Reverse cross

陰東 一華菱

第五十三話:対面

「……この事はお母様を含め、誰にも知られてはなりません。迅速な対応を頼みます」
 自室の外で声を潜め、一人の兵士にそう声をかけたマーナリアがいた。
 兵士は険しい表情のまま恭しく頭を下げ、足早にその場から立ち去っていく。そんな彼を見送りながら、マーナリアはぎゅっと手を握り締めた。
「……リガルナがここへ辿り着くまでにどうか、頼みましたよ」
 緊張した面持ちで深いため息を一つ吐くと、マーナリアは部屋に入った。
 部屋の中は静まり返り、暖かな西日が差し込んでいる。
 いつもの通り、マーナリアは部屋に設置されていた、あらかじめ用意されている水瓶から桶に水を掬い上げてタオルを手に寝室へと向かい、ゆっくりと扉を開く。
 静かに眠るセトンヌ。傷はまだ癒えない。熱はだいぶ下がったものの、まだ微熱が続いている。
 ベッドサイドに腰を下ろし、水を浸したタオルを絞って彼の顔を拭いながらじっとその表情を見つめる。
「……あなたが生きていて、本当に良かった。もう助からないものと思っていたから」
 静かに語りかけながら、丁寧に顔を拭き上げる。
 いつ目覚めるか分からないが、昨晩やってきた銀狼は「いずれ目覚める」と言っていた。その言葉を信じて今は待っていよう。
 マーナリアは汗を拭ったタオルをぎゅっと握り締めて、そっと瞼を閉じる。
「いつも守られてばかりの私では駄目ですよね。私も堂々と立ち向かわなければ……」
 確実にやってくるリガルナの存在を感じながら、マーナリアは閉じていた瞼をゆっくりと開く。
「……今度は、私が守る番です」
 自分に迫り来る危険と覚悟を持って、マーナリアはそう呟いた。


                   *****


 時は過ぎ、あれから更に三週間ほど経った。
 リガルナの動きは相変わらず見られず、いよいよエレニア女王は気が触れたかのように奇声を発するようになっていた。
 自分の命を脅かすリガルナが、何の行動も起こすことなく沈黙を守り続け、西大陸をほぼ壊滅状態にまでしてしまった以上、他の大陸を回ることが考えられる。
 彼は今、どこまで来ているのかどうか? もしかするともう近くまで来ているかもしれない。明日かもしれないし明後日かもしれない。
 明確な動きさえ掴めていればそれに対する対策も取れるが、何も無いのはただ不気味であり恐怖でしかなかった。
 エレニアはその恐怖に心が潰されそうなギリギリのところまで来ているのだろう。
「奴はどこまで来ておるのだ! 奴は何をしでかそうとしておるのだ!」
 髪を振り乱し、毎日のようにそう叫ぶエレニアには女王としての威厳など感じられなかった。
 うわ言のように何事かをブツブツと呟くようにもなり、そんな彼女の存在を見てきたグルータスは眉間に深い皺を刻みため息を吐く。
「エレニア様は完全に壊れてしまわれた……。このままではこの国は持ちますまい……」
 戴冠式を済ませることも無く、次期巫女となる子供が生まれる以前での王位交代はいささか気が引けるが、今はそんなことを言っている場合ではないだろう。早めにマーナリアに指導者としての地位に立ってもらうことが先決だと考える。
「お前達。エレニア様をお部屋へお連れしろ。そして、念のために即位式の支度をしておいてくれ」
 グルータスは召使にそう指示を出し、今後の対策を事前に取っておく。
「こうしておけば、万が一何かあったとしても問題はないだろう。女王として即位をすることで、マーナリア様の巫女としての力は失われてしまうが、致し方あるまい」
 そう呟きながら、即位式に備えて自分も成すべき事がある為にその場を後にした。
 グルータスが謁見の間を離れた頃、部屋にいたマーナリアの元へ兵士が尋ねてきていた。
「……マーナリア様」
 そっと囁きかけるように声をかけると、マーナリアがそっと扉を開き部屋から出てくる。そんな彼女の前に兵士は跪き頭を垂れた。
「無事で何よりです。それで、例の者は……」
「はい。マーナリア様の仰っていた通り、死山の洞窟内に氷付けにされておりました」
「今はどこに?」
「地下の隠し部屋に運んでございます」
 マーナリアはゆっくりと頷くと、周りを見回してもう一度兵士を見下ろす。
「では……案内してください」
「御意」
 言われるまま兵士は立ち上がると、薄暗い路地の奥へと向かって歩き出す。その彼の後ろをマーナリアは注意深く辺りを見回しながら追いかけた。
 三週間前に兵士に頼んだこと。それは、アレアの亡骸をここへ運んでくることだった。
 銀狼の言うように、彼女の意思を感じ取って言葉を聞くためには、彼女自身に来てもらわなければ話にならない。だからこそ極秘に運んでくるよう兵士に頼んでいたのだ。
 宮殿の一番隅にある薄暗い物置の部屋の奥に、地下へと続く階段がある。兵士と共にその階段を下りるマーナリアの靴音が、冷たい石造りの暗がりに響き渡る。
 長く、折り返すような階段を下りていくとやがて水の流れる音が聞こえてくる。
 兵士の持ったランプがなければ分からなかったが、地下の用水路がマーナリアの前に現れた。
 用水路の横にある通路を通り、一番奥まった角まで来るとボロボロの木戸が目に留まる。
「ここです」
「案内ご苦労様。部屋には私だけで入ります。あなたはここで待っていて下さい」
「御意」
 扉の横に立った兵士を横目に、マーナリアは木戸の前に立った。
 ドクドクと早まる胸の鼓動は一体どうしてか分からない。
 緊張した面持ちで木戸のノブを握り締めてゆっくりと開くと、不気味な軋みが用水路中に響き渡った。

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