Reverse cross

陰東 一華菱

第五十一話:報復への序章

「ひ、ひぃっ! だ、誰か、た……っ」
 港町の裏路地で、悲痛な悲鳴が上がる。
 じりじりと角まで追い込まれ、逃げ場を失った初老の男は大きな声を上げて助けを呼ぼうとする。
 咄嗟に男の口を塞ぎ、ずぶり……と容赦なくその心臓を、落ちていた棒状の鉄くずで貫く。
 ダラダラと流れ落ちる大量の血痕が地面を染め上げ、男は一瞬の内に息絶える。
「……」
 木箱の積み上げられた路地角にくず折れた男を見下ろしていたのは、フード付きのマントを目深に被ったリガルナだった。
 リガルナは男の手に握られた渡航チケットを奪うと、フンと鼻を鳴らして踵を返した。


 長い行列の中に紛れ込み、リガルナは静かに前の人間に続く。
 あえて陸路と海路を使う手段を選んだのには訳がある。一つには、レグリアナまで飛ぶだけの体力がないことと、他の人間達に紛れた方が奇襲を仕掛けやすいと言うことだ。
 この行列に並ぶ人々は皆、リガルナの攻撃の手から運良く免れた者達が生まれ故郷たるトルタン大陸を捨てて、新たな生活の場を求めて船に乗り込む人々だ。
 ゆっくりとした歩調で歩く人々の面々はどれも、恐怖に青ざめ落ち着きが無い。
「……」
 今ここに彼ら恐怖する本人がいることに気づきもせず、新天地に向かおうとする人々の姿がなんとおかしく見えることか。
 目深に被ったフードの隙間から滑稽とも言える人間達の様子を伺いつつ、リガルナもまたゆっくりとした歩調で歩き出す。
「レグリアナ大陸へ行けば、巫女さまがきっと助けて下さるに違いないわ。もう少しの辛抱よ。私達にはきっと明るい未来が待っているからね」
 ふと、リガルナの横で幼い我が子を励ますように声をかけた若い母親がいた。
 恐怖に包まれ、命を脅かされるこんな世の中でも、何とかして子供達に希望を持たせようとしているのだろう。ずいぶんと浅はかだ、とリガルナは口の端を引き上げて声も無く笑う。
「船が出るぞー!」
 ようやく多くの人間を乗せた船が腹の底に響くような汽笛を上げ、一路レグリアナ大陸を目指してトルタン大陸に残された最後の港町、ローディンを出航した。
 船にまんまと乗り込むことに成功したリガルナは、多くの人がひしめき合う甲板の隅に座り込む。
 船上の人間たちは、遠ざかっていくトルタン大陸を見送りながら、寂しそうにも安堵したようにもとれる表情を浮かべている。やがて、乗船者たち全員が宛がわれていた個室へと入り、気づけば甲板にはリガルナと、船尾に一人セーラー姿の船乗りの男が立っているだけだった。

 出航したのは夜半過ぎ。辺りは真っ暗で星空と月の頼りない明かりが海を照らしている。
 部屋に入る気はしない。今更この身を温めてくれる暖かな布団など、煩わしい以外の何ものでもなかった。
 フードは目深に被ったまま、船の縁に体を預けぼんやりと穏やかに揺れる船に身を任せた。
 漣の音が良く聞こえる、とても静かな夜だ。
 セーラー姿の船乗りは、隅の方に座り込んだまま動かないリガルナの存在に気づき、側に近づいて声をかけてきた。
「おい、兄ちゃん。こんなところにいたら風邪引くぜ? 部屋に戻らねぇのか?」
 その言葉に、リガルナは視線を上げることなく口を開く。
「……放っておいてくれ」
「何だ? 出航して早々酔っちまったんじゃないだろうな? もしそうならここにいると余計しんどいと思うぜ?」
「……」
「まぁ、別に自分がいいならいいけどよ。なぁ、あんたもあの赤き魔物から逃れるためにこの船に乗ったんだろ?」
「……」
「あんたどこの生まれなんだ? 俺はレグリアナ大陸の最北端にある小さな田舎町の出身なんだ。あの魔物の暴走振りは話に聞いてる。まったくゾッとしたぜ。でも、良くあの魔物の襲撃を生き延びることができたよな。あんた本当、ツイてるぜ」
「……」
 余程暇なのか、話好きと見えるこの男にリガルナは苛立ちを覚えながらも無視を決め込む。
 結局は自分の身の回りで起きなければどうでも良いと考えるのが人間。彼の言葉がどれだけ身勝手な発言なのかは、言わずとも分かる。
 あぁ煩わしい……。そう思うと同時に体がざわめいた。
 この男性を、悲鳴を上げさせる余裕など与えず瞬殺することも出来た。が、リガルナはマントの影でそれを耐える。
 今、ここで事を荒立てるワケにはいかない。今だけは静かに過ごさなくては……。
「……気分が悪い。一人にさせてくれ」
 何とかそうとだけ伝えてそっぽを向くと、無愛想なリガルナに対し男は肩をひょいとすぼめた。
 この男じゃ話し相手にはならない。そう思ったのか男は「そうか。悪かったな」と一言呟くとリガルナから離れて再び船尾に戻っていった。
 遠のいて行く彼の姿を見送りながら、リガルナは浅く息を吐く。
 レグリアナまでの道のりは長い。この船は真っ直ぐにレグリアナを目指すのではなく、途中いくつかの大陸に立ち寄るようだった。
 リガルナの目的はまず第一にレグリアナだ。話はそこからでなければ始まらない。
 船旅はおそらく最低でも半月はかかることだろう。その間、次の襲撃に備えて英気を養い、背中の傷の治癒に専念しようと思うのだった。
「――全ての人間達に報復を……。恐怖と言う名の地獄を与えよう……」
 口の端を引き上げてほくそえんだ。

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