Reverse cross

陰東 一華菱

第四十九話:裏切りの根

 医務室の入り口は完全に閉ざされ、中では緊迫した状態が続いているのがよく分かった。
 マーナリアはその部屋の前でただきつく手を握り締め、瞳を閉じ、セトンヌの無事だけを祈り続ける。
 時間だけがどんどん過ぎていく。一体どれほどの時間、その場でそうしていたのか分からない。だが、緊張続きで心身共に疲れ果て頭がぼんやりとしてしまうだけの時間は、ゆうにかかっていた。
 ようやく開かれた医務室の重いドアに、その場にいた全員が顔を上げ出てきた医師を見ると、医師は一度だけ深く頷いた。
「大きな傷でしたが、ランダモーネでの処置が早かった事と適切であった事、そして何より、魔術師達の協力もあって何とか一命は取り留めました。ですが、意識が戻るかどうかは……」
 一命は取り留めた。しかし、苦い表情を崩すことのない医師の顔を見て誰もが表情を曇らせたのは言うまでもない。
「……セトンヌ」
 医務室の奥から運ばれてきたセトンヌの顔色は悪い。あれだけの夥しい量の血が止まっている事が唯一の安心感を与えてくれる。
 セトンヌはそのまま自室のベッドに運ばれ、それから幾日も意識を取り戻さないままマーナリアと専門医の献身的な看病だけが続けられた。


 ある日、いつものように眠っているセトンヌの額の汗を、柔らかなタオルで拭きながら看病をしていたマーナリアは、何かの気配を感じて顔を上げた。
 暗い部屋。部屋を照らしているのは月と星の微かな明かりだけ。
 青白い光の差し込む部屋の隅に、マーナリアは目を向ける。
「……そこにいるのは誰?」
 持っていたタオルをきゅっと握り締め、暗闇の中にいる何者かに声を掛けた。するとほどなくして二つの双眼が暗闇に光り、ゆっくりとそれは姿を現した。
 銀色の毛並みをした二尾の尾を持つ狼――。
『レグリアナの巫女よ。よくぞワシがいる事を見破った』
「……あなたは誰ですか?」
 マーナリアは怯える様子も見せず、凛とした態度で銀狼に声を掛けた。
『ほう。ワシの姿を見ても驚かぬか。さすがは巫女殿と言うべきか。たいしたものよ』
 感心したように銀狼がそう呟くと、マーナリアは訝しむ眼差しで銀狼を見据える。
「私に何か用があってここへ来たのでしょう?」
『……察しの良い巫女殿だ』
 ゆっくりとした歩調でマーナリアの前に歩み寄ってきた銀狼は程よい距離間で座ると、鋭い眼差しで見つめてくる。
 月明かりでキラキラと毛並みが光り、その光りの中で二尾の尾がゆったりと揺れ動く。
『ある娘の事でな……』
「娘?」
『そう。そなたが気に掛けていたリガルナと心通わせた唯一の娘……』
「!」
 リガルナと言う名を聞き、マーナリアはピクリと反応を示す。そして咄嗟に、隣で眠るセトンヌに視線を向けた。
『案ずるな。その男はいずれ目覚める。まだしばらくは無理だがな』
 その言葉に驚いて、マーナリアは銀狼を振り返る。
 まるで予見しているかのようなその言葉に思わず怪訝な表情を浮かべて見つめるが、まっすぐにこちらを見つめてくる銀狼のその言葉には、不思議と嘘は感じられなかった。
「……あなたには先見の力があるのですか?」
『さぁて、どうだろうな。どう思おうがそなたの自由だ』
 フンと鼻を鳴らしてまるで笑っているかのような素振りを見せる銀狼に、マーナリアは手にしていたタオルを桶に置いてまっすぐに彼に向き直った。
「あなたには不思議な力が感じられます。……私に何かを求めて来たのですね?」
『なかなか話が早い。では、手っ取り早く用件を述べさせてもらおう。ここから西へ海を渡った場所に死山と呼ばれる山がある。その山の頂付近に洞窟があり、そこに一人の娘が眠っているのだが、その娘の望みを聞いてやってほしいのだ』
「その娘と言うのは、先ほどあなたが言っていたリガルナと唯一心を通わせたと言う娘さんですか」
『そう。心を頑なに閉ざし、ワシの言葉さえも耳に貸さなかったあのリガルナに、再び人間らしさを取り戻させ、安息をもたらした唯一の人間の娘だ』
 銀狼のその言葉を聞き、マーナリアは膝の上にあった手をきゅっと握り締めた。
 他の誰にも出来なかった事を成し得た娘。その存在がリガルナに安息を与えていたと知って、彼の事を案じていたマーナリアには安心材料になったのは間違いがなかった。
 しかし、その娘は眠っていると言う。それはつまり……。
「その、眠っていると言う娘さんは……」
『殺されたのだ』
「え……」
 間髪を入れず答えた銀狼の言葉に耳を疑った。
 殺されたと言うのはどういう事だろうか? リガルナに殺されたのか、それとも他の誰かに……?
 疑問に思っていると、銀狼は首を後ろへ回し、胴体から下げていた物を加えてそれを床の上に置いた。
 それは、剣の刺さっていない鞘。血糊で黒ずみ、汚れている。
 マーナリアは椅子から立ち上がり、その鞘の前にしゃがみ込んで手に取ると、鞘の側面に彫られていた名前に眼を見開いた。
「……サルダン……。サルダン・ボッシュメント……」
『その男がリガルナから娘を奪ったのだ。ある雨の晩遭難したその男が洞窟に入り込み、娘を陵辱し運悪く鉢合わせたリガルナの腕の中で娘は命を断った。その後、男はリガルナによって殺された』
 淡々とした口調ですべてを話す銀狼に、マーナリアは愕然として言葉が出てこなかった。
 小刻みに体を震わせるマーナリアに、銀狼は言葉を続ける。
『巫女よ。リガルナが再び心を閉ざし、真の魔物と自ら化したのはそれがきっかけだ。奴は、この男を差し向けたのは全てそなたの仕業だと思っている』
「そんな……! 私は……」
『……自分の意図せぬ誤解とは言え、リガルナを裏切った事に変わりはない。その裏切りの根は、今を持っても奴の中に根付いている。残念だが、そなたとこの国、そして全ての人間達を根絶やしにするまでは、奴は暴走を続けるだろう。わかっているだろうが、もうそなたの言葉も思いも、何も意味も成さない』
「……」
 ハッキリと告げられたその言葉に、マーナリアは肩を落とした。
 初めから分かっていた事だ。今更傷つくような話でもない。だが、それでも胸が痛んだ事に変わりはなかった。
「……私にリガルナを止められないのなら、その娘の望みを私に託すのは間違いではありませんか?」
 力なく呟くと、銀狼はきゅっと眼を細める。
『そうだな。だが、残念なことに、娘の望みを聞けるのはそなただけなのだ。そしてその望みを奴に届けるのもそなたにしか出来ぬ。本当に奴に償いたいと思う気持ちがあるのなら、娘の望みを聞きその命をかけて奴へ届ける事だ』
 銀狼は落ち込むマーナリアを見据え、冷たくもそう言い放った。

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