Reverse cross

陰東 一華菱

第二十九話:自暴自棄

 それから更に二ヶ月ほど月日が流れた。季節は移ろい、肌寒さを感じるほど秋が深まり始める。
 この頃になると、二人の関係は以前に比べ相変わらずつかず離れずではあるものの変化が生じていた。特にリガルナには大きな変化だと言っても過言では無いかもしれない。
 知らず知らずの内にアレアの存在を受け入れて、傍にいることに抵抗を感じなくなっているのには、彼自身も驚いていた。そしてもう一つ、変化があったとすれば考える事が増えた事だ。かつては考える事をせず不快な思いそのまま行動を起こしていた。しかし、アレアが自分の傍にいるようになってからは、様々な事に思いを巡らせる。特に、彼女に関して考える事が増えていた。
 リガルナは、洞窟の傍に生えている木に腕を組んだまま背を預け、陽が傾き、陽の光と季節的なもので赤く色づき始めた遠くの山々を見やりながらぼんやりと考えていた。
 あの日以来、アレアの一挙一動が全て気になる。緩慢な動きで何か行動を起こそうとすると、目線だけが彼女を追いかけている事が多くなった。
 声を聞きたい。そう思うようにもなったが、長い間人間を避けてきていたせいもあり、自分から行動を起こし、どう声を掛けてよいのか分からずに躊躇われていた。そして日を追うごとにアレアの事を知りたい衝動が強くなってくる。が、その反面、自分の中の臆病風も強く吹いた。
 もし、自分の正体が分かったら、きっと彼女は自分の傍からいなくなるに違いない。……いや、そうではない。いなくなれない分、怯えられた状態で共存する事で彼女にはとてつもないストレスを感じさせ、また、自分もいつかのように傷付きながら生きていくことになるに違いない。だからこそ、そうなった時には彼女をこの手で……。
「……」
 リガルナは自分の手を見つめた。
 正体がバレた時点で、すぐにアレアを手に掛ける。そうする事で自分を守る事が可能だ。だが、こんな気持ちで彼女を手に掛けることなど出来るのだろうか。実際に手を掛けられたとしても、その後自分は今までと同じように生きていけるのか。そこに不安を覚え、深いため息を吐く。
 今の自分では、それが出来ないかもしれない。それだけ彼女の存在に安心感を得ていた。
 どこかで鳴く虫の声を聞きながら、リガルナは自分の中に芽生えかけていた「安心感」と言う感情が「愛情」と言う名のものに変わりつつある事に気付きもせずに、一人思い悩んでいた。
 あの笑顔が見たい……。もっと、アレアを知りたい……。
 いつの間にやら陽が暮れて空一面に広がった満点の星空を眺めながら、無意識にもそう考えていた。
 彼女と共にある内は、ずっと求めた安息を感じることが出来る。人を殺すと言う衝動を抑えることが出来る……。
「……滑稽、だな」
 ボソリと呟きながらも、リガルナの口元には薄く笑みが浮かんでいた。


 その頃、洞窟の中にいたアレアは深いため息を吐いた。
 ここへ来て三ヶ月。最初の時に感じた恐怖や緊張感、不信感は以前よりも薄らいだものの、アレアの心には不安と寂しさがこみ上げていた。
 決して長いとは言えないが、短くも無い期間を共に過ごしているリガルナの事を、ほとんど知らない。話しかけてもある程度の返事は返ってくるようになったものの、それ以上何を語るわけでもなくすぐ口を閉ざしてしまう。自分を遠ざけようとしているかのように、食べ物の受け渡し時以外は距離を置いてしまう彼が分からず、寂しく思っていた。
 男性不信のアレアでも、これまで一度として必要以上に話したり近づいてこないリガルナは安心できる存在になりつつあった。だからこそ無意識にも、もう少し打ち解けたい。名前を知りたいと思うのは自然の事だ。しかし、名前やリガルナの事をもっと知るために歩み寄ろうとすると、彼は頑なにそれを拒み続けていた。
「……やっぱり、私じゃダメなのかな……」
 無意識に出たその言葉が、洞窟の中に響き渡る。
 一緒に同じ時間を過ごしているのに名前も素性も明かしてもらえないと言う事は、やはり彼にとって自分はただの重荷であり、鬱陶しいだけの存在なのかもしれない。
 こうして一緒にいられるだけで、安心感を抱くようになったのは自分だけなのだろうか? 自分が彼にとって心を許せる存在になれたら良いと思ったのは、ただの独り善がりだったのだろうか。
 そう思うと、ギュッと胸が痛み涙がこみ上げてくる。
「……やっぱり、私はただの厄介者なの? 他の人と違う、それだけで私は皆の負担にしかなれないの?」
 震える声で呟きながら、ポロポロとこぼれる涙が地面を濡らした。
 もう泣かない。そう決めたのに、今自分の胸にこみ上げてくるのは言い様の無い悲しみだけだった。
 ただの重荷にしかなれないなら、自分がいる必要なんてないんじゃないか。
 心が挫けてしまったアレアの考えは悪い方へと流されていく。
 アレアは流れる涙をそのままに、その場にフラリと立ち上がるとゆっくりと壁を伝いながら外へ向かって歩き始めた。

 ザリ、と地面を踏む足音を聞き、物思いに耽っていたリガルナが我に返りその音の方向へ視線を向けた。するとそこには、洞窟の中にいたはずのアレアがいた。そして虚ろな眼差しのまま洞窟を出て、ふらふらとした足取りのまま崖の方へゆっくりと歩いていく。
「………?」
 リガルナは不信に思い、眉根を寄せてアレアのその行動を見つめる。
 様子がおかしい。そう感じたリガルナは気配を殺し、足音を立てないようアレアの傍に近づいていった。
 アレアは、あと一歩踏み出せば、真っ逆さまに崖下に落ちるギリギリの場所でようやく立ち止まると、虚ろな眼差しで前を見ていた。
「……お母さん……お父さん」
 その目からはハラハラと涙が伝い落ちていた。胸元には両手で包むようにしっかりとあのボタンが握り締められている。
「……ごめんなさい。私……」
 独り言のように呟いた言葉は風に流されていく。
 誰の役にも立てず、必要とされず、誰にとっても負担にしかならないならもう、生きている意味なんて無い。
 生きようと、生に縋ってここまで来ていたはずなのに、今では全てを投げ出したい気持ちで一杯だった。

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