Reverse cross

陰東 一華菱

第六十四話:知られざる過去

 湿ったカビの臭いを引き連れて、冷たい風が吹いてくる。
 どこからか水滴の落ちる音が聞こえ、地下牢は異様な静けさに包まれていた。
 空気を取り込む小さな小窓しか空いていない四方を塞がれた牢獄の中、苦しげな息遣いを繰り返しているリガルナは、顔を俯かせて壁に縛り付けられていた。
 両手両足を鎖に絡め取られ、襟元には彼の魔法を封じる為に施された逆十字が取り付けられていた。
「魔物には魔物に相応しいものを」
 以前、この時のためにとセトンヌがそう命じて作らせた悪魔崇拝を表すその逆十字には、多くの人々の皮肉が込められている。
 不意を突かれ、背後から刺された時から意識を失ったままのリガルナは、傷の手当てすら粗末な扱いを受けてギリギリのところで生かされている。そんな状況だった。
 傷口はじくじくと痛みを伴っているはずだが、彼の意識はそれでは戻らない。
 ただ苦しげな呼吸を繰り返すリガルナの前に、銀狼は静かに佇んでいた。
 檻の外からじっと彼の姿を見詰めている銀狼は、どこか寂しくも優しげな眼差しをしている。
『……本当に、大きくなったものだ。あの時はもう駄目かと思ったのだが』
 懐かしむかのようなその呟きは、誰の耳にも届かない。
 あの時……。それは、12年前の死山のふもとで行き倒れていたリガルナと初めて会った時だ。
 生きる希望を失い、ただ死に急ごうとする彼を思い止まらせたあの時の事が思い出された。
 銀狼はふっと瞼を閉じ頭を下げる。
『お前が、我々と人間との架け橋になってくれると、唯一の望みをかけたのだがな……』
「……それは、どういう事ですか?」
 呟いたその言葉に反応があった事に驚いて背後を振り返ると、ランプを手に立っていたマーナリアの姿があった。
『巫女殿……』
「すいません。聞くつもりはなかったんです。ただ、リガルナの様子を見に来たら聞こえてしまって……」
 申し訳なさそうに謝るマーナリアに、銀狼は彼女を見据えふっと笑う。
『……場所を移そう。どこか人気の無い場所に案内しては貰えないだろうか?』
「は、はい」
 マーナリアは不思議そうな表情を浮かべながら銀狼と共に地下牢を後にして、宮殿の今は使われていない個室へと案内する。
 部屋の中は埃っぽく、もう使われなくなった古い家財道具などが置かれて白く埃を被り、蜘蛛の巣がかかっている。
『ここは?』
「ここは宮殿の物置部屋です。余程の事が無い限り、ここへ人が来る事はありません」
『……そうか』
 2、3歩歩くと、足跡が転々と残るほどに埃が積っているこの場所なら大丈夫だろう。
 銀狼は部屋の中に入り、ゆっくりと振り返るとマーナリアを見詰めて腰を下ろした。
『そなたの質問に、答えてやろう』
「え……?」
『そなたは聞いたな? ワシが何者なのかと』
 鋭く尖った獣らしい眼差しで真っ直ぐにマーナリアを見詰める。
 マーナリアはそんな銀狼を見詰め返し、小さく頷き返した。
 人を焚き付けるような言い方をしたかと思えば、助言をして助けたりする。まるで全てを見てきたかのような素振りで話をし、突如として現れたり消えたり……。
 マーナリアには、銀狼が何者なのか疑問としていたのだ。
『……ワシの名はルイン。ルイン・エルダーリッシュ』
「ルイン……?」
 確かめるように訊ね返すと、銀狼――ルインは小さく頷き返した。
『ワシは、エルフ族の長だった』
 その言葉に、マーナリアは驚いたように目を見開く。
「エルフ……。もう、魔物と同じく随分昔に絶滅したと……」
『ククク……魔物か……。人間は一つ誤解をしておるな。そなたの言う“魔物”とは、我々エルフ族のことを指しておる』
 ルインは頭を目を閉じて頭を下げる。すると赤い光りが体を包み込み、やがて一人の人間の姿を象った。
 赤く長い髪に、同色の瞳。そして細く尖った耳……。
 その姿は、まるでリガルナがそのままそこに立っているかのような錯覚に陥るほど、二人は同じ姿をしていた。ただ一つ違うのは、今、目の前に立っているルインは“女性”と言う事だ。
「リガ、ルナ……?」
 驚いたように固まってしまったマーナリアを前に、ルインはふっと微笑む。だが、その眼差しは鋭くはあってもリガルナのような殺意に満ちた凶暴なものではなく、とても暖かく優しいものだった。
『驚くのも無理はなかろう。あいつは、ワシの子だ』
 マーナリアはその言葉に思わず眉間の皺を寄せた。
 リガルナが彼女の子? いや、確か自分が知る限り、リガルナはごく普通の一般家庭の家に生まれた子供だったはずだ。
 記憶の食い違いに思わず眉をひそめるマーナリアに、ルインはくすくすと笑い目を細める。
『疑問であろうな。あやつを腹を痛めて産んだのは、ごく普通の人間の女なのだから』
 返す言葉も無く、呆然と立ち尽くしているマーナリアに、ルインは射竦めるような眼差しを向けてニッと笑った。
『話せば長くなる。だが、これは今後の為、リガルナの生死を分ける判断を下すそなたに知っておいて貰わねばならぬ事だ。話しても構わぬだろうか?』
 そう言うと、マーナリアはゆっくりと首を縦に振った。
 リガルナの生死を分ける判断になる話なら、聞いておかなければならない。しかもそれが、自分の采配一つで決まるとなるならなおの事だ。
 ルインはその場から動く事無くふっと息を吹くと、マーナリアの側に置いてあった木箱の埃が触れてもいないのにふわっと払われ、綺麗になる。
『巫女殿、そこへ座るといい。立ったままでは疲れてしまうからな』
 さりげなく気遣ってくれるルインに誘われるまま、マーナリアは木箱に腰を下ろした。

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