一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

忠実な従者

 ☆☆☆


 教会にある客室の一つ、そこのベッドで横たわるグレーシュを三人の女達が見下ろしている。シルーシアとウルディアナ、ベルセルフだ。一応ということで客室の入り口付近にはシャルラッハが控え、状況を見落とさずに見つめている。

 ふと、シルーシアは純白のベッドで眠るグレーシュの身体から白い煙が湧き上がっているを見て首を傾げた。

「お、おい……なんだこれは?」
「あぁ、それは生気じゃよ」
「は?生気?」

 シルーシアが指差して訊ねると、シャルラッハがさも驚くことじゃないという風に答えた。生気といえば、人間が生きるために備える気力だ。それがどうして煙のようにグレーシュから出てくるのか……達人級の武人たるシルーシアやベルセルフはハッとなって気が付いた。ウルディアナはよく分かっていないようだったが、何と無く二人の反応から察したらしい。

「危険な状態じゃよ」

 そんな三人へダメ出しのようにシャルラッハが述べる。身体の傷は治る……だが、心に受けた傷はそう簡単には治らない。グレーシュの場合、蓄積されたストレスが爆発した形であるために尚更といえる。

「んじゃ……さっさと叩き起こしてやっか」
「ルーシー?言葉遣いが悪いですわよ……。ベールが真似をしたらどうするのです?」
「なーはっはっはっ!さあ、叩き起すぞ!」
「ほら!」
「オレの所為なのかよ……」

 シルーシアは苦虫を噛み潰したような表情になり、ウルディアナはそれを見て微笑んだ。これがこの三人の関係……似た境遇にいる三人、それぞれが一人ぼっちで寄り集まった同志のような関係だ。

 シルーシアは森人エルフの村を帝国から守るため、村から差し出された……つまりは売られた人質。ウルディアナは魚人族の国を守るために売られた人質。ベルセルフは個人の我欲のために生まされた子供。

 それぞれが否応なしに他人から強制された人生を歩む者たち。それはどこか……自分自身に強制されていたグレーシュに似ている側面がある。シャルラッハはグレーシュという人物を完全に理解しているわけではないが、何と無く彼女達を見ていてそう思ってしまった。

「で、まずはどうするか……」
「なーはっはっはっ!電気ショックで起こすのはどうか!」
「あ、物理的に起こせばいいのですわね!」
「ちっげーよ」

 もしかしても、それで起きるのなら苦労もしないだろう。残念ながら状況はそこまで楽観視できることでもない。一刻も早く、グレーシュを戦闘可能な状態にしなければならない。

 この戦争、どう転がっても最終的にグレーシュは帝国と全面衝突することになる。そして、グレーシュ側が勝利すればシルーシア含めた三人にとって利があることなのだ。決して、善意でグレーシュを助けるわけではない。

 シルーシアは考える。疲労しきった心を癒す方法……そして、ピタリとシルーシアの視線はウルディアナへ向けられた。ウルディアナはジッとシルーシアに見つめられ、暫く居心地が悪そうにしてから気になって訊ねた。

「えっと……何か?」
「あー……いや。ディーナの歌なら、もしかしたらと思ってな」

 ウルディアナ・スプレインは魔術の原初たる声術の使い手だ。ウルディアナの声には特別な力があり、その叫びで地面が揺れ、囁きは風を生み、歌は調和を齎す。そのウルディアナの声に、シルーシアは着眼した。

 ウルディアナは歌と言われ、少しだけ恥ずかしそうに頬を染めた。

「あたくし……人前で歌った経験があまり無いもので」

 今更、シルーシアやベルセルフに気遣っているのではなく……伝説と謳われるシャルラッハがいるためか恥ずかしいようだ。
 シャルラッハは肩を竦めると、こう言った。

「いやいや、儂のことは気にせんで。儂もディーナちゃんの歌を聴きたいのぉ」

 シャルラッハはそんなことを飄々と述べるが、実際はその歌の力とやらをこの目で見たかったのだ。魔術の基礎、古の時代の中でも取り分け神と人が近い場所で暮らしていた神代の時代において声術は選ばれた者にしか使えなかった。曰く、声術の使い手の叫び声……シャウトと呼ばれるそれには神の力が宿っていると言われていた。教会側の人間としてシャルラッハがこう言うのもなんだが、声術から魔術へと変遷した時代には既に声術が神の力などでは無いという証明がされてしまっている。
 声術の使い手の喉は常人とは比較にならないほど強靭であり、声には魔力が宿る。それが言霊として世界そのものに干渉し、嵐や地震などの天災はもちろん、様々な事象を発現するのだ。声術を使えるのはそういった一部の特殊な人間だけで、それが汎用的になったものが魔術だ。魔術はいわば、劣化声術といえる。

 そんな声術に興味がないといえば嘘となるが、シャルラッハとしては微妙な心境である。教会側に属しているものの、魔術の理論も理解しているからだ。

 ウルディアナはシャルラッハの期待をどう受け取ったか、少し緊張している様子を示した。しかし、ベッドで眠るグレーシュに目を向けると直ぐに表情を正した。

「やるだけ……やってみますわ!」

 ウルディアナが言うと、ベルセルフとシルーシアは邪魔にならないように壁際へと下がる。ウルディアナは逆にグレーシュに近づき、ベッド横に備えられていたかけ椅子に座ると深呼吸……それに続いて美しい歌声が客室のみならず教会内に響き渡る。

「――――――」

 ウルディアナの歌声に呼応するかのように、どこからともなくメロディーが流れる。言霊による事象干渉で、よりウルディアナの歌声が美しく聴こえた。異国の言葉で紡がれる歌で、歌詞は理解できないもののシャルラッハの心にすら干渉してくるような一種の強制力がある歌声だった。身体の奥底から揺さぶられ、染み込んでくる感覚は不快ではなくむしろ心地の良い感覚……。

 だが、はたしてグレーシュに届いているものか……。

 シャルラッハやシルーシアは歌声を心地よく聴きながらもグレーシュを見る。微動だにせずベッドに沈む様は気品すら感じ、とてもではないがこのまま歌って起き上がるとは思えなかった。

 やがて、歌い疲れたウルディアナが一息吐きながらポツリと呟く。

「ダメ……ですわね」
「いや、ディーナの所為じゃない……」
「うむ……そうじゃのぉ。これは……どうしようもないわい」

 シャルラッハはたまげたものだと苦笑しながら、首を傾げているウルディアナに説明してやる。

「グレーシュくんの身体は神の加護で守れているようじゃ。その所為で、精神への干渉を自動的に反射しているようなのじゃ」

 ここで無駄にハイスペックなのが裏目に出た。

「この野郎……」
「なーはっはっはっ!さすが……伝説を何人も屠ってきただけはある」
「く、悔しいですわ……」

 シクシクと悲しそうにしているウルディアナをシルーシアがヨシヨシと頭を撫でて慰め、続いてベルセルフがウルディアナのポジションへと移った。

「我のターン……なーはっはっはっ!覚悟するがいい……我の荒療治は少々過激であるぞ?」
「仮にも病人だからな……」

 そんなシルーシアの呆れたツッコミも虚しく、ベルセルフはワシワシと手を開け閉めしながらグレーシュへと手を伸ばす。本当に何をするつもりなのか……と、ベルセルフはそっとグレーシュの耳元へ唇を寄せると息を思いっきり吸って……叫んだ。

「わっ!」
「っ……」

 そう耳元で叫んだ。

「(それは普通に起こしてるだけだー!!)」

 シルーシアは内心絶叫した。いや、たしかに起こすのが目的はあるのだが……。しかし、グレーシュが戦える精神状態でなければならないという点では効果はない。

「ふっふっふっ……起きたか!この寝坊助めがっ!」
「…………」

 スッと虚ろな瞳がベルセルフへと向けられる。光のない瞳の奥には何も写っておらず、グレーシュにはおよそ感情の炎を感じとることができない。思わずシルーシアがシャルラッハへ目を向けると、シャルラッハは首を横へ振った。

「これは反射的に敵が来たと錯覚して身体だけが起きてるんじゃよ。意識はまだ、ずっと深いところで眠っておる。……ん?」
「「ん?」」

 と、シャルラッハも含めてその場にいる全員がグレーシュを見て首を傾げた。

 先ほどまで感情のない瞳だったグレーシュの瞳には光が差し、こちらをずっと見つめていたのだ。思わず、恐る恐るウルディアナが声をかける。

「あの……ご、ご機嫌よう……?」
「…………あぁ、ご機嫌よう。ディーナちゃんか」
「あ、まだ起き上がってはダメですわよ……。安静になさって下さいまし」
「うむ。ぬしは暫し休んでいるがいい、そのままな!」

 ベルセルフもウルディアナも、ベッドから起き上がろうとしていたグレーシュを止めてベッドへと寝かし付ける。そんな光景を見ていたシルーシアとシャルラッハは、何と無く違和感を覚える光景に眉根を寄せて目を合わせた。

「どう思うよ……」
「ふむ……一見、グレーシュくんが目覚めたように見えるんじゃがな。さっきの壊れっぷりを見た後じゃと、どこか違和感があるわい」
「そうだな……あまりにも普通だ」
「そうじゃな……」

 グレーシュ・エフォンスの精神力は桁外れだ。それは重々承知していることとして、それでもなお……爆発した後とは思えないほどの静けさだ。

 シャルラッハは目を細め、具にグレーシュを観察し……言った。

「……グレーシュくんではないのぉ。君は誰じゃ?」

 シャルラッハの質問にグレーシュ以外の全員はギョッとしてグレーシュを見る。当の本人は、シャルラッハの質問を受けても怯む様子はなく、どこか面白そうなものを見る仕草で答えた。

「僕はグレーシュ・エフォンスですよ。マクス・ウェルさん」

 その一言で、シャルラッハは確信した。
 グレーシュはシャルラッハのことを、「シャルラッハさん」と呼ぶ。この微細な違いは、グレーシュ本人ではないとシャルラッハが確信するのに十分なヒントだ。

「残念なことに、グレーシュくんは儂のことをシャルラッハさんと呼んでくれるのじゃ。君は……誰じゃ?随分と彼の演技が上手いようじゃが?」

 細かな仕草ゃ口調、表情までも全てがグレーシュ・エフォンス。シャルラッハは教会でも上位の存在であり、長生きしている分経験も豊富だ。人を見る目は超一流であるし、洞察力や観察眼も伝説と呼ばれる所以の一つだ。そんなシャルラッハが認めるほどの演技力……グレーシュの身体を使うその人物。 

 グレーシュは完全に看破されたからか、ふっと笑みを浮かべると口を開いた。

「さすがに伝説の目は誤魔化せないようね」

 グレーシュの声で、グレーシュの姿で、その人物はベッドから起き上がって頬に手を添える。まるで女性のような仕草に、シルーシアはこんな時に不謹慎だと分かっていても気色悪いと思ってしまった。

 その人物はさらに続けて述べた。

「ご主人様はゆっくりと休んでいらっしゃるわ。御用ならこの……ご主人様の精霊であるエキドナにお願いするわ〜?」



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