Reverse cross

陰東 一華菱

第五十話:それぞれの覚悟

 償い……。
 その言葉にマーナリアはセトンヌを見やり、両手をきつく握り締めて瞳を閉じた。
 心の中に芽生えた黒々とした感情。色々な考えと混ざり合い、とても複雑なものになっている。
 自分は一体どうしたいのかが分からなくなっていた。
「……分かりません。彼の無実を晴らし誤解を解きたいと思ってやってきたこの12年間、結局私のやることは、あなたの言う通り何の意味も成さなかった。その最中、リガルナが彼を危険な状況にまで追い込んだ事で、私の中に今まで感じなかった感情が生まれました。瀕死のセトンヌの姿を直視した瞬間、私、リガルナの事を……」
 ぽつぽつと語るマーナリアの言葉を、銀狼は静かに聞いていた。
 小刻みに体を震わせる彼女の姿を見つめていた銀狼は浅いため息を吐く。
『それが人間と言うものだ。大切なものを失いそうになった時、あるいは失った時、心に生まれた恐怖と憎悪、悲しみをその対称にぶつけたくなるもの。――巫女よ、物事をよく見極めるのだ。その胸に芽生えた感情、そなたはそれをどうしたい? 己が導き出した答えが、良きにしろ悪しきにしろ、それがそなたの人生だ』
 銀狼の言葉に、マーナリアはピクリと体を震わせた。
 自分の中に生まれた、リガルナに対する恨みを感情のままに彼にぶつける……? しかしそれではこれまでと何ら変わらない。そして何より、あの日、彼を意図的に追い詰めた事を認めてしまう事になる。そんな自分の感情だけで走ってしまうようでは、神に仕える巫女としての立場は何だというのだろうか……。
 マーナリアは下唇を噛み、もう一度自分の心と向き合う。
「……恨みや、憎しみは……決してよい結果をもたらしません。それどころか周りを巻き込み、更なる負の感情を呼び覚ます。そんな中で、争いが無くなる事など絶対にないのです」
 これまでの自分の考えを見直すかのように、そして確かめるように、そう口にする。
 閉じていた目をゆっくりと開き、目の前にいる銀狼へ眼を向けた。が、そこにはサルダンの鞘が置かれているだけで、彼の姿はどこにもなくなっていた。
「……私はこの命をかけて、彼を――リガルナを……」
 暗闇に向かい、マーナリアは静かな誓いを口にした。





 切り立った崖の上から、滝つぼをめがけて勢い良く水が流れて落ちる。大量の細かな水しぶきを当たりに撒き散らし、それらは靄として辺りを怪しく包み込んでいた。
 その滝から少し離れた場所で上半身が裸のまま、全身ずぶ濡れになったリガルナが川に腰まで浸かって立っている。
 背中に受けた攻撃により、背中に負った傷は痛々しい。
 黒ずんでいた皮膚は剥げ落ちて、まだ完全には癒えていない引きつった赤黒い傷がその背中に残っている。
「……」
 治癒の力を使う気はない。しかし傷をそのままにしておくわけにもいかなかった。
 その為に、リガルナはあれ以来薬草の多く生えそろう森の奥に身を潜め、体を休ませていた。
 死山と謳われて草木も水も枯れ果てていると思われるこの山にも、更に奥へと進めば清い水と豊富な薬草が生えそろう場所がある。
 長年一人で生きてきた中で身に付けた知識で薬草を煎じて薬を作り、傷に塗りこんでいく。そんな作業を繰り返している内に、焼け爛れた皮膚は完全ではないにしろ何とか癒え始めていた。
 川の水面に映るその自分の姿をぼんやりと見つめていると、ふと右の瞼から額にかけてある幼い頃についた傷が眼に留まる。古いはずのその傷もまた、引きつり変色している。その生々しい傷跡は未だに痛む時があった。こうして自分の姿を見たのは、もうどれぐらい振りだろう。久し振りにみる自分のその姿に、リガルナは目を細め怪訝そうな表情を浮かべて視線を逸らした。
 体に残る多くの傷跡。もはや消すことは不可能だ。この傷の数だけ、自分は多くの罪を背負い、孤独を連れていかなければならない。これは、一生付き合っていかなければならない傷だ。そしてこの背中に負った傷も、自分が死に絶える、その時まで……。
「……っ」
 ゆっくりと水辺から上がると、リガルナは傍に置いてあった衣服に着替えて何の気なしに空を見上げる。
 分厚い雲に覆われて、今日は星空を眺めることが出来ない。しかし、リガルナにはその方が良かった。星空を見ると、思い出すのはアレアの事しかない。
『空は、満天の星空ですか……?』
 そう訪ねてきた、発作の起こる直前の言葉が耳からついて離れない。
 ホウホウと鳴くふくろうの声を耳に受け、リガルナの闇を見据えているその目には、ただ寂しさの色だけが残る。
「全てが終わるまで、俺は死ねない……」
 全ての人々に報復を。いや、何よりもまずレグリアナの全てを消し去らなければ、リガルナの復習は終わらない。
 背中の傷の痛みに一瞬顔を歪ませながら、リガルナはスゥッと目を閉じると風を呼んだ。地面に着いていた足がフワリと宙に舞い上がると音もなく体が宙に舞い上がる。
 眼下に広がる森と、その先に見えるトルタン大陸に残っている唯一の港町が目に写った。
 今頃は生き残った僅かな人間たちがこぞってあの港町に集まり、大陸の脱出を試みていることだろう。その証拠に、港にはとても大きな船が停泊しているのが見える。
 リガルナは港町から、背後にそびえる死山に眼を向けるとキュッと目を細めた。
 あれから、あの洞窟には戻っていない。
「……」
 全てを終わらせたら、またここへ戻ろう。そしてその後は……。
 リガルナはすっと眼を伏せ、洞窟に背を向けると港町に向かって飛び去った。
 レグリアナに渡り、全てを終わらせるために。

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