Reverse cross

陰東 一華菱

第十話:化け物と呼ばれた日

 その晩。
 どん底にまで叩き落されたリガルナは家にいる事すら煩わしくなり、半ば自暴自棄になって一階にいる両親の目を盗み、自分の部屋の窓から屋外へと抜け出した。
 もうこのままどうなったって構わない。もう誰も、守ってくれる人もいないのだから……。
 鬱々とした気持ちを抱えたまま、あの後すぐにベッドのシーツを裂き、着なくなった衣服とそれを繋ぎ合わせた一本の紐を作り出した。そしてそれをベッドの足に括り付け窓から外へ垂らして外へ出てみたが、真夜中と言う事もあり辺りには人の気配がまるでない。いるとすれば、野良猫が悠々と歩き回りゴミ箱を漁っているぐらいだ。
 自分に異常が見られ始め、トーマスの気が触れてからは一度も外へ出してもらえずに既に5年近い。窓から見える範囲内の街並みの変化は知っていたが、幼い時分に見たそれ以外の場所も、ここ数年の間に随分と様変わりしたように見える。
 久し振りの屋外に、リガルナは日頃の憂さを晴らすつもりで色々と歩き回ってみる事にした。
 家の目の前に伸びる南大通り。それを北に向かって歩き、ふとした気まぐれで近くの路地を左に折れてみた。何があると言うわけではない。何となく曲がってみたかった、そんな感じだった。
 その気まぐれが、リガルナ自身に更なる悲劇をもたらす羽目になろうなどとは、およそ想像すらつかない。
 路地を曲がり、入り組んだ細道を気の向くままに好きな方向へ向かって歩を進める。しばらく歩くと、どこかで火の爆ぜるような音が聞こえてきた。
「……?」
 リガルナがその音のする方へ足を向けた時だった。数メートル先の左に折れる路地から突如として誰かが凄まじい速さで飛び出し、こちらへ向かって走りこんでくる。リガルナはその人物を避けようとしたが咄嗟の事で身動きが取れず道を塞いでしまっていた。飛び出してきたその人物はリガルナの脇にある僅かな隙間からすり抜けられると思ったのか、割りいるように飛び込んでくる。しかし当然のようにすり抜ける事などできず、リガルナの肩とその人物の肩が激しくぶつかり合い、勢いに押されてリガルナの方がその場に尻餅を着く羽目になった。
「いたっ!」
 思わずそう声をあげると、ぶつかった人物は一瞬足を止めチラリとリガルナを見やり、そしてまたすぐにその場から走り去る。
「ってて……。何だよあいつ、謝りもしないで」
 リガルナが去っていったその人物を睨み付けながら、ジンジンと痛む尻を擦り擦り起き上がる。すると背後からまた何かの爆ぜる音が響いてくる。その音に誘われるようにその方向へと視線を向けると、ユラユラと蠢く何かがあった。決してそれは小さくは無い。むしろリガルナの身の丈など裕に越えるであろう何か。
 リガルナが蠢いているそれを負ってゆっくりと視線を見上げると、左の路地を曲がった先の民家に火の手が上がっている。
「家事!?」
 リガルナは咄嗟にその場から走り出し、轟々と音を立てて燃える家の前まで駆け込んできた。
 燃え盛る炎の柱が行く筋も立っている。すぐ隣の家にも燃え移らん勢いに、リガルナはその場に立ち竦んでしまった。
「だ、誰か……誰か呼ばなきゃ……」
 とても一人では対処しきれない。誰かを呼ぼうとして一歩足を踏み出したがすぐに止めた。
 誰かを呼んでくる? 一体誰を? 何より、自分のこの姿を他の誰かに見られたとしたら……。
 そう思うとそれ以上足が進まず、顔を俯けた。
「……!」
 次の瞬間、何かに勘付いたリガルナが顔を上げる。そして燃え盛る家の中に視線を向けた。
 パチンパチン、と家の柱を焼く音が響く中に、微かに人の声が聞こえてくる。
「え……?」
 リガルナは眉間に皺を寄せ、もう一度確認するべく耳をそばだてる。
「……」
 炎の爆ぜる音が大きい物の、その中にほんの僅かに助けを求める声が聞こえる。
「人が……、人がいる?!」
 この時のリガルナは、ほぼ無意識だった。これだけ激しく燃える炎の中に誰か取り残されている。このままでは死んでしまう、そう思うと体が自然と動いていた。
 その体に水をかける事もせず家に入り込んだリガルナは、あまりの熱風に思わず顔を顰めた。チリチリと髪の先や肌が焼けるような感覚を覚えながら、腕で口元を覆い隠し目を細めながら臆する事無く部屋の奥へと向かう。
 バキバキと音を立て、あちらこちらから壁や天井が崩れ落ちてくる。リガルナは音のする方を目線だけで見やりながらも、奥にいる人を助ける事だけを頭に置いて歩を進めた。
 長い廊下を抜け、突き当りの部屋を右へ。その更に奥にはキッチンらしき部屋があり、そこに人の足が覗き見えた。
「だ、大丈夫ですか?!」
 リガルナは咄嗟にその人に駆け寄ると、煙を吸い意識が朦朧としているその女性を抱え起こした。
「すぐ、外に連れて行きますから!」
 そう言いながらリガルナが女性の体を横抱きに抱え上げようとすると、女性は視界に入ったリガルナの異形の姿に我に返り、突然暴れ出した。
「い、い、いや! いやあぁああぁぁっ!」
 抱え起こされる事に猛烈な反発を繰り返し、体全体を使ってリガルナの手から逃れようとするその女性を、リガルナは必死に押さえて外に連れ出そうと試みる。しかし、女性は残された力を振り絞るかのようにその手を激しく払い除け、全身を打ち震わせて恐怖におののいている。
「何で! 早く外に出ないと死んでしまうよ!」
 このままここに置いて行けるほど、自分は薄情な人間じゃない。見殺しにしたとあっては、これから先一生、自分はその罪を背負って生きていく事になる。それだけは出来ないし、したくはなかった。
 しかし女性は頑なにリガルナの救助を拒み続ける。
「いや! 寄らないで! あんたみたいな魔物に助けられても、その先にあるのは地獄だけよ!」
「そんな……。俺は何も」
「いやあぁああぁぁっ!!」
 一瞬、「魔物」と呼ばれた事で動きを止めてしまった。しかしそれでも躊躇ってなどいられない。諦めず伸ばした手を、女性は激しく叩きのけた。そしてリガルナにとって心の傷を深める一言を投げかける。
「あんたのような化け物に助けられるくらいなら、焼け死んだ方がマシだわ!」
「……っ!」
 リガルナはその一言で、女性に伸ばしていた手がゆるゆると下に下りた。
 化け物……。
 心に深い傷を負い、リガルナは自分の手を見下ろした。視界には、長いこと切っていない長い髪が熱風に煽られて揺らめいているのが見える。その髪色の、信じられないほど赤い色にリガルナ自信もゾッとしてしまう。
 ただでさえ赤い髪が、火の色と合わさりとても深い真紅の色を帯びている……。
 あぁ、そうか……。ダメなんだ……。
 絶望にも似た感覚に襲われて、リガルナは呆然としてしまった。激しく怯えられ、魔物と罵られ、今のリガルナの心は首の皮一枚程度残し折れそうになっていた。
 呆然とその場に立ち尽くしていたリガルナの傍の柱が大きく軋みを上げ、バキンッ! と音を上げへし折れる。その瞬間、柱の折れた燃え盛る木片がリガルナに向かって飛んできた。

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