Reverse cross

陰東 一華菱

第六十三話:目覚め

「グルータス……!」
 マーナリアは弾かれるように顔を上げ、窓辺に駆け寄った。
 先ほどまであったはずの眼下の町並みが一変してしまっている事にも驚いたが、下を覗いた瞬間にぐしゃりと頭の無くなったグルータスの体が倒れこむ姿が見えた。
 マーナリアは思わず両手で口元を覆い隠し、青ざめた顔で体を打ち振るわせる。
「そ、そんな……」
 愕然とした表情のまま、今目の前で起きた事に激しく動揺をしていた。
 ボロボロとあふれる涙を止められず、堪えられずにその場にしゃがみ込む。
『……あいつが憎くなったか?』
 へたり込んでしまったマーナリアをじっと見据えたまま、銀狼が静かに声をかけた。
「わ、私……」
『綺麗事など必要はない。今、この事実を見て、そなたはあいつが憎くなったか?』
 淡々とした口調でそう畳み掛けるように質問をしてくる銀狼に、マーナリアは顔を俯けたまま首をゆるゆると横に振った。
 憎いのじゃない。悲しいのだ。大切な人々が奪われる事が。そこまで身を落としてしまわなければならなかったリガルナが……。
 さめざめとしているそんなマーナリアを見ていた銀狼は鼻で笑う。
『……そなたは甘いな。甘すぎるのだ。そなたの大切な人間達があいつの手によって次々と奪われていく。老若男女問わず、あいつは人間達を皆殺しにする。それを目の当たりにしてもなお、そなたはあいつが憎いと思わないのか?』
「……思え、ません……」
 顔を俯けたまま、搾り出すような震える声音でそう答えたマーナリアに、銀狼は不可解だといわんばかりの表情を浮かべた。
『なぜだ?』
「……彼の事を全く知らないわけじゃないから……彼の本当の姿を知っているから……。だから、憎いよりも悲しいんです……」
 その答えを聞いた銀狼は、僅かに牙を見せて人間らしく笑ったような表情を見せた。
『そうか。ならば今のそなたに、女王としての技量は備わっていないと言えるだろう』
 さらりとそう述べた銀狼は、涙に濡れて顔を上げたマーナリアの前に回りこむ。
『その甘さは全ての者達の命取りになる。命を守る者として、国を統べる者として、それだけでは成り立たない事を覚えなければ、この国の末路は見えたも同然。これから先、お前はこの国を立て直す気が本当にあるのか?』
「……それは……」
 戸惑いの色を露にしているマーナリアに、銀狼は静かに目を伏せた。
『……今はそなたの思いと、あの娘の想いが共鳴している。故に憎みきれないのか。いや、それとも……』
 まるで独り言のように呟く銀狼に、マーナリアはきゅっと唇を噛み締める。
 こんな状況になっても、リガルナを憎む気持ちが湧き上がらないのは、どうしてなのだろうか。こんなにも多くの人々の命が彼の手にかかっているのに……。
『巫女殿……来るぞ』
「え……」
 考え込んでいる最中、ふと銀狼が呟いた言葉に顔を上げた。すると同時に、窓辺に影が落ちた。
 ギクリと体を強張らせ、その影に目を向けると先ほどまで下にいたはずのリガルナが冷徹な眼差しでこちらを見下ろしている。
 あまりに唐突な現れ方に、マーナリアの心臓が凍りついた。
「リ、リガルナ……っ」
「……」
 マーナリアが声をかけると、リガルナはバルコニーを越えて窓枠に手をかけ、ゆっくりと部屋の中に入り込む。
 彼が歩く度に、ポタポタと絨毯の上に赤いシミが付いた。そして更に濃い血の臭いが部屋の中に充満する。
「久し振りだな」
 凄みのある眼差しで睨まれながら低い声でそう声をかけられ、マーナリアは震える手を無意識に握り締めた。
 どう返していいのか分からない。
 言葉を返せずにいると、突然胸倉を掴まれ勢いよく床の上に押し倒される。
「うっ……!」
 背中と頭を床にぶつけ、瞬間的に目の前が揺れ、呼吸が止まりそうになった。
 マーナリアの上に馬乗りになったリガルナは、片手で胸倉を掴んだまま、もう片方の手でマーナリアの首に手をかけ、じわり……と締め上げてくる。
「あ……く……っ」
 徐々に締め上げられる苦しさと痛みに顰めた表情でリガルナを見ると、彼の目は獲物を獲たハンターのように大きく見開かれ、とても凶暴だった。
「お前に礼をしなければならない。俺の全てを奪い去ったお前にな……」
「リ……ッ、ル、ナ……」
「消えろ」
「……っ」
 もうこれ以上は無理だ。そう察して、うっすらと閉じかけた瞳に涙が滲み、零れ落ちる。
 まだ、あなたに伝えなきゃいけない事があるのに……。
 リガルナは彼女の胸倉から手を離して振り上げる。
 霞む意識の向こうで、いよいよ命が奪われてしまうのだと察した次の瞬間、ビシャッと生暖かい何かが顔にかかった。
「……っ」
 意識が飛びそうになった刹那、首を絞めていたリガルナの手が緩み開放される。
 それまで塞がれていた気道が確保され、ヒュッと音を立てて一気に胸に空気が流れ込んでくる。
「ごほっ! ごほっ……」
 起き上がることが出来ないままその場で大きくむせこみ、マーナリアはうつろな眼差しをリガルナに向けた。するとそこには急所こそ外しているものの、胸を貫かれたリガルナの愕然とした姿が見える。
「リガ、ルナ……っ」
 掠れた声で名を呼ぶと、リガルナの体はゆっくりと傾いで横に倒れこむ。そしてそのリガルナの背後には、肩で大きく息を吐きながら青ざめた顔で膝を着いていたセトンヌの姿があった。
「セ、セトンヌ……!」
「……はぁ……はぁ……。マリ、ア……」
 マーナリアの無事を確認できたセトンヌは、心底ほっとしたように柔らかな笑みを浮かべる。だが、顔色はすこぶる悪かった。
 マーナリアはよろめきながら身を起こして彼の側に近づこうとすると、セトンヌも倒れこむようにマーナリアを抱き寄せた。
「良かった……間に合って……」
「セトンヌ……。ありがとう」
 セトンヌが目覚めた事を嬉しく思いながらも、彼の肩越しに見えるリガルナの姿を見てマーナリアは辛そうに顔を顰め涙を流した。
「すぐに、奴を処罰します……」
「待って。お願いセトンヌ。まだ彼を殺さないで。私、彼に伝えなければならない事があるんです」
「しかし……」
「お願いします。もうこれ以上、あなたにも辛い思いをさせたくないから……」
 マーナリアは深々と頭を下げると、セトンヌは納得がいかない様子で苦々しい表情を浮かべる。
 そんな彼らのやりとりを、銀狼は暗がりから静かに見詰めていた。

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