Reverse cross

陰東 一華菱

第七十三話:後悔

 その頃、リガルナは石の上に座ったまま薄く瞳を開いて、どこを見ているともなくぼんやりとしていた。
 この牢獄で、唯一外からの光と風を吹き込む小さな鉄格子付きの小窓からは、真っ白な満月の淡い光が暗い牢屋の中に降り注いでいる。
 魔法で手枷と足枷を壊してからは、おそらくマーナリアの指示があったのだろう。付けられる事もなく牢獄の中では自由な身でいることができた。
 処刑は明日執行される。その宣告は、先程兵士から聞かされた。
 この時を待っていた。この世の全てから解放され、自分という存在が消えてなくなる為のその瞬間が、いよいよ目前にまで迫っている……。
 リガルナは己の死を受け入れ、それをただ望んでいた。
「……」
 死を望んでいる。だが、その反面でそれを止めるものもあった。それは、紛れもないアレアの言葉。

『あなたには生きて欲しいんです……』

 いつだったか、夢の中でそう囁くように言っていたアレアの言葉が頭から離れない。
 なぜ、生きて欲しいと望んでいるのだろう。生きているだけで周りの人間達からは嘲られ、煙たがられ、誹謗中傷を受け、冷たい眼差しと怯えきった瞳を向けられる……。
 それが、堪らなく耐え難かった。今ではもう何もしていないのにとは言えないが、それでもその仕打ちだけは酷く心を傷つける。だから自分は人々の嫌う自分になることで全てを忘れようとしていた。人を殺めることで、その傷を消そうとしていた。
 人が一人消えるたびに、自分を傷つけるものがいなくなる。だから傷も消えて行くはずだと……。
 しかし、実際は違っていた。人を一人手にかけるたびに、また別の場所に新たな傷が付き、その溝はどんどん深まっていた。
 今なら、人を殺めた直前直後の頭痛が何だったのか分かる。それは、自分の中に無理やり目を背け追いやってきた“善良”の心が、自分のする行動に対する拒否反応で頭痛がしていたのだと言うことが。
 リガルナはふっと瞼を閉じる。
「……今更」
 そう呟き、再び瞼を開く。
「……今更、もうどうにもならないさ」
 自分に語りかけるようにそう呟いた言葉が虚しく響き渡り、そしてそれは酷く悲しい。
 サァ……と吹きこむ冷たい風に、リガルナは顔を持ち上げ小窓の方へ視線を投げかけた。白い月が静かにそこに佇み、リガルナを見下ろしている。
 風を感じ、草木の匂いを嗅ぎ、抜けるような青空も、そしてこの満月も星空も、もう二度と拝むことは出来なくなる。
 それでいい。そうする事で何もかも終わるのだから。
 再び緩く髪を揺らす風が流れこんでくると、リガルナはふっと瞼を閉じた。


――― 生きて欲しいのは、あなたを愛してるから……。


「!」
 ふと、どこかからか聞こえてきた言葉に目を見開き月を食い入るように見つめる。
 気のせいだろうか。幻聴だったのだろうか。


――― きっと生きて。生きて欲しい……。


「……アレア!」
 ガシャン、と鎖を鳴らし驚いたような眼差しで小窓の方へ動こうとしたリガルナに、突然動き出そうとした事に驚いたような顔を浮かべた兵士が声を上げる。
「うるせぇぞ! 静かにしてろ」
「……」
 リガルナは兵士の言葉など一切耳には届いていなかった。ただ、小窓から覗く満月を見つめ続ける。
 今の言葉は紛れもないアレアの言葉。
 幻聴でもいい。何でも構わない。ただ、その言葉にリガルナの心は震え、切なさを覚えさせる。
 山に残してきたアレアの事を想うと、これでいいのだと思う裏で後悔をしている自分もいた。
 こうなる前に、もう一度その姿を見たかった。そして、きちんと別れを告げなければならなかった。
「……っ」
 逢いたい……。そう思わずにはいられなかった。
 どうすることも出来ないこの現状に、リガルナは諦めたようにその場に力なく項垂れた。
 せめて、ほんの一言、さよならだけでも……。
 リガルナはきつく瞼を閉じると、するりと頬を滑る熱い雫が零れ落ちる。
 これまで生きていて涙するのはこれが3度目。きっと明日、自分の命が消え失せてしまうその瞬間が来ても、自分の為に、救いを求める事も涙することもない。ただ、自分が感傷に浸って涙するのは、今はいないアレアの為を想って流す以外はきっとないだろう。
 あの時、きちんとさよならをするべきだった。そうすれば今この瞬間にこんなにも後悔することはなかったかもしれない。
 彼女の姿そのものが見えなくなってしまうことが怖くて、まだ生きているのだと信じていたくて、まだ手元に置いておきたいと思って、彼女の亡骸を分厚い氷で覆った。それが、今こうして酷い後悔になった。
「……俺は、浅はかだよ。何もかも」
 リガルナは顔を伏せ、自分を卑下する言葉を漏らした。
 

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