Reverse cross

陰東 一華菱

第十一話:一縷の望みも消え失せる

 凄まじい勢いで飛んでくる炎に巻かれた木片。リガルナは反射的に顔を背けると、右目の上を強い衝撃とぶつかった瞬間だけ鋭い痛みが走り抜けた。
 固く閉じていた瞼を開き、今自分の目に当たった物を目視すると、鋭く尖った木片が黒い煙を上げながらクルクルと床の上を滑っていく。
 一体どうなってしまったのか、痛みはないがぶつかった場所がとても熱い。
 自分の身に起きた事が瞬間的に分からず、呆然としていると生暖かく黒い物が目の上を流れて視界を遮り、頬を伝い落ちる。
「……っ!」
 咄嗟に目を擦ってみるが、流れてくる生暖かい物が完全に片目の視界を奪い、目を開けられなくなった。見える方の目だけを開けて、目を擦った手を見つめ息を飲む。
 血……血だ……。
 炎の赤さにも勝る大量の出血。目の上は皮膚の薄い部分だけに、少しの衝撃でも容易に傷口が大きく開き、出血量は通常の比ではない。自分の目の上から流れ落ちる夥しい量の血が、片目の視界を完全に奪った。そう認識できるとそれまで不思議と感じていなかった痛みが、思い出したように反応を示す。
「……っ」
 ズキンと脈打つほどの痛烈な痛み。止まる事のない血を流しながら、リガルナはぱっくりと口を開いた傷口を手で押さえ顔を歪める。
 ここから出なければ……。そうしなければ、自分は死んでしまう。
 もはや先ほどの女性の事を気にかけている余裕はなくなった。「死」と言う明確なものが目の前にちらつくと、死にたくないと思うのは誰しも同じ。
 リガルナが一歩足を踏み出すと、先程へし折れた柱がゆっくりとミシミシ音を立てて傾いてくる。
「い、いや、いやあああああああああああっ!!」
 悲痛な悲鳴を上げる女性の上に、燃え盛る柱が崩れ落ちた。
 目の前で悲鳴をあげ柱の下敷きになって火だるまになった女性は、しばらく足をばたつかせて暴れ回っていたが、次第に動かなくなってしまった。その時また別の場所でミシミシと軋む音が響いてくる。今度は家自体が傾き始めていた。
 目の前で人が死んでいくのを見た心地は、とても良いものとは言えない。深い罪悪の念と後悔の波が襲ってくる。しかしこのままこの場に留まっていては、自分もこの女性と同じ目に遭ってしまう。
 リガルナは傷を押さたまま炎の間を掻い潜り、押し潰される前にこの家からの脱出を試みる。
 必死になって外への道を急ぎながらも、リガルナは自分の胸に問いかけていた。
 このままこの家を飛び出して、自分は一体どうすると言うのだろう? またあの両親のいる自宅へ戻ると言うのだろうか? 自宅へ戻ったとして、自分はこれから先どんな風に生きて行けると言うのだろう? いや、そもそも生きて行ける保障など、あの家にはもうない。父は自分の命を狙っているのだ。それならば、いっそこのままこの家とともに潰えてしまった方がいいのかもしれない……。
 リガルナはいつの間にか、自分が死に急ぐような考え方をしている事に内心驚いた。しかし危機迫る中、体は本能的に逃げなくてはならないと動いていた。
 傾きかけた家の玄関からリガルナが飛び出ると同時に家は大きな轟音を立てて崩れ落ちる。
 リガルナはその燃え盛る家を呆然とその場に立ち尽くし見つめていた。
「……」
 跡形も無く崩れて燃える家を見つめながら、リガルナは少し後悔していた。
 もしかしたら自分は、これ以上ないチャンスでもあった死に場を逃してしまったのかもしれない。なぜあの時足を止めてしまわなかったのかと、後悔している自分をひしひしと感じている。
 父の手に掛かって死ぬぐらいなら、ここで死んでしまった方が余程楽だっただろうに……。
 ポタポタと頬を伝って溢れ出る血が地面を濡らしていた。
「……これから、どうしたらいいんだ」
 抑揚のない、誰に問いかけるわけでもない言葉をポツリと呟く。すると丁度そこへ、この家の家人であろうと思われる夫婦が、数人の人間を引き連れてきた。
 夫婦は崩れた家を見つめ、愕然としながらその場に膝を着いた。
「そ、そんな……」
 手には消化用の水の入ったバケツが握られていたが、崩壊してしまった我が家を見つめ言葉を失っていた。
 ふと、夫婦が家の傍に立っているリガルナの姿を見つけると、手にした水の入ったバケツをひっくり返し、尻餅をついて小さく悲鳴を上げる。
「ひっ……!?」
 引きつったような悲鳴を上げたその夫婦に、リガルナは無表情のままゆっくりとそちらに視線を巡らした。
 その姿は異様だった。額から溢れ出る多量の血。そして目の前で燃え盛る炎の赤さも手伝い、リガルナの髪と瞳の色を一層真っ赤な色味を帯びている。細く伸びた耳をも、その炎の赤さが照らし出し、彼の異様さを際立たせる。
「ま、ま、魔物! 魔物だっ! 魔物が出た!」
 夫婦と共に来ていた仲間の一人が指をさしてそう叫ぶと、その場にいた全員が悲鳴を上げた。
 その悲鳴を合図にリガルナが我に返ると、悲痛に顔を歪め顔を覆い隠すようにしながらその場を走り去った。



 溢れ出る涙を拭う事も無く、行くあてが他に思いつかなかったリガルナは家に舞い戻った。
「……な、何、で……?」
 出かける前に垂らしたままだった紐がどこにも見当たらない。開いたままだったはずの扉もピッタリと閉じられていた。
 それを見た瞬間、リガルナは察した。父は、自分が部屋から抜け出すことに気付いていたのだと言う事を。何も言わず黙って抜け出させたのは、この家から自分を追い出すためだったのだ。
「……っ」
 リガルナはぐっと唇を噛み締める。
 他に行くところなんてない。嫌でもこの家にすがるしか今の自分には出来ないのだ。
 そう考えると、リガルナは覚悟が決まった。何をされるか分からないが、リガルナは一か八か玄関のドアを開く。すると思いがけずすんなりとドアが開いた事に驚いた。
 いつもは戸締りをきちんとしているのに、なぜ、今この扉は開いているのだろう……?
 朦朧としてき始めた頭でそんな事を思いながら、リガルナは玄関先で酷い貧血を伴い、膝からぐしゃりと崩れ落ちた。
 暗闇からゆっくりと現れたのは、こちらを鋭く睨み下ろすトーマスだった。
「……」
 言葉も無く冷たく見下ろしているトーマスに気付いたリガルナは、霞む意識の向こうで僅かな望みをかけ手を伸ばした。
「た……すけ……」
 掠れる声で助けを求めたが、トーマスは伸ばされたリガルナの手を思い切り踏みつける。そして口の端を引き上げてほくそえんでいた。
「人を殺してきたのか……、やはりお前は魔物だったんだな」
「父、さん……」
「そのまま死んでしまえ。これが父としてお前にしてやれる最後の愛だ」
 ふんと鼻を鳴らし、踏みつけた手を乱暴に蹴り付けて払い退けると、トーマスは傍に置いてあった手荷物を拾い上げる。
「おい、さっさとしろ!」
 声を荒立てるトーマスに、青白い顔のフローラもまた手に荷物を握り締め暗がりから現れた。
「か……ぁ……さん……」
「……」
 微かな声を上げるリガルナを見下ろしていたフローラは、ふっと顔を逸らすと今や逆らえないトーマスの後を追いかけ家を出て行った。
 僅かな一縷の望みも断たれ、リガルナはそのまま力尽きて差し出した手をパタリと落しその場で意識を失った。

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