Reverse cross

陰東 一華菱

第三十五話:傍に居るだけで

 それから更に数ヶ月の月日が経った。
 今日は空は雲一つ無い快晴。アレアはそっと洞窟を抜け出て、目に見えずともその爽やかさを肌身にしっかりと感じ取る。
 以前までの落ち込みがまるで嘘のように、心の中もこの空と同じように晴れやかで清々しい気持ちに包まれていた。
 ザリ……と地面を踏みしめる音を聞いたアレアがそちらに顔を向けると、ニコリと微笑みかける。
「お帰りなさい。リガルナさん」
「……あ、あぁ」
 思いがけず明るく微笑みながら声を掛けられたリガルナは、若干驚いたようにその場に立ち止まってしまった。
 あれだけぎこちない関係を保ったまま暮らしていたのがまるで嘘のように、アレアは屈託のない笑みを浮かべている。
 ……やはり、この少女の笑顔を見ていると心がざわめく。
 全てを解き明かすことを許されているような、受け入れてくれるような、そんな錯覚に陥りそうだった。
 呆然と立ち止まったままそんな事を考えていたリガルナの傍に、アレアはゆっくりとした歩調で歩み寄ってくると、手探りにリガルナの腕を探し始める。
 指先がリガルナの肌に触れると、アレアはそっとその手のひらを押し当てそれが腕かどうかを確かめるように何度も触れてくる。
「……何か持ってるんですか?」
「……いや……」
 どういう訳か、上手く言葉を話すことが出来ない。
 アレアにはリガルナに対するぎこちなさが取れたのだろうが、リガルナには反対にぎこちなさが生まれた。
 人と接してこなかった事ももちろん原因の一つではあったのだが、アレアの前では上手く話せない。以前のような乱暴な物言い方さえも出来なくなっていた。
 歩み寄りたい。でも出来ない……。その葛藤にも似た思いがリガルナの中に渦巻いている。
 アレアは黙り込んだリガルナに、思わずクスリと笑ってしまう。そしてリガルナが手にしていた物を手に取ると品物を定めるかのように何度も感触を確かめる。
「……あ。これ、クレフ」
 アレアが手にしていたのは、初めてここでリガルナに分けて貰った時に食べたクレフだった。
 やはり実は固く締まっており、まだ熟すには早すぎるようだ。
「リガルナさん。クレフはまだ収穫には早いですよ」
「……そうか」
「でも、早摘みしたクレフはオーリオールの葉で包んで置いておくと上手く熟してくれるんです」
 食べ物に関する事には、やはり女性らしい知識を持っているアレアだった。
 リガルナは、例え渋くても固くても、口には入れば何でも構わないと思っていた。だから美味しく食べる知識など当然持ち合わせてなどいない。
 今日リガルナが持ち帰った果実のほとんどがクレフだった事もあり、アレアはそれを受け取ると手際よくそれらを仕分けし始めた。
 手に持って、指で押すと若干へこみずっしりとした重みのある物は熟れているもの。まだ軽く、押してもへこまなくて固く締まっているものは早摘みしたもの。
 今すぐにでも食べられる物は二つほどで、取ってきた残りの四つほどはまだ食べ頃ではないと判断したアレアは、洞窟の傍に生えていた人の顔ほどもある大きな葉の一枚を摘みとると、クレフの実を綺麗に包みこんだ。
「オーリオールの葉はないけれど、代わりにこの大きな葉っぱで包んで置きました。たぶん、一週間位で食べごろになると思います。それから、こっちのマグリは今丁度食べごろなので、今日食べましょう」
 マグリと呼ばれた大きく丸い、赤い果実を手にしたアレアはニッコリと微笑んだ。
 甲斐甲斐しくも食事の支度をするアレアの動きはあまりにも手際が良く、本当は眼が見えているんじゃないかと疑ってしまいそうになる。だが時折、何かを探すように手探りしている姿を見ると、やはり見えていないのだと確信した。
 食事の仕度をするアレアの後姿を見つめていたリガルナは、ふっと目を細める。
 彼女の存在が、自分の中で大きくなっているのを感じる。彼女が傍に居てくれれば、もう何もいらない……。
 そんな感情がわき上がり、満たされている自分の心にそっと眼を閉じた。


 簡単な食事を終え、リガルナは岩場の上に腰を下ろしたまま夕闇の迫る空を黙って見上げていた。
「リガルナさん……」
 そんなリガルナの傍に、木の実の殻で出来た器を持ったアレアが近づいてくる。
 ところが少し違う方向へ進んでいる事に気づいたリガルナは、無意識にも手を伸ばしアレアの腕を掴む。
「……俺はここだ」
「あ、はい。私、ちょっと違う方向へ行ってましたね」
 慌てたように笑うアレアは、リガルナの手に引かれて隣に歩み寄ってくると、手にした器をリガルナに差し出した。
「あの、これ、さっき作ってみたんです。木の実のスープ。明日食べられるかなと思って……」
 いつの間に作っていたのだろう。
 リガルナはそれを受け取り、久し振りに人の手で作られたスープをまじまじと見つめた。その時、ふと期待に満ちた顔でこちらを見上げてくるアレアに気がついた。
「何だ?」
「あの、美味しいですか?」
「……」
 そう問われたのは、もうはるか昔。まだ幼かった時に、母親がそう聞いて来た時以来だった。
 思わず胸がドキリと鳴り、見上げてくるアレアから視線をそらす。そして再びスープに視線を戻し、一口口に含んでみた。
 木の実の香ばしい香りと、素朴でありながら深みのある味がとても美味しい。
「……あぁ、そうだな」
 素直な感想を口にすると、アレアはパッと表情を明るくする。
「良かった。調味料もないし、どう工夫すれば美味しく食べられるか凄く悩んだんですけど、私は良くてもリガルナさんの口に合うかどうか凄く不安だったんです」
 安堵したように微笑み嬉しそうに前を向いたアレアに、リガルナは視線を戻した。

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