Reverse cross

陰東 一華菱

第六十六話:同じ望みを持つ同志

 エルフであるルインには、人の世界はとても生き辛いところだった。
 妬み、嫉み、裏切り、喜び、怒り、悲しみ……。
 色々な感情が複雑に絡み合う中で、人間達は上手くこの世を生きている。
 それを知ったのは、この世界に飛び込んでからだった。
 人間に関係する事に、全くの無知だったルインには、彼らの生き方を真似て生きていかなければならない事に相当な苦労を強いられる。
 食べていく為には仕事をしなければならない。仕事をする為には人からの信頼を得なければ続けることは出来ない。少しでも裏切る事やないがしろにしてしまえば、簡単に信用は地に落ちてしまう。
 落ちた信用を取り戻すにはそれ以上の努力を強いられ、もう一度認めてもらい、自ら勝ち取りに行かねば、一生喰い逸れてしまうことも少なくはない。
 エルフ族の間には、競争こそあれど、そんな複雑な事は何もなかった。
 その中で、ルインは家々の立ち並ぶ裏路地に小ぢんまりとした住まいを構え、そこであらゆる相談を受ける仕事を行っていた。
 金を稼ぐ為にはどうすればいいのか。
 好きな女をくどくにはどうすればいいのか。
 自分がしてしまった事に酷く後悔をしていて、落ち込んでいる。
 など、その相談事は細々としたものからそこそこ大きな悩みまで様々だったという。
 相談者から話を聞く代償に、ルインは彼らからわずかばかりの生気を貰い受けていた。名目上、“無償で相談を聞きます”と銘打っておきながら、実際は目に見えない代金を支払ってもらっていたのだ。
 帰り際、相談しに来た人々はスッキリした顔をしつつも、どこか疲れた表情をしているのはそのせいだった。
『相談に来るものは、話を聞くだけで十分救われたと言う者がほとんどだった。周りには相談できない事も、見ず知らずのワシになら話せるからと感謝さえされていた』
 上手く人の世界で暮らしていける術を見出したルインは、それで毎日を暮らしていた。
 そんなある時、ふと自分の腹部に違和感を覚えたという。
『ワシは子供を腹に宿していると、その時に気付いた。これが最後の望みだと、それが里を出る前に望みをかけた夫との最後の子供だったのだ』
 酷く懐かしい表情を浮かべて、ルインは静かに語っていた。
 最後の望みを託して宿した子供。だがおそらく、この子も女児なのだろう。
 その時のルインはそう信じて疑わなかったのだと言う。
 そんな時、ふと一人の女性がルインの元を訪ねて来た。どこか切羽詰った様子で、憔悴気味だったその女性の名は、フローラと言った。
「私、夫との間に子供が出来ないんです。結婚をして10年……。私達はずっとずっと子供を望んでいましたが、どんなに頑張ってもどうしても恵まれないんです」
 そう涙ながらに語るフローラに、ルインは不思議とそれまで感じた事のなかった情を彼女に感じた。
 子供が欲しくて医者に通い、タイミングを見て挑戦してみてもやはり上手くいかない。それでも諦め切れなくて、辛い治療にも耐えているのだと。
「男の子でも女の子でも構わない。でももし選べるなら、男の子がいい。そうすれば、夫の家業を継ぐ事も出来るから」
 そう訴えていたフローラの言葉が、異常なほどにその時のルインの心を揺さぶったのだ。
 一族を存続させる為には男児が必要。だが、どれだけ頑張ってみても女児しか生まれない事に、半ば疲弊していたルインには彼女の望みが痛いほど分かった。
 それから幾度となく、フローラは思いの丈をぶつけにやってくるようになって一年が経った頃には、すっかり二人は仲が良くなっていた。
「フローラ。その後はどうなんだ? 変わらずか?」
 そう訊ねると、フローラは表情を曇らせて小さく頷いた。
「これだけ頑張ってみても、やっぱり駄目なんだと思う……。つい数日前にタイミングを見て挑戦してみたんだけど、これで駄目だったらもう諦めようって、夫と話したの」
 長い間諦めずにいたフローラだが、疲れと共に子供を持つ事を諦めてしまっていた。
 酷く落ち込んで、涙を瞳いっぱいに溜めながら切なく笑う彼女を見ていると、どうにかしてやりたい気持ちが湧き上がる。
 ルインはその時、無意識に自分の腹部へ手を当てた。
 エルフの時間と人間の時間は大きな差がある。ルインが腹に子供を宿して一年経つが、まだ腹の子はそこまで大きくは育ってはいない。
 ルインは肩を落としているフローラを見て考えた。
 もしかしたら、この子がエルフと人間の架け橋になってくれるかもしれない。例え今、自分の命の一部を削りだそうとも、彼女と自分の利害は一致するならば、例え、彼女の望む男児でなかったとしても……。
 自らの命の一部を強制的に削り、相手に子供を移植する術をルインは知っていた。
 とても危険な行為ではあるのだが、彼女のために何かしてやりたいとそう望む気持ちの方が大きかったのだ。
 ルインは覚悟を決めてフローラに向き合った。
「……フローラ。そなたの望み、痛いほどに良く分かる。だから、ワシからそなたに贈り物を授けよう。きっと気に入ってくれるはずだ」
 ルインは腹部に手を当てて、子供を自分の腹の中で母体から引き剥がした。
 どうか、この子が彼女の救いになり、エルフの血筋を細く継承していってくれるように。
 人として何不自由なく暮らしていけるように……。
 そう念じながら、剥がした瞬間に襲いくる激痛に顔を歪めるも、この子を彼女に素早く移すには手段を選んでいる場合ではない。
 何を言い出すのかと不思議な顔をして涙を拭いながら顔を上げたフローラ。彼女の頬を両手で包むように添えて、躊躇う事無く口付けた。
 腹に宿っていた子は、小さく仄かな光を放ちながら口移しでフローラの中に入り込む。
 突然の事にフローラは驚いてルインを突き飛ばし、その身を引いた。
「な、何をするの……っ!?」
 困惑と戸惑いに眉間に皺を刻んだフローラだったが、先ほどとは打って変わり、やや青ざめて具合悪そうにしているルインを見て動きが止まる。そんな彼女を見詰めるルインは、苦悶に顔を歪めながら苦しげに口を開いた。
「……あと、数日待て。上手くいけば、数日で体に違和感を覚えるはずだ。そうしたら、すぐに病院へ行くのだ。そなたの未来が、何もかも上手くいくよう、まじないをかけておいた……」
 腹の底からじくじくと湧き上がる鈍痛に顔を歪ませたルインは、困惑しているフローラの前で倒れてしまったのだった。

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