消耗しているなどと、月葉にはとても信じられない。元々感情を声には出しても顔には出さない彼だから、付き合いの短い月葉では判別できないのだ。
真夜は口を開く前によくする癖――フン、と鼻息を鳴らした。
「とにかく、そのことはもういい。もっと重大な問題がある。――今調べてきたが、魔導書が何冊か盗まれていた」
「「――ッ!?」」
月葉と日和は驚愕に大きく目を見開いた。
「嘘でしょう? 私はちゃんと防犯術式を起動させてから店を出たわよ?」
「その防犯術式は全部灰になっていた」
「灰?」
真夜の意味のわからない言葉に、日和が柳眉を曇らせる。
「見ればわかる」
そう言う真夜についていき、地下書庫へと続く階段を見た月葉と日和は――愕然とした。
階段が、左右の壁が、天井が、微かに黒みがかった白色の粉で覆われていたのだ。まるでここで小麦粉の入った袋を爆発させたような惨状である。一人分の足跡がついているけれど、それは真夜のだろう。
「なによ、これ? どういう魔術を使ったらこうなるのよ?」
一級魔術師の日和でもすぐには看破できないらしい。当然、まだ魔術師ですらない月葉にも不可能だ。
「地下書庫はもっと酷い状態だ。盗まれた魔導書の正確な数と種類は詳しく調べてみないとわからないが、全て二級以上だろう」
真夜が淡々と分析を述べる。だが、その声は微かな怒りを孕んでいるように聞こえた。是洞姉弟にとって両親の形見である大事な店が荒らされたのだ。たぶん、彼の内心は相当に激怒していると予想できる。
「犯人は偽りの依頼で姉さんを店から追い出し、その隙に盗みを働いたといったところか」
「あ! だから真夜くん、さっき『違う』って……」
そこにすぐ気がつくとは、いよいよもって彼が精神的疲労を患っていることが怪しくなってきた。たいして疲れてもいない月葉でも思い至らなかったのに……。
「恐らく以前に入られた空き巣と同一犯だ。あの時は入られた形跡があるだけでなにも盗まれなかったが、それは下見だったからだろう」
月葉は初めて是洞古書店を訪れた時のことを思い出す。
『店に誰もいなくなる。先月空き巣に入られたことを忘れたのか?』
是洞姉弟が気にかけていなかったので月葉も軽く流していたけれど、真夜は確かにそう言っていた。
「ふふふ、誰だか知らないけどやってくれたわね。私たちに喧嘩売ろうなんていい度胸じゃないの」
憤る日和が不敵に笑ってどこかへ行こうとする。その彼女の腕を真夜が掴んで止めた。
「待て、姉さん。闇雲に捜して見つかるわけがないだろう。まずは盗まれた魔導書の確認と、協会に盗難届けを出すことが先だ」
冷静な真夜に諌められた日和は、「そうね」と身を翻して地下書庫に向かった。盗難にあった魔導書をチェックしてくるつもりだろう。
真夜は日和が階段の奥に消えたことを認めると、今度は月葉の方に顔を向ける。
「あとは姉さんに任せておけばいい。僕はもう休む」
「やっぱり、疲れてるの?」
「見ての通りだ。わかれ」
見て判断できないから月葉は確かめたのだ。
「ああ、そうだ。休む前に、今日お前を呼んだ件をさっさと済ませておく」
思い出したようにそう言い、真夜は〝書棚〟から来栖杠葉の魔導書を引き抜いた。月葉は訝しげにその様子を見ていたが――
「……あっ」
「……お前、忘れていたな?」
口元を手で隠した月葉は、呆れた口調の真夜に睨まれてしまった。取り繕うように月葉は愛想笑いを浮かべる。
「ううん、覚えてたよ。ちゃんと。うん。それより真夜くんこそ、私を名前で呼ぶこと忘れてない?」
「話を摩り替えるな」
まあいい、と溜息をついた真夜は――すっ。手に持った魔導書を月葉に渡してきた。
「へ?」
わけがわからず素っ頓狂な声を上げる月葉。
「解析は昨日で終了した。封印は明日の十八時に自動的に解除される。お前はその瞬間にこの魔導書の近くにいろ」
「はい? って、いいの? 魔術師じゃない私が持ってて。間違って暴走させちゃったりしたら……」
「安心しろ。明日だけは見逃してやる。それから、その魔導書は暴走しない」
ますますわけがわからなくなり、月葉は頭上にいくつもの『?』を浮かべた。
「僕がこれ以上詳しく語ることはできない。可能ならばその時間に一緒にいてやるが、明日は盗難の件で忙しくなる。自分の目で確かめろ」
「ちょっ!? なにそれ!? もっとわかりやすく説明してよ!?」
「僕はもう寝る。明日は学校も休むつもりだ。なにかあれば店に来い」
それだけ言い残すと、真夜は二階にある自宅へと上がっていった。
「な、なんなの……?」
困惑する月葉は、しばらくその場で渡された魔導書を見詰めていた。
是洞古書店に到着すると、会計台の椅子に座った日和がノートパソコンを起動させつつ真夜に問うた。
「これだ」
真夜は〝書棚〟から三冊の魔導書を取り出し、会計台に乱雑に積まれた資料本――日和が出しっ放しにして片づけてない――を脇に除けて作ったスペースに置いた。
それにしても酷い有様である。会計台は今みたく資料本を除けないと物が置けないし、日和の足下にはお菓子の袋やら空き缶などが踏み場もないほど散乱している。客から見える位置は真夜が片づけてくれているのか意外と綺麗だったが、日和も少しは自分でごみの処理をしてもらいたい。
――ああ、お掃除したい。
なんて月葉は思いもするけれど、今はそれどころではないので口には出さなかった。
「これ……全部〝火弾〟の魔導書?」
「そうだ。そして、今回回収した暴走魔導書だ」
三冊の魔導書を検分する日和に真夜は頷いた。日和は深刻そうに息を吐く。
「同時に三冊の、それも全部同じ種類の魔導書が暴走するなんて偶然、あるのかしら?」
「そんなにおかしいことなんですか?」
眉間に皺を寄せている日和に、事の重大さがさっぱりわからない月葉は小首を傾けて説明を求めた。
「おかしいわよ。カードゲームじゃないんだから、同じ魔導書を三冊も集める意味がわからないわ。そんな非合理的なことをする魔術師なんて私たち魔書の販売をやってる者くらいよ。まあ、持ち主が一般人だったから偶然そうなったのかもしれないけど、確率はかなり低いわね」
「あ、でも、〝火弾〟の魔導書二刀流、みたいな感じに使ってたんじゃないですか?」
月葉は真夜が二冊の魔導書を同時使用していたことを思い出しながら、両手で二刀流のジェスチャーをする。
その月葉の動きに日和が、ぷはっ、と吹き出した。
「それはないない。魔導書の多重使用って高等技術よ? 三冊も同時に使用できるレベルの魔導書使いなら、もっと上位の魔導書を使った方が強力だし負担も軽いって知ってるわ」
「そ、そうですか……そうですよね」
無知だから仕方ないとはいえ、月葉はジェスチャーまでした自分が気恥ずかしくてきゅっと縮こまった。
「今回の件は何者かの意図を感じる」真夜は日和に視線をやり、「姉さん、依頼人の連絡方法は文書かなにかだったのか?」
「いいえ、電話よ。だけど、ぐぐもってて機械で変えたような声だったわ。ウチは訳ありのお客さんも時々来るから、最初は『なにこいつ?』くらいしか思ってなかったけど、これはどうも怪しいわねぇ。」
マンションの上層を借り切っていたお金持ちは初めから存在しなかった。真夜と日和の会話の流れではそうなっている。
「もしかしてだけど、日和さんに恨みのある人が魔導書の暴走を利用して日和さんをその……殺そうとしてたんじゃ……?」
「――ッ!?」
月葉の根も葉もない予想を聞いた真夜がハッとする。
「違う、そうじゃない」
なにかに気づいたらしい彼は、会計台の横にあるドアを開けて地下書庫へと潜っていった。
唐突な彼の行動に月葉はポカンとする。
「違うって……なにが?」
「そりゃあ、『僕のお姉ちゃんは人に恨まれるようなことなんてしてないやい』って意味でしょうね」
ニコッとなにかを奥に隠したような笑顔を見せる日和。絶対そんな意味じゃないだろうし、恨まれることやってそうだ、と月葉は思ったが閉口することにした。日和の笑顔がなんか怖い。
そのまま五分が経過したが、真夜が戻ってくる気配はない。
日和は伊達眼鏡をかけてカタカタとパソコンのキーボードを叩いている。その余裕な横顔からして、小説の締切は開き直って破る気満々といったところだ。
会話が途切れると立っているだけの月葉は非常に気まずい。こうなったら掃除をやってしまおうと床のごみに手を伸ばした時、日和がおもむろに口を開いた。
「それにしても、今日は真夜も無茶したわねぇ。普段はあんな子じゃないんだけど、まあ、逃げ遅れたのが親子だったんじゃあ仕方ないわ」
――親子だったから?
日和の言葉に引っかかるものを感じた月葉は、掃除を一時中断してこれまで訊かないようにしていたことを口にする。
「あの、日和さん、変なこと訊いてもいいですか?」
「ん~? なにかな?」
「えっと、日和さんたちのご両親って今、どうされているんですか?」
月葉はずっと疑問に思っていたのだ。この是洞古書店で暮らしているのが日和と真夜の姉弟だけだということを。月葉は時々空気を読めないこともあるが、そういう他人の事情にずかずかと踏み込んでいけるほど無神経ではない。だから、黙っているつもりだった。
日和が月葉を見てニヤっと笑う。
「知りたい?」
「え、あ、その……言いたくなければ、言わなくていいです」
「あはは、遠慮しなくていいわよ、月葉ちゃん。――って言っても無理か。そうね、月葉ちゃんの想像通りだと思うわ。私たちの親はもういない」
最悪の想像が当たってしまい、月葉の表情が暗く染まる。日和は『気にしないで』とでも言うように優しく微笑み、続ける。
「あれは真夜が小学校に入った頃だったわ。私たちのお母さんは魔導書使いだったんだけど、強力な魔導書を使おうとして失敗したの。それでその魔導書が暴走して、お父さんも巻き込んじゃって、二人とも帰らない人になっちゃった。お祖父ちゃんの代から続いているこの店とお金、そして私たち姉弟だけを残してね」
日和は窓の外を見やり、打ち明けるように語っている。話のあまりのヘビーさに月葉はゴクリと息を呑んだ。幼い時に両親を亡くしているから、真夜は逃げ遅れた母子を見殺しにはできなかったのだろう。その気持ちは月葉にも痛いほどわかる。
「まあ、普通なら親のそんな姿を見たんじゃトラウマになるわね。魔導書なんかに触れたくないって思うかもしれない。だけど、真夜は違った」
日和はそこで一呼吸置き、過去を懐かしむように言葉を紡ぐ。
「親の無念を晴らすっていうのかしらね。とにかく真夜はどのような魔導書でも読み解いて扱える魔導書使いを目指すようになったの。そして現実にあの子は僅か十一歳で特級閲覧ライセンスを取得したわ。史上最年少。まさに天才ね」
気のせいか、窓に映る日和の表情が哀愁の色を帯びたように見えた。
「そんな弟を見てたらさ、お姉さんだけショック受けてるわけにもいかないじゃない? だから私も頑張って一級まで上り詰めたってわけ。それに、私も真夜も大好きなこのお店まで失いたくなかったのよ。そういう気持ちも強かったから、頑張れたんだと思う」
簡単にだが二人の過去を聞き、やはり踏み込むべきじゃなかったと月葉は思った。しかしその反面、より一層二人に近づくことができたという喜びもあった。なんとも言えない気分になる月葉は、日和にかける言葉を見つけられないでいた。
掃除も忘れて突っ立っていると、テンションと笑顔を普段通りに戻した日和が月葉に振り返る。
「月葉ちゃんってさ、私たちのお母さんに似てるのよねぇ」
「へえ、お母さんに……って、ええっ!? わ、私がですか!?」
衝撃的なカミングアウトにすっ転びそうな勢いで狼狽える月葉。日和はそんな月葉をからかうような目で見詰め、
「うん。一生懸命でしっかり者、でもなんとなく放っとけない感じのところとか特にね。あの坊主が必死になるのもわかるわぁ」
「誰が必死になっているだと?」
ギクリ、と日和の表情が固まった。なんと答えればいいかまごついていた月葉の肩もビクゥ! と跳ねる。
会計台横のドアの前に立った真夜が、無感情な黒瞳で月葉たちを睥睨していた。
「姉さん、余計なことを話したな」
視線という刃物が日和の首筋に添えられる幻を月葉は見た気がした。
「い、いやねぇ、マヨちゃん。ちょろっと昔話をしてただけよん」
「僕をその名で呼ぶな」
不機嫌そうに言い返す真夜はいつもの真夜だった。これでも精神的にかなり消耗しているなどと、月葉にはとても信じられない。元々感情を声には出しても顔には出さない彼だから、付き合いの短い月葉では判別できないのだ。
真夜は口を開く前によくする癖――フン、と鼻息を鳴らした。
「とにかく、そのことはもういい。もっと重大な問題がある。――今調べてきたが、魔導書が何冊か盗まれていた」
「「――ッ!?」」
月葉と日和は驚愕に大きく目を見開いた。
「嘘でしょう? 私はちゃんと防犯術式を起動させてから店を出たわよ?」
「その防犯術式は全部灰になっていた」
「灰?」
真夜の意味のわからない言葉に、日和が柳眉を曇らせる。
「見ればわかる」
そう言う真夜についていき、地下書庫へと続く階段を見た月葉と日和は――愕然とした。
階段が、左右の壁が、天井が、微かに黒みがかった白色の粉で覆われていたのだ。まるでここで小麦粉の入った袋を爆発させたような惨状である。一人分の足跡がついているけれど、それは真夜のだろう。
「なによ、これ? どういう魔術を使ったらこうなるのよ?」
一級魔術師の日和でもすぐには看破できないらしい。当然、まだ魔術師ですらない月葉にも不可能だ。
「地下書庫はもっと酷い状態だ。盗まれた魔導書の正確な数と種類は詳しく調べてみないとわからないが、全て二級以上だろう」
真夜が淡々と分析を述べる。だが、その声は微かな怒りを孕んでいるように聞こえた。是洞姉弟にとって両親の形見である大事な店が荒らされたのだ。たぶん、彼の内心は相当に激怒していると予想できる。
「犯人は偽りの依頼で姉さんを店から追い出し、その隙に盗みを働いたといったところか」
「あ! だから真夜くん、さっき『違う』って……」
そこにすぐ気がつくとは、いよいよもって彼が精神的疲労を患っていることが怪しくなってきた。たいして疲れてもいない月葉でも思い至らなかったのに……。
「恐らく以前に入られた空き巣と同一犯だ。あの時は入られた形跡があるだけでなにも盗まれなかったが、それは下見だったからだろう」
月葉は初めて是洞古書店を訪れた時のことを思い出す。
『店に誰もいなくなる。先月空き巣に入られたことを忘れたのか?』
是洞姉弟が気にかけていなかったので月葉も軽く流していたけれど、真夜は確かにそう言っていた。
「ふふふ、誰だか知らないけどやってくれたわね。私たちに喧嘩売ろうなんていい度胸じゃないの」
憤る日和が不敵に笑ってどこかへ行こうとする。その彼女の腕を真夜が掴んで止めた。
「待て、姉さん。闇雲に捜して見つかるわけがないだろう。まずは盗まれた魔導書の確認と、協会に盗難届けを出すことが先だ」
冷静な真夜に諌められた日和は、「そうね」と身を翻して地下書庫に向かった。盗難にあった魔導書をチェックしてくるつもりだろう。
真夜は日和が階段の奥に消えたことを認めると、今度は月葉の方に顔を向ける。
「あとは姉さんに任せておけばいい。僕はもう休む」
「やっぱり、疲れてるの?」
「見ての通りだ。わかれ」
見て判断できないから月葉は確かめたのだ。
「ああ、そうだ。休む前に、今日お前を呼んだ件をさっさと済ませておく」
思い出したようにそう言い、真夜は〝書棚〟から来栖杠葉の魔導書を引き抜いた。月葉は訝しげにその様子を見ていたが――
「……あっ」
「……お前、忘れていたな?」
口元を手で隠した月葉は、呆れた口調の真夜に睨まれてしまった。取り繕うように月葉は愛想笑いを浮かべる。
「ううん、覚えてたよ。ちゃんと。うん。それより真夜くんこそ、私を名前で呼ぶこと忘れてない?」
「話を摩り替えるな」
まあいい、と溜息をついた真夜は――すっ。手に持った魔導書を月葉に渡してきた。
「へ?」
わけがわからず素っ頓狂な声を上げる月葉。
「解析は昨日で終了した。封印は明日の十八時に自動的に解除される。お前はその瞬間にこの魔導書の近くにいろ」
「はい? って、いいの? 魔術師じゃない私が持ってて。間違って暴走させちゃったりしたら……」
「安心しろ。明日だけは見逃してやる。それから、その魔導書は暴走しない」
ますますわけがわからなくなり、月葉は頭上にいくつもの『?』を浮かべた。
「僕がこれ以上詳しく語ることはできない。可能ならばその時間に一緒にいてやるが、明日は盗難の件で忙しくなる。自分の目で確かめろ」
「ちょっ!? なにそれ!? もっとわかりやすく説明してよ!?」
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