一兵士では終わらない異世界ライフ
事故
–––☆–––
「…………ん?」
と、俺は目を開いた。それと同時に柔らかい感触が俺を包んでいることに気がつく。確認のために、それをモミモミするとヤケに官能的な声が頭の上の方から聞こえたので、視線を向けると……、
「おはようございます」
クロロが微笑んでいた。
「ああ……クロロか。おはよう」
そんな時間でもない気がするが、まあいい。俺は起き上がり、視線を彷徨わせる。クロロの部屋だと断定したあたりで、こちらを驚いたような目で見つめるセリーとエキドナと目があった。クロロも起き上がり、そんな二人を不思議そうに眺めている。
「お、驚いたわね……胸を大胆に揉んでおいて二人とも無反応……」
「ご主人様らしからぬ反応ね。もしかして、これがバーニングの影響なのかしら……」
と、何やらよく分からないことを言っていた。
「何言ってるんだ、二人とも?」
「男性が胸を触るくらい」
「「特に問題でもない」」
「「え?」」
–––屋敷–––
ソニア達に掻い摘んで事情を話してから、この異常事態を調べるためにフォセリオが二人の診察を始める。
「「いや、特におかしなところなんてないと思うですけど……」」
バーニング現象が発現しているのか、二人の口から出る言葉は寸分違わず同じこと……息ピッタリとかそんなレベルではない。もはや、一心同体である。
「あの……二人ともどうしちゃったんですか?」
ソニアが心配そうにセリーに訊く。セリーは診察を終えてから、全員に向けて言った。
「さっき言った通り、バーニング現象……二人の間に精神の……心の経路が通っているみたいね。ただ、なんだか変なのよね……」
セリーがクロロの診察をするために胸に手を当てた時に、クロロがとても恥ずかしそうにしていたのだ。いや、それはそれで普通なのかもしれない……そういう女性もいるからだ。しかし、グレーシュに触られても普通だったクロロが同性に触られたくらいであーだこーだ反応するだろうか。
「精神が結び付いた以外におかしなところがないの」
「でも、なんというか……」
「二人ともいつもと違うような……?」
ノーラもエリリーも違和感があるように首を傾げた。
その違和感の正体は、グレーシュにある。グレーシュは男であり、見目麗しい彼女達を見て何も思わなかったことは一度もない。ノーラにしろエリリーにしろ、セリーにしろクロロにしろ、そしてエキドナにしろ……ちょこっと視線がアレな感じなのも致し方ないと言える。ソニアとラエラは家族補正があるため、さすがにそういう視線を向けることはないが……。
ノーラ達の感じている違和感は、そのアレな視線がほぼないことと……そしてクロロの視線だ。グレーシュからなくなったものが、なぜかクロロから感じられるのだ。とりわけ、戦などで視線に敏感に反応できるようになっているノーラやエリリーは、その違和感に直ぐに気が付いていた。人間観察が趣味なエキドナも然り……。
(何かしら……これ)
まるで、グレーシュとクロロの中身が入れ替わったようだ。だが、二人とも自分がそれぞれグレーシュ、クロロであるという認識があるのである。つまり、中身は入れ替わってなどいないわけだ。
で、あれば……入れ替わったのはもっと別のものではないだろうか?精神が繋がり、何らかの影響、原因で中身……いわゆる人格ではなく性格が入れ替わっていたり、もしくは性別とか……。
そこで、エキドナがいくつか質問することにした。
Q「二人の好きな食べ物は?」
A「特に好き嫌いは無いかな……」
A「ラエラさんのサンドイッチです!」
Q「二人のお好きなお酒は?」
A「特には……」
A「葡萄酒です!」
Q「お好きな色は?」
A「特(ry」
A「金髪には憧れますね!」
Q「甘いものはお好きですか?」
A「(ry」
A「大好きです!」
Q「男性、女性……どちらが好きで」
A「男!」
A「女性です!」
以上の質問の結果より、エキドナは遠い目をした。
「これはあれね……好みが入れ替わっているわね」
「好み?」
ソニアが首を傾げて言った。
「そう……本来ご主人様の好物であるお母様のサンドイッチ、憧れの金髪、そして葡萄酒……それがクーロンの好みに」
つまり、クーロンの好みは全てグレーシュに……だが、クーロンに好き嫌いがなかったために異性関係以外ではなんでもない回答ばかりだった。そんな中で、ソニアが小声で「金髪……憧れてたんだ」と場違いなつぶやきをしていた。
「でも、好みが入れ替わったんだ……それなら中身が入れ替わるよりよくない?」
ノーラの呑気な言葉にエキドナが首を振った。
「いえ……むしろ厄介じゃない。中身が本人なだけに自覚症状もないんだろうし」
いっそ人格が入れ替わっていた方がよかった。好みだけ入れ替わるというのは、ややこしいのだ。
自覚症状がないというのも、クロロとグレーシュが今の話を聞いても不思議そうに首を傾げているからだ。男女の常識も遠く彼方へ飛んで行ったかもしれない。
「えっと、原因は分からないんですか?」
ラエラが遠慮がちに、だがとても心配そうにセリーへ訊ねる。いつものグレーシュなら、心配させた罪悪感で一杯になるだろうが……。
「そうね……そもそもこの現象に関しての事例が少ないのよね。これが精神にどんな影響を与えるかとか……ちょっと甘く考えていたわ……ごめんなさい」
セリーが謝ると、ラエラはブンブンと首を振った。
「いえ……グレイが自ら進んでしたことですから……。それよりも、元には戻るのでしょうか?」
「……ええ。いくら精神が繋がったとはいえ、もう二人は元の肉体に戻っているからいずれ繋がりも切れるはずよ。それは安心していいわ!」
繋がりが切れれば、このおかしな現象も元通りの筈である。エキドナもそのように考えたため、ラエラを安心させるために頷いた。
ラエラは二人からそう言われ、安心したように微笑んだ。
–––☆–––
それから三日、四日と時間が経過するが変化なし……相変わらず一心同体な二人である。
例えば食事中……手の届かないところにあるものを取って欲しいと片方が思うとアイコンタクトもせず、言葉も交わさず、片方がサッと手渡すなど……。
こんな状況ながらも、グレーシュには雷帝の戦や、今回の功績の褒賞として爵位やら金やら領地やらの話が来ていた。それら全て、エキドナに任せる形となるのは仕方がない。
幸いなことに、イガーラ王国において功労者を労うような祝宴はない。そもそも、国のために戦うのが兵士であり、兵士となる誓いを立てたのだから戦うのが道理だというのがイガーラだ。
イガーラは実力主義だ。功績さえあげれば、女だろうがなんだろうが褒美はかならず得られる。ちゃんと働きに見合う褒美は与えているのだから、イガーラが文句を言われる筋合いはなかった。
「一応、階級は特等兵士長で止めるようですぅ」
エキドナの報告にグレーシュは頷いた。
本来ならば、爵位持ちで領地持ちとなると師兵にくらいなれるのだが……とはいえ、一度も上に立って指揮をとったことがない者がいきなり……と上が判断したのである。
ギルダブの時やノーラ、エリリーの時にも同じ措置が取られている。一度、兵士長で指揮をとる立場を経験させてから師兵へ繰り上げ……という話におさまったようだ。まあ、領地を得るとなるとそれ相応にグレーシュも忙しくなる。アリステリアから与えられるのがどこかによるが、場所によっては兵士の仕事以上に忙しいことだろう。
領地の話は一度置くとして……ノーラやエリリーに関しても爵位やら領地の話があったようだが、残念ながら二人の上司はマリンネアだ。爵位はともかく、領地に関してはマリンネアと要相談となる。
まあ、そんなこんなで貴族となるグレーシュのためにとアリステリア主催で社交パーティー……夜会を開催したのだ。貴族の繋がりをほとんど持たないグレーシュが、何かのパーティーに招待されるはずがないからだ。だから、その繋がりを作る為にアリステリアが開いたのである。
–––☆–––
自分の隣でビクビクしているアイクに苦笑しつつ、アリステリアはエキドナから聞いた話に半信半疑だったのがこの場で確証に変わり……さらに苦笑い。
こんな状態で真面に夜会ができるのだろうか……と、心配していたがそこはグレーシュだ。好みの入れ替わりが起きているからといって、自分を見失うわけがない。
「…………仕方ないですね。では、アリステリア様。私と踊ってくださいませんか?」
グレーシュは本当に仕方ない……やれやれといった風にアリステリアに手を差し出してダンスの申し出をする。公爵相手に不敬なものだし、位としても男爵と公爵……無礼にもほどがあるが、アリステリアの人となりを理解しているグレーシュは今更な感じがしていた。
もちろん、アリステリアもそれでとやかく言うことなどないのだが……周りの視線はそうでもないらしい。
「よろしいですわよ」
アリステリアはグレーシュの手を取り、会場の中央へ……流れる曲は踊るのが少し難しいとされるものだが、公爵であるアリステリアにそんな心配はいらない。むしろ、アリステリアがグレーシュを心配するところだ。
「踊れるんですの?しかも、堂々と会場の中央とは……」
真ん中で踊るなど、よっぽどダンスに自信のあるものしか立たない。ギルダブはダンスがあまり上手いとはいえないので、ギルダブと踊るときは中央から少しずれたところで公爵の彼女が踊るくらいだ。それほど、中央というのは目立つ。特に、アリステリアのような綺麗な金髪で、見目麗しく、誰もが知る公爵令嬢だと……尚更。
グレーシュは失礼ながらも目の前で手をとるアリステリアに目もくれず、周りで踊る男を物色していた。
「グレーシュ様……」
アリステリアが呆れたように声を掛けると、「踊りましょう」とグレーシュが言った。
手を取り合い、グレーシュはアリステリアの腰に腕を回す。そして、二人は曲に合わせてステップを踏む。
「あら……」
真ん中で踊るからには余程自信があるのかと思ったが、かなりオブラートに包んでも下手くそだった。アリステリアは思わず頬を引きつらせたが、直ぐに笑顔でグレーシュをリードする。
周りからは若干の嘲笑が聞こえる。アリステリアも踊っているのにこの反応……それくらいに酷いのだろう。エリオットやアイクは二人を見て、ハラハラとしていた。
「……?」
ふと、踊っている最中……アリステリアは徐々にグレーシュの動きが良くなっていることに気が付いた。否、徐々にというか……かなりの速度で上達している。というか、もはやアリステリアに匹敵するほどだ。
あれ?と、アリステリアは首をかしげた。それからグレーシュの顔を見上げるが、グレーシュは涼しい顔をしている。意外と難しい曲のはずだが……。
「一体……どのような魔術を……」
アリステリアが周りに聞こえないように小声で訊ねると、グレーシュは視線をアリステリアに向けた。
「先ほどから踊っているのを見ていましたし、今実際に踊ってみて……覚えました」
グレーシュの洞察力からくる高い分析力が役に立ったらしい……。
「そ、そうですか……」
アリステリアが驚いていると、少しずつだがアリステリアがリードされ始めていた。ギルダブと踊っても、否……アリステリアほどともなるとリードされることなどそうそうないためアリステリアは少し楽しくなってきた。
「もっと速くしてもよろしくて?」
アリステリアがそう言うと、グレーシュはただ頷いた。
会場の中央で美しく踊る二人……もはや嘲笑うものなどいない。男も女も、見惚れている。
完璧だった。
アリステリアとのダンスが終わると、グレーシュは直ぐに令嬢達に囲まれた。元々、伝説と戦った男として名は知れていたので話しかけるかどうか……令嬢達は考えあぐねていたのである。性格的にアレだと関わったら面倒なので様子を見ていたが、あのアリステリアとも懇意な様子を見て近付くには充分だと判断したようだ。
もちろん、中には令嬢ではなく男も混じっており、グレーシュの目がそちらへ向いていることは言うまでもない。
だが、令嬢達からの猛アピールを捌く必要がある。そうじゃないと、何のためのパーティーだという話だ。
グレーシュはため息を吐きつつも、それぞれ令嬢達をダンスに誘う。
「わ、わたくし……子爵家の娘で……」
「男爵家の……」
「伯爵家の……」
等々……本来自分よりも身分の高い令嬢もアリステリア効果で近付いてきて人数が増えた。そうやって捌ききったグレーシュはすっかり疲れて果てていた。
ちなみに、グレーシュとダンスをした令嬢達は揃いも揃って恍惚とした表情を浮かべていた。ダンスは上手く、顔立ちも悪くない。伝説と同等の実力者でアリステリアとも懇意……なによりも彼の紳士的な態度にときめいた令嬢が後を絶たなかった。
これが通常運転のグレーシュならば、ダンスなどといった男女が合法的に密着する機会で鼻息を荒くさせないことなどなかっただろう。だが、生憎と今のグレーシュには男しか見えていなかった。
「お疲れね」
と、グラス片手にげんなりとしていたグレーシュの背中にそのような言葉が投げられた。グレーシュがチラリと目を向けると、護衛を引き連れたフォセリオだ。
「セリーさん」
セリーは白のシンプルなドレスを着こなし、とても美しい立ち姿をしている。周りの目は男女が問わず釘つけだが、例によってグレーシュはそんなセリーを見てもドキリともしていなかった。
なんとなく、それが面白くないとセリーは一瞬思い……不思議と首を傾げた。
「大事な社交の場でしょう?もっとシャンとなさい」
「そう言われましても……というか、どうしてセリーさんが?」
「私は最高神官よ……こういう場に招待されるのなんて珍しくないわよ。まあ、あなたが心配だったからというのが一番だけれど」
「そうですか」
相変わらず、グレーシュの対応は淡白だ。しかし、これがグレーシュのことを知らない令嬢からすればクールに見えるらしい。まあ、どうせ暫くすれば冷めるような熱だろうからセリーは放っておくことにした。
「あ、そういえば……明後日に教会主催の夜会があるのだけれど?どう?」
「いきたくねぇ……」
「そう言うと思ったー……けれど、ダメよ。成り上がり貴族なんだから少しでも顔を広くしておきなさい。そういうの、得意でしょう?」
得意言われれば得意だ。グレーシュはやれやれと、肩を竦めつつも社交の場に戻り貴族の会話に割り込んでいく。男の……。
まあ、あの状態でも変なことはしないだろう……セリーはそう考えた。
「…………ん?」
と、俺は目を開いた。それと同時に柔らかい感触が俺を包んでいることに気がつく。確認のために、それをモミモミするとヤケに官能的な声が頭の上の方から聞こえたので、視線を向けると……、
「おはようございます」
クロロが微笑んでいた。
「ああ……クロロか。おはよう」
そんな時間でもない気がするが、まあいい。俺は起き上がり、視線を彷徨わせる。クロロの部屋だと断定したあたりで、こちらを驚いたような目で見つめるセリーとエキドナと目があった。クロロも起き上がり、そんな二人を不思議そうに眺めている。
「お、驚いたわね……胸を大胆に揉んでおいて二人とも無反応……」
「ご主人様らしからぬ反応ね。もしかして、これがバーニングの影響なのかしら……」
と、何やらよく分からないことを言っていた。
「何言ってるんだ、二人とも?」
「男性が胸を触るくらい」
「「特に問題でもない」」
「「え?」」
–––屋敷–––
ソニア達に掻い摘んで事情を話してから、この異常事態を調べるためにフォセリオが二人の診察を始める。
「「いや、特におかしなところなんてないと思うですけど……」」
バーニング現象が発現しているのか、二人の口から出る言葉は寸分違わず同じこと……息ピッタリとかそんなレベルではない。もはや、一心同体である。
「あの……二人ともどうしちゃったんですか?」
ソニアが心配そうにセリーに訊く。セリーは診察を終えてから、全員に向けて言った。
「さっき言った通り、バーニング現象……二人の間に精神の……心の経路が通っているみたいね。ただ、なんだか変なのよね……」
セリーがクロロの診察をするために胸に手を当てた時に、クロロがとても恥ずかしそうにしていたのだ。いや、それはそれで普通なのかもしれない……そういう女性もいるからだ。しかし、グレーシュに触られても普通だったクロロが同性に触られたくらいであーだこーだ反応するだろうか。
「精神が結び付いた以外におかしなところがないの」
「でも、なんというか……」
「二人ともいつもと違うような……?」
ノーラもエリリーも違和感があるように首を傾げた。
その違和感の正体は、グレーシュにある。グレーシュは男であり、見目麗しい彼女達を見て何も思わなかったことは一度もない。ノーラにしろエリリーにしろ、セリーにしろクロロにしろ、そしてエキドナにしろ……ちょこっと視線がアレな感じなのも致し方ないと言える。ソニアとラエラは家族補正があるため、さすがにそういう視線を向けることはないが……。
ノーラ達の感じている違和感は、そのアレな視線がほぼないことと……そしてクロロの視線だ。グレーシュからなくなったものが、なぜかクロロから感じられるのだ。とりわけ、戦などで視線に敏感に反応できるようになっているノーラやエリリーは、その違和感に直ぐに気が付いていた。人間観察が趣味なエキドナも然り……。
(何かしら……これ)
まるで、グレーシュとクロロの中身が入れ替わったようだ。だが、二人とも自分がそれぞれグレーシュ、クロロであるという認識があるのである。つまり、中身は入れ替わってなどいないわけだ。
で、あれば……入れ替わったのはもっと別のものではないだろうか?精神が繋がり、何らかの影響、原因で中身……いわゆる人格ではなく性格が入れ替わっていたり、もしくは性別とか……。
そこで、エキドナがいくつか質問することにした。
Q「二人の好きな食べ物は?」
A「特に好き嫌いは無いかな……」
A「ラエラさんのサンドイッチです!」
Q「二人のお好きなお酒は?」
A「特には……」
A「葡萄酒です!」
Q「お好きな色は?」
A「特(ry」
A「金髪には憧れますね!」
Q「甘いものはお好きですか?」
A「(ry」
A「大好きです!」
Q「男性、女性……どちらが好きで」
A「男!」
A「女性です!」
以上の質問の結果より、エキドナは遠い目をした。
「これはあれね……好みが入れ替わっているわね」
「好み?」
ソニアが首を傾げて言った。
「そう……本来ご主人様の好物であるお母様のサンドイッチ、憧れの金髪、そして葡萄酒……それがクーロンの好みに」
つまり、クーロンの好みは全てグレーシュに……だが、クーロンに好き嫌いがなかったために異性関係以外ではなんでもない回答ばかりだった。そんな中で、ソニアが小声で「金髪……憧れてたんだ」と場違いなつぶやきをしていた。
「でも、好みが入れ替わったんだ……それなら中身が入れ替わるよりよくない?」
ノーラの呑気な言葉にエキドナが首を振った。
「いえ……むしろ厄介じゃない。中身が本人なだけに自覚症状もないんだろうし」
いっそ人格が入れ替わっていた方がよかった。好みだけ入れ替わるというのは、ややこしいのだ。
自覚症状がないというのも、クロロとグレーシュが今の話を聞いても不思議そうに首を傾げているからだ。男女の常識も遠く彼方へ飛んで行ったかもしれない。
「えっと、原因は分からないんですか?」
ラエラが遠慮がちに、だがとても心配そうにセリーへ訊ねる。いつものグレーシュなら、心配させた罪悪感で一杯になるだろうが……。
「そうね……そもそもこの現象に関しての事例が少ないのよね。これが精神にどんな影響を与えるかとか……ちょっと甘く考えていたわ……ごめんなさい」
セリーが謝ると、ラエラはブンブンと首を振った。
「いえ……グレイが自ら進んでしたことですから……。それよりも、元には戻るのでしょうか?」
「……ええ。いくら精神が繋がったとはいえ、もう二人は元の肉体に戻っているからいずれ繋がりも切れるはずよ。それは安心していいわ!」
繋がりが切れれば、このおかしな現象も元通りの筈である。エキドナもそのように考えたため、ラエラを安心させるために頷いた。
ラエラは二人からそう言われ、安心したように微笑んだ。
–––☆–––
それから三日、四日と時間が経過するが変化なし……相変わらず一心同体な二人である。
例えば食事中……手の届かないところにあるものを取って欲しいと片方が思うとアイコンタクトもせず、言葉も交わさず、片方がサッと手渡すなど……。
こんな状況ながらも、グレーシュには雷帝の戦や、今回の功績の褒賞として爵位やら金やら領地やらの話が来ていた。それら全て、エキドナに任せる形となるのは仕方がない。
幸いなことに、イガーラ王国において功労者を労うような祝宴はない。そもそも、国のために戦うのが兵士であり、兵士となる誓いを立てたのだから戦うのが道理だというのがイガーラだ。
イガーラは実力主義だ。功績さえあげれば、女だろうがなんだろうが褒美はかならず得られる。ちゃんと働きに見合う褒美は与えているのだから、イガーラが文句を言われる筋合いはなかった。
「一応、階級は特等兵士長で止めるようですぅ」
エキドナの報告にグレーシュは頷いた。
本来ならば、爵位持ちで領地持ちとなると師兵にくらいなれるのだが……とはいえ、一度も上に立って指揮をとったことがない者がいきなり……と上が判断したのである。
ギルダブの時やノーラ、エリリーの時にも同じ措置が取られている。一度、兵士長で指揮をとる立場を経験させてから師兵へ繰り上げ……という話におさまったようだ。まあ、領地を得るとなるとそれ相応にグレーシュも忙しくなる。アリステリアから与えられるのがどこかによるが、場所によっては兵士の仕事以上に忙しいことだろう。
領地の話は一度置くとして……ノーラやエリリーに関しても爵位やら領地の話があったようだが、残念ながら二人の上司はマリンネアだ。爵位はともかく、領地に関してはマリンネアと要相談となる。
まあ、そんなこんなで貴族となるグレーシュのためにとアリステリア主催で社交パーティー……夜会を開催したのだ。貴族の繋がりをほとんど持たないグレーシュが、何かのパーティーに招待されるはずがないからだ。だから、その繋がりを作る為にアリステリアが開いたのである。
–––☆–––
自分の隣でビクビクしているアイクに苦笑しつつ、アリステリアはエキドナから聞いた話に半信半疑だったのがこの場で確証に変わり……さらに苦笑い。
こんな状態で真面に夜会ができるのだろうか……と、心配していたがそこはグレーシュだ。好みの入れ替わりが起きているからといって、自分を見失うわけがない。
「…………仕方ないですね。では、アリステリア様。私と踊ってくださいませんか?」
グレーシュは本当に仕方ない……やれやれといった風にアリステリアに手を差し出してダンスの申し出をする。公爵相手に不敬なものだし、位としても男爵と公爵……無礼にもほどがあるが、アリステリアの人となりを理解しているグレーシュは今更な感じがしていた。
もちろん、アリステリアもそれでとやかく言うことなどないのだが……周りの視線はそうでもないらしい。
「よろしいですわよ」
アリステリアはグレーシュの手を取り、会場の中央へ……流れる曲は踊るのが少し難しいとされるものだが、公爵であるアリステリアにそんな心配はいらない。むしろ、アリステリアがグレーシュを心配するところだ。
「踊れるんですの?しかも、堂々と会場の中央とは……」
真ん中で踊るなど、よっぽどダンスに自信のあるものしか立たない。ギルダブはダンスがあまり上手いとはいえないので、ギルダブと踊るときは中央から少しずれたところで公爵の彼女が踊るくらいだ。それほど、中央というのは目立つ。特に、アリステリアのような綺麗な金髪で、見目麗しく、誰もが知る公爵令嬢だと……尚更。
グレーシュは失礼ながらも目の前で手をとるアリステリアに目もくれず、周りで踊る男を物色していた。
「グレーシュ様……」
アリステリアが呆れたように声を掛けると、「踊りましょう」とグレーシュが言った。
手を取り合い、グレーシュはアリステリアの腰に腕を回す。そして、二人は曲に合わせてステップを踏む。
「あら……」
真ん中で踊るからには余程自信があるのかと思ったが、かなりオブラートに包んでも下手くそだった。アリステリアは思わず頬を引きつらせたが、直ぐに笑顔でグレーシュをリードする。
周りからは若干の嘲笑が聞こえる。アリステリアも踊っているのにこの反応……それくらいに酷いのだろう。エリオットやアイクは二人を見て、ハラハラとしていた。
「……?」
ふと、踊っている最中……アリステリアは徐々にグレーシュの動きが良くなっていることに気が付いた。否、徐々にというか……かなりの速度で上達している。というか、もはやアリステリアに匹敵するほどだ。
あれ?と、アリステリアは首をかしげた。それからグレーシュの顔を見上げるが、グレーシュは涼しい顔をしている。意外と難しい曲のはずだが……。
「一体……どのような魔術を……」
アリステリアが周りに聞こえないように小声で訊ねると、グレーシュは視線をアリステリアに向けた。
「先ほどから踊っているのを見ていましたし、今実際に踊ってみて……覚えました」
グレーシュの洞察力からくる高い分析力が役に立ったらしい……。
「そ、そうですか……」
アリステリアが驚いていると、少しずつだがアリステリアがリードされ始めていた。ギルダブと踊っても、否……アリステリアほどともなるとリードされることなどそうそうないためアリステリアは少し楽しくなってきた。
「もっと速くしてもよろしくて?」
アリステリアがそう言うと、グレーシュはただ頷いた。
会場の中央で美しく踊る二人……もはや嘲笑うものなどいない。男も女も、見惚れている。
完璧だった。
アリステリアとのダンスが終わると、グレーシュは直ぐに令嬢達に囲まれた。元々、伝説と戦った男として名は知れていたので話しかけるかどうか……令嬢達は考えあぐねていたのである。性格的にアレだと関わったら面倒なので様子を見ていたが、あのアリステリアとも懇意な様子を見て近付くには充分だと判断したようだ。
もちろん、中には令嬢ではなく男も混じっており、グレーシュの目がそちらへ向いていることは言うまでもない。
だが、令嬢達からの猛アピールを捌く必要がある。そうじゃないと、何のためのパーティーだという話だ。
グレーシュはため息を吐きつつも、それぞれ令嬢達をダンスに誘う。
「わ、わたくし……子爵家の娘で……」
「男爵家の……」
「伯爵家の……」
等々……本来自分よりも身分の高い令嬢もアリステリア効果で近付いてきて人数が増えた。そうやって捌ききったグレーシュはすっかり疲れて果てていた。
ちなみに、グレーシュとダンスをした令嬢達は揃いも揃って恍惚とした表情を浮かべていた。ダンスは上手く、顔立ちも悪くない。伝説と同等の実力者でアリステリアとも懇意……なによりも彼の紳士的な態度にときめいた令嬢が後を絶たなかった。
これが通常運転のグレーシュならば、ダンスなどといった男女が合法的に密着する機会で鼻息を荒くさせないことなどなかっただろう。だが、生憎と今のグレーシュには男しか見えていなかった。
「お疲れね」
と、グラス片手にげんなりとしていたグレーシュの背中にそのような言葉が投げられた。グレーシュがチラリと目を向けると、護衛を引き連れたフォセリオだ。
「セリーさん」
セリーは白のシンプルなドレスを着こなし、とても美しい立ち姿をしている。周りの目は男女が問わず釘つけだが、例によってグレーシュはそんなセリーを見てもドキリともしていなかった。
なんとなく、それが面白くないとセリーは一瞬思い……不思議と首を傾げた。
「大事な社交の場でしょう?もっとシャンとなさい」
「そう言われましても……というか、どうしてセリーさんが?」
「私は最高神官よ……こういう場に招待されるのなんて珍しくないわよ。まあ、あなたが心配だったからというのが一番だけれど」
「そうですか」
相変わらず、グレーシュの対応は淡白だ。しかし、これがグレーシュのことを知らない令嬢からすればクールに見えるらしい。まあ、どうせ暫くすれば冷めるような熱だろうからセリーは放っておくことにした。
「あ、そういえば……明後日に教会主催の夜会があるのだけれど?どう?」
「いきたくねぇ……」
「そう言うと思ったー……けれど、ダメよ。成り上がり貴族なんだから少しでも顔を広くしておきなさい。そういうの、得意でしょう?」
得意言われれば得意だ。グレーシュはやれやれと、肩を竦めつつも社交の場に戻り貴族の会話に割り込んでいく。男の……。
まあ、あの状態でも変なことはしないだろう……セリーはそう考えた。
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