Reverse cross

陰東 一華菱

第三十二話:縮まる距離

 どんな言葉をかけて良いのかも、どんな風に行動すればいいのかも、今のリガルナには分からなかった。今自分がどうすればいいのか、そんな事も忘れてしまった。
 何も言わずただ黙ってアレアを見下ろしていたリガルナだったが、ふとアレアの方から手を伸ばしてきた。
 探るようにゆっくりと伸ばされた手はリガルナの腕に触れ、なぞるようにしながらアレアの手がやんわりと手を握りしめた。
 こうして頼りなく触れられるのは初めてだった。何もかも探るようにしか生きられないアレアのあまりの頼りなさにぎゅっと心が掴まれる。
 アレアは僅かに視線を下げ、どこか緊張しているかのような面持ちでゆっくりと口を開く。
「……名前、教えて下さい」
 いつかのようにアレアはそう呟くように言うと、もう一度視線を上げてきた。その瞳に自分の姿が映り込んでいない事に安堵を感じながらも、リガルナは自分の名を明かすことに躊躇した。
 赤き魔物と言われ続け、リガルナと言う名があまり世間に知られているとは思えなかったが、それでもその異名と共に広まっていないとも限らない。
 名を明かしただけで自分の正体が分かってしまう可能性がある事にどうしても怖くなってしまう。
 いつかのように突き離すことも出来た。しかし、今のリガルナはそれすらも躊躇われた。
 しっかりと握り締められた手のぬくもりが振り払えない。自分の中にあった弱さをまざまざと見せつけられているようだ。
「お前は……」
 十分な間合いを取って、ようやくリガルナの口から出た言葉に、アレアはただ黙って頷いた。
「赤き魔物を、知ってるか……」
 そう呟くように言って、リガルナは苦しく、切なげに目を閉じる。
 告白した後の彼女の反応が怖い……。それでも、彼女の言葉に応えたい自分もいる。だから明かす前に、聞いておきたかった。
 赤き魔物と言う異名を聞き、アレアは一瞬ピクリと反応を示すが、特別驚いた様子もなく静かに頷いた。
「私がまだ叔母と叔父の家にいた時に、二人が話していた会話を聞いて知っています。でも、ここではない隣の大陸で起きている事件だと、そう聞きました。私が知っているのはそれだけです」
「……」
 あいまいな情報だとは言え、やはりアレアの耳にもその情報は入っていた。
 そう思うと心がざわつく。しかしそれだけの事をしてきているのだ。むしろ何も情報が入っていないと言う方が不自然というものだろう。
 アレアはリガルナの手を握り締めたまま、顔を俯ける。そして握り締めた手に力を僅かに込めながら呟くように口を開いた。
「私……今までずっと街に出ることも出来ず、家に閉じ込められたままで暮らしていましたから、多くの情報は知りません。叔母も叔父も、どうしてか人目を避けている事が多かったですし……」
 自宅に閉じ込められていた。
 その話を聞いてやはり自分と重なる。そして叔父や叔母がなぜ人目を避けていたのかと言う事も想像がついた。おそらく、彼らはアレアと言う存在を酷く疎んじていて、彼女の存在が恥ずかしいと思っていたのかもしれない。だから家の中に監禁して来たのだろう。かつて、自分がそうされたように……。
 まさかそこまで自分の生き様と酷似しているとは思わなかった。
 彼女の言葉にリガルナは閉じていた目を開いて切なげに目を眇め、目の前のあまりにも頼りないアレアをもう一度見下ろした。
 あぁ……ただ生き様が似ているだけだと言うのに、もう自分は彼女を手放す気にはなれずにいる。こんな気持ちでは、手に掛ける事など到底出来るはずもない……。
 黙りこんだままのリガルナに、アレアは不思議そうに首を傾げた。
「それが何か……?」
「いや……。俺は……リガルナ、だ……」
 数ヶ月経ってようやく聞けたその名前に、アレアの顔は自然と緩んだ。
 名前を知るだけで、どうしてこんなにも安堵出来るのだろう。名前も知らず、ただ近くにいた時よりもずっと近くに存在を感じる。
「ありがとうござます……リガルナさん」
 アレアは緩やかな笑みを見せた。
 リガルナはそのアレアの姿を見て、心がざわついた。
 初めて見せた一瞬の微笑みが頭を離れず、そして今安心したように微笑みかけてくるアレアの笑顔。それが、リガルナにとって手放したくない物の一つだった事を、この時分からされた。
 出来るなら、自分の全てを彼女が受け入れてくれたらいい……。そう、強く願っていた。
 握り締められている手を振り解く事も出来ないまま、リガルナは静かに促す。
「戻るぞ……」
 リガルナがそう言うと、アレアは笑みをその顔に残したままゆっくりと頷いた。そして握ったままの手をそのままに顔を上げる。
「道、分からないので、このままでいい……ですか?」
「……っ、好きにしろ」
 もう何も考えずに振り払う事はできない。
 リガルナは躊躇いながらぶっきらぼうにそう答えると、アレアの手を引き洞窟へと戻っていく。
 その後、二人の距離は歩むほどの速さで少しずつ縮まっていった。

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