一兵士では終わらない異世界ライフ

矢追 参

誰も知らない臆病者

 ☆☆☆


 心の支え……。

 漠然とした代物だが、この場にいる全員が頷かざるを得ないほどにグレーシュという人物の中でソニアは大きい。 
 あの二人の信頼関係は普通の姉弟のそれを遥かに凌駕している。姉弟愛など生温く、どちらかが欠ければ今のグレーシュのように膝から崩れ落ちる。

 ラエラはふと、昔のことを慈しみながらグレーシュについてこの場を借りて話し始めた。

「グレーシュは昔から臆病な子なんですよ?」

 やはり、二度目でもその事実が信じられないようで……この場にいる各々が戸惑った表情を浮かべている。ラエラも先ほどと同じで苦笑すると、続けた。

「グレイは誰かから嫌われるのをすごく怖がる子なんです。だから、誰からも嫌われないように少し距離を置いたような……グレーシュ・エフォンスっていう良い子を演じて・・・いたんです」

 まさかそんなことはと……真っ先にノーラントとエリリーは考えたが、しかし直ぐに納得してしまった。グレーシュのクーロンやフォセリオに対する接し方はとても自然体だ。それは何処か、敵対している相手にも似たような……。そう考えると途端に悲しくなってしまう。

「特に私たち家族には気を遣っていましたよ。まだ本当に小さな時からずっと……ずっとです。本当は外よりも家の中にいる方が好きだろうに、剣を握って強くあろうと……。本当は戦いなんて嫌いなはずなんです。でも、どこかで歯車が狂ってしまったのでしょうね……グレイは今もこうして傷つきながら戦っています。本当のグレイはずっと心の奥底で泣いていたはずなんです。無理を通して、努力して……嫌いなことも嫌いと言わずに全てを満遍なく、何一つ見落とすことなくグレイは完璧を拘っていました。私が……情けない所為で、無理をさせてしまったのでしょうね」

 転生者グレーシュ・エフォンスの本来の姿は、引きこもりの臆病者。外の世界に出ることすら一苦労で、人の視線が怖くて、嫌われることが怖くて、本当は何も出来ないはずなのに何一つ取りこぼさないように努力をし続けた結果……一を極めることはなかったものの、百や千を備えた万能な存在となった。それは……一を極めるよりもずっと過酷で、彼の精神を擦り減らすには十分すぎた。もともと、彼の臆病な精神が耐えられるはずもないような苦痛。これを可能にした事象が、出来事が、存在しているとラエラは考えていた。

 そして、その答えをこの場で一人だけ知っている女性がいた。臆病な彼に人を殺させるような非情さを付け足した何か。

「狼です……」
「おお……かみ?」

 ラエラの考えに答えたのはクーロンだった。それに対して真っ先にフォセリオが反応を示す。クーロンはまるで自分のことのようにグレーシュの記憶を有しているが故に、グレーシュに付け足された余分な存在について気付いた。グレーシュではない、グレーシュとは別の存在に。
 クーロンは混乱する記憶を整理しながら、グレーシュと自分の記憶を分ける。既に自分とは別の何かが混ざっていることは、前々からクーロンは気付いていた。それに気が付いたのも、先ほどポツリとフォセリオが呟いていた言葉のお陰なわけだが……。

「グレイくんは……幼い頃に狼の魔物に襲われた……らしいです。その時に、起きたのです。バーニング現象が」

 バーニング現象――またはシンクロ症候群とも呼ばれる摩訶不思議な現象。ある特定の状況下において、全く別の人間と心が、精神が同化してしまう現象だ。相手と記憶や技、思考そのものを共有してしまう現象であり、本来は直ぐに切れてしまう繋がりだが……クーロンとグレーシュは今もなお、その現象により繋がっている。そして、クーロンはグレーシュとその魔物が精神的な繋がり持ったために人を殺す非情さを得たと答えたのだ。

 魔物が持つのは本能的に人を殺すというもの。その人を殺すという本能・・がグレーシュに共有された結果が、いつもは柔和なグレーシュを豹変させるトリガー――人を無慈悲に殺す殺戮マシーンというわけだ。

 そして、グレーシュの持つ謎のスキルの数々は天性の才能もあるが……それが飛躍的に強化されたのも狼の力から来ているものだとクーロンは理解出来た。

 フォセリオがバーニング現象について補足を加えながら、クーロンが簡潔にグレーシュの攻撃性について述べると……全員が神妙な面持ちをしていた。が、その中で帝国側――シルーシアやウルディアナ、ベルセルフの面々はバーニング現象について深い理解を示していた。

「もしかして……バーニング現象を知っているの?」

 フォセリオは若干食い気味にシルーシアに詰め寄って訊ねる。割と権力行使しながらも大したことが分からなかったために根に持っているらしい。

 シルーシアは詰め寄られ、フォセリオの気迫に気圧されながらも答えた。

「あ、あぁ……ベルリガウスの野郎がちょっとな。あいつ、自分と同じくらい強い人間を作ろうとしてやがったからな」

 シルーシアは少しベルセルフを気遣うように目を配り、それから遠慮がちながらも続けてフォセリオに答えた。

「……それでバーニング現象を使って自分の複製人間みてぇなのを作ろうとしてたんだよ」
「バーニング現象は記憶や技、思考も共有する現象だものね……」

 擬似的とはいえ、ベルリガウスも瓜二つの戦闘能力を持った怪物がバーニング現象によって作成可能というわけだ。だが、どうにもシルーシアの言い方は成功したようではなかった。そもそも成功していれば、帝国はもはや怪物の巣窟となっていただろう。

「それで、具体的にはどうすんの?」

 ノーラントは腰に手を当て、いよいよと本題に踏み込んだ質問を投げかけた。各々が浅かれ深かれグレーシュという男と面識を持っている。そして、この場の誰もが今回の戦いにおいてグレーシュ・エフォンスという人物がいないことがどれだけ致命的なことなのか理解していた。目下全員の目標としてはグレーシュを再び戦場へ引き摺り出すこと……そうしなければ、ソニア・エフォンスは救えず、ましてやこの国に安全なところなどないのだから個人の戦闘力が群を抜いているグレーシュがいなければ話にならない。

 このままグレーシュが沈黙を続けることは愚策中の愚策である。が、それを理解していてもなお女達はグレーシュを戦場に立たせることを拒んでしまう。壊れたグレーシュを見たせいだ。

 それぞれがグレーシュという人物との思い出を脳裏に浮かべ、地面を見つめて悲しそうに表情を歪める。そんな中、彼女達の鎮痛な面持ちを見て……シルーシアが口を動かした。

「……はぁ。これはお前達には荷が重い話だろ……グレーシュ・エフォンスの件はオレがやる」
「シルーシアさん……」

 クーロンが顔を上げて彼女の名前を呼ぶ。

 グレーシュを戦場に立たせる行為は、彼に傷つけと命令するようなことだ。それを親交が深いクーロン側の女達ができるはずもない。唯一、この場でそれが強要できるのは親交の浅い人物……シルーシア・ウィンフルーラ側の人間だけだ。

 敢えて悪役を買って出るようなシルーシアをベルセルフは見上げ、そして一瞬だけ俯くと直ぐにいつものように高笑いする。

「なーはっはっはっ!なら、我も共をしようではないか!」

 ベルセルフもまたグレーシュとの親交は比較的に浅い。しかし、根は心優しいベルセルフは本来ならそんな悪役を率先してやりたいわけではないはずだが……他ならぬシルーシアがやると言ったから、彼女も決意を固めた。そんな二人を見てまた、ウルディアナもため息を吐きながら口を利かせる。

「二人とも……では、あたくしもその役目を果たしましょう」
「お前らなぁ……無理しなくてもいいんだぜ?」

 思わずシルーシアは二人に向かってそう言うが、二人とも決意は固いようだ。いついかなる時でも一蓮托生。誰かが悪役になるというのなら、自分たちもその責任を負うという覚悟があった。

 そんな彼女達を後ろから眺めていたノーラントは、どうして?という疑念に駆られた。グレーシュと浅い関係だからできることとはいえ、それならば逆にグレーシュのために……自分たちのために彼女達が動く理由もないように思えたのだ。ただ、その理由を知るのは彼女達だけでありノーラントが知る由もない。


 〈グレーシュ・エフォンス〉


「……」

 何もない荒野の中、ボーッと鉛色の空を見上げている俺は不意に感じた覚えのある気配を感じて声を掛けた。

「何やってんだ」

 俺がそう声を掛けると恥ずかしそうに俺の影から頭を半分ほどまで出したエキドナがニョロっと出てくる。俺の使役する元死霊であり、今は精霊として俺に仕えている存在……ニョロっと魔人族特有の異形の象徴たるタコの足にも似た触手をウネウネさせながら俺の影から這い出てくる。

「どうした?」

 俺が問いかけるとエキドナはモジモジと触手をうねらせ、頬を朱に染めながら俺の問いに答えた。

「あの……お恥ずかしながら、先の戦闘で肉体の維持ができないほどのダメージを受けてしまったためご主人様の中に潜んでいたのです……。それで……こんな情けないエキドナは、合わせる顔がないと思いまして……」

 ショボーンっと項垂れるエキドナを尻目に見た俺は、仕方のない奴だと苦笑する。エキドナよりもよっぽど情けないのは俺なのに。

 エキドナから目を離し、改めて虚空を見上げる。このこうやの世界は俺の世界。すっかり錆びれて荒れ果てた……誰も知らない臆病者がポツンと取り残された世界だ。



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