Reverse cross

陰東 一華菱

第十五話:もう一度だけ……

 その現実に気が付いたリガルナは迂闊にこの場から動く事もできず、どうしてよいか分からないまま咄嗟に茂みの影に身を潜めた。
 何と言う事だろう。外へ出たと思っていたが実はそうではない。自分はまだ王国の中にいて、更に言えば宮殿の敷地内に転がり込んでいた。知らず知らずの内にこんな場所に逃げ込んでいたなど、気付きもしなかった。一体、自分はどうやってここへ入ってきたのだろう……。
 リガルナは背後を振り返り、自分が飛び込んだ場所の茂みをそっと掻き分けてみた。
 そこには、今でこそ警備の人間が一人こちらに背を向けて立っているが、宮殿の敷地内へ入る事の出来る入り口があった。
 無我夢中で走りこんできた時、たまたま運良くその場に警備に当たっている人間が他を見て回っていた為に、リガルナはここへ入ることが出来たのだ。
 しかし、命からがらここへ逃げ込んでみたものの、実際は更なる恐怖のどん底に自ら飛び込んでいたと言う事になる。
 と、すると、先ほどのマリアは一体……?
 リガルナは言葉も無くその場で思い悩んでいると、マリアが食事の乗った皿を手に戻ってきた。
「お待たせしました。あまり沢山ではないのですけど……」 
 そう言いながらマリアがリガルナへ視線を向けると、先ほどまでの彼とは打って変わっている事に首を傾げる。
 リガルナは蒼ざめた顔で極力見えないようにしようとしているのか、体を小さく丸め込んでいる。
「……どうしたのですか?」
 マリアが恐る恐る声をかけると、リガルナは飛び上がらんばかりの勢いで体を撥ね上げ振り返った。
「?」
 青ざめた顔でこちらを振り返ったリガルナを、マリアは不思議そうに小首を傾げ見つめ返した。
「あの、これ……。お夕飯の残り物になってしまうんですけれど、料理長に無理を言って貰ってきました。良かったら食べて下さい」
 マリアは手にした皿をリガルナの前に差し出す。
 皿の上には、リガルナがまず食べた事もないような食べ物がいくつか並んでいる。
 一口大のサンドイッチが4つ、ローストチキンが2切れ、キャロットグラッセが数個に、チーズとスモークサーモンが乗せられたカナッペが3つ……。
 食べ盛りのリガルナには決して足りるとは言えない量だったが、空腹のリガルナにしてみればまさに喉から手が出るほどに欲しいもの。しかし、リガルナがそれに手を伸ばす事はしなかった。
 心配したマリアが困惑したような表情でリガルナを見つめ返すと、リガルナはその視線から逃れるように顔を背ける。
「どうしたんですか……?」
「……」
 リガルナはぐっと拳を握り締めると、一度大きく息を吸い込んで意を決したようにマリアを見た。
「マリア……もしかして君は、レグリアナ宮殿の人間なんじゃ……」
 リガルナのその言葉に、マリアは2、3度瞬きを繰り返すとニコリと微笑んだ。そして包み隠す事もなく一度頷いた。
「はい」
「……それじゃ」
「何も心配いりませんわ。目の前で困っている人がいたら、助けるのは当然でしょう? 違うかしら」
 マリアは真面目な顔でそう言うと、ずいっとリガルナの前に皿を突き出し、ニコリと微笑みかける。
「食べて下さい。そうじゃないと私が怪しまれてしまいますわ」
「……」
 困ったように微笑みながら差し出してくる彼女を見つめた。
 マリアが宮殿の人間なら、もしかしたらこの食べ物の中には何か盛られている可能性もある。
 一時の優しさに心を奪われ、信じようとしていたリガルナの中に再び人を疑う気持ちが膨れ上がった。
 簡単に手を出しても良いのだろうか? しかし……。
 目の前に差し出された料理を前に、リガルナは空腹に勝てず「どうにでもなれ」と言う気持ちで手を伸ばした。
 みっともないとは分かっていても、一度食べ物を頬張ると食欲に火がつき、ついガッついてしまう。両手を使って次々に口の中に放り込み、驚くほど素早く皿の上は空になった。
 その食べっぷりに目を丸くしたマリアは、少々困惑したような顔を浮かべる。
「た、足りなかったですね。男の方がいつもどれくらい食べるのか分からなくて……。もう少し頂いてきた方が……」
「……ううん。いいよ。ありがとう」
 正直全然食べたり無かった。だが少しでも胃の中に食べ物が入った事で、多少の気の緩みが出来たのか久し振りにその顔に小さく笑みを浮かべる。
 その表情にマリアの胸がドキリと小さく反応を示した。
「あ……」
「?」
 リガルナの純粋な微笑みに思わず言葉に詰まった。何かを言おうと思っていたのだが、一瞬の内に忘れてしまう。
 ぶつかり合った視線からお互いが目を逸らせずに見つめ合い、二人の間に僅かな時間、沈黙が落ちた。
「マーナリア様ー? どちらにおいでですか?」
 ふとその時、マリアを呼ぶ別の声が聞こえてくる。マリアはハッとなると顔を明らめながら手にした皿を自分の胸に抱き、そちらを振り返る。
「は、はい! 今そちらに行きますわ!」
 声をあげ一言そう言うと、再びリガルナを振り返る。そしてはにかんだ笑みを浮かべた。
「あの、名前を……」
「え?」
 突然の事に、今度はリガルナの方が目を丸くした。
「せっかくこうして逢う事が出来たのも何かの縁ですもの」
「……」
 リガルナは躊躇ったが、ここまでしてくれたマリアに対し名前も名乗らないのはあまりに失礼だと思ったリガルナは、呟くように名乗った。
「……リ、リガルナ」
 マリアは名前を聞くと満足そうに微笑みを浮かべる。
「リガルナ。あなたがこれからどうやってここを切り抜けられるか考えてみます。だからそれまでここにいて動き回らない方が良いですわ。私、もう行かなくてはいけませんけど、また来ますから」
「あ、ありが……とう」
「それじゃ、また」
 頬を染めて無邪気に微笑みながらマリアはそう言い置くと、さっとその場から離れて名を呼ぶ人物のもとへ小走りに戻っていった。
 残されたリガルナは言われた通りに再び茂みに身を潜め膝を抱えると、目の前に広がる広大な土地と泉に浮かぶ煌く月を眺めた。

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