Reverse cross

陰東 一華菱

第二十六話:二人の壁

 冷たく言い放たれ、その場に取り残されたアレアはその場に泣き崩れていた。
 絶望的だとも、虚無感だとも言えるなんとも言えない感覚、それにいい知れない恐怖に包まれ溢れでる涙が止まらない。
 自分は何て馬鹿な事を言ってしまったのだろう。そう、自分を責めたてもした。
「……お母さん」
 無意識に口をついて出たのは、今はもういない母親だった。 
 手の甲で涙を拭い、それでも零れ落ちる涙を更に拭い去るもやはり涙はとめどなく零れ落ちる。
 これからどんな生活が待っているのか想像もつかない。相手に酷く拒絶されている事は分かった。あの様子からすれば、これから先、自分に攻撃が加えられる可能性もゼロじゃない。もしかしたら、それによって命を落とす可能性もあるだろう。だが、自ら彼との共存を願い出た以上覚悟を決めるしかないと自分に言い聞かせ、アレアはもう一度涙を拭い去り歯を食い縛った。
「……っ」
 自分で選んだ道。後悔しているところもあるが、この道を進むしかないのだ。だから、もう、泣かない。

                   *****


 リガルナは、自分の気持ちを整理するために当てもなくブラブラと歩き回っていた。
 目が見えないのだと告白をされてからの、彼女から望んだ共存の道。それを拒みきれなかったのは、自分の中に芽生えた微かな「希望」に賭けたいと無意識にも望んだからかもしれない。目が見えないなら好都合と思ってしまった自分は、他から見れば“魔物”としては実に似つかわしく無い、随分と隙だらけな男だった事だろう。全盲だと言った彼女の言葉が嘘かもしれないと少しも疑わなかったのは、彼女の動作を見れば分かる事だった。
 自分以外の人間と……12年もの間切り離してきた人間との共存……。
「……」
 リガルナは戸惑いの表情のまま、何気なく自分の手を見下ろした。
 自分は一体どうしたいのだろう……。共にある事を認めた以上、彼女をあの棲家に置かないわけにはいかなくなってしまったが、このままずっと彼女とあの場所で暮らさなければならなくなるのだろうか? 長い間人との関わりを断ってきただけに、今更関わりをどうもっていいのかも分からない。自分の中にある、押し込めてきた希望と絶望とがせめぎ合い、酷く落ち着かなかった。
 どうしてこうなった? なぜ共存を認めてしまった?
 もう自分自身が分からないほどグラグラと揺れているのが分かる。
「……くそっ」
 心を許したくは無い。心を許してしまった後の絶望が大き過ぎた。だから簡単に心を許すつもりはない。
 もう後に引けない状況に自ら追い込んでしまった事に舌打をし、これ以上関わらないよう彼女と距離を持つ以外方法は無いと、リガルナはそう心に決めたのだった。
 何となく決心がついたリガルナが洞窟まで戻ると、落ち着きを取り戻したように見えるアレアの姿が見えた。彼女は言い争った時と同じ場所に座り込んだままで、身動き一つとっていないように見える。
「……」
 リガルナは遠巻きにそんな彼女を見つめていた。
 一体いつまであの場所にいるつもりなのか。そんな事を考えながら彼女の様子を見ていると、時折お腹に手を当て、ぎゅっと何かに耐えるように地面に着いていた手を握り締めた。その動作で、彼女がお腹を空かせているのだと言う事に気が付いた。
 痩せ細った体を見れば、これまでの食生活がまともでなかったのだろうという事は分からないでもない。
 リガルナは冷めた眼差しで彼女が空腹に耐え忍んでいる姿を見つめ、くるりと踵を返しその場を立ち去った。


 ボスン、と言う重たい音が響き、コロコロと地面を転がって何かがアレアの手に当たる。アレアはそれに驚いて僅かに顔を上げると少し離れた場所に人の気配を感じ取り、リガルナが戻ってきていた事に気が付く。
 何を投げ寄越されたのか分からず戸惑いの色を見せていると、ぶっきらぼうな声がかかってきた。
「喰え」
 冷たいながらもそう言い放つリガルナの言葉に、手に当たった物を恐る恐る手に取った。
 ズッシリとした重量感のある、ひょうたん状の形の何か。触ると実は固く絞まっており、ひんやりとして冷たい。表面には少しのうぶ毛が生えているのかフワフワとした感触もあった。
「あの……これは……」
「……」
 リガルナはアレアの問い掛けには一切答えなかった。
 無言を守るリガルナに怯えながらも、アレアは投げ寄こされたその手元の実をしばらくの間手の中で持て余すように触った。触っているうちにそれが昔食べた事のあるクレフと言う実だと気付くとようやくそれを口にした。
 クレフは皮ごと食べられる、食感は洋梨と同じく果汁がたっぷりのシャリシャリした甘い果実だ。身の中心は空洞になっており、そこは小さな種とよく熟れていれば果汁に満ちているものだ。しかし投げ寄こされたこのクレフはまだ熟していない為に固く、歯ざわりが悪い上に酸っぱい。
 空腹に耐えかねて一口齧ったアレアだが、その食感に思わず眉間に皺を寄せた。しかし、文句など言える立場ではない。食べられないわけではないのだからと、何も言わずただ黙々と手にしたクレフに口をつけた。
 久し振りにありついた食べ物にアレアの腹は久し振りに膨れた。そのおかげか、多少なりとも元気が出たアレアはリガルナの気配のする方へ顔を向ける。
「あの……、ありがとうございました」
「……」
「私、アレアと言います。あなたは……?」
 自己紹介をしていなかった。そう気づいたアレアは自ら先に名前を名乗る。もちろん、相手に対する警戒心はビリビリするほどに張り詰めていたが、自分から共存を望んだ以上相手の名前くらいは知っておきたい。そう、アレアは考えていた。
 しかしリガルナはその言葉にも一切返事を返そうとはしなかった。
 名前などどうでもいい。リガルナはアレアとは違い別段そこに気を取られる事などなかった。
「あの……」
「……」
「名前、教えて下さい。名前も知らないのは、何だか嫌です……」
「……だったら消えろ」
「……っ」
 相変わらず口からついて出る言葉は冷たく言い放つその一言だけ。アレアは思わず口をつぐんで、思いがけず泣きそうになるのをグッと我慢する。
 泣いた所でどうなる訳ではない。それは十二分に分かっていた。
「……ごめんなさい」
 しょんぼり肩を落とし、アレアは小さく詫びの言葉を零す。
 これから先もこんな風にずっと共存して行くことになるのだと言う事に、アレアはショックとも安堵とも付かない思いに包まれていた。

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