Reverse cross

陰東 一華菱

第七十六話:生きてこそ……

 目の前で眠るようにあるアレアの亡骸には、傷ひとつなく綺麗なままの姿。しかも、腐食を恐れ氷漬けにまでされている。
 それほどまでにリガルナがアレアを大切に想い、いかに守りたかったかが分かる。
「今この棺の中に眠る彼女は抜け殻です。彼女の強い思念は今私の中にいます。私は彼女のメッセージをリガルナに伝えなければなりません。……アレアと、そう約束をしたの」
「約束……?」
 セトンヌがそう繰り返すと、マーナリアは僅かに視線を下げ小さく首を横に振った。そして切ない表情を浮かべてセトンヌを振り返る。
「いいえ違うわ。約束もしたけれど、これは、私自身の彼に対する罪滅しの一つなの……」
「マリア……」
「彼を追放しようとしたあの日、私の思っている事とは違う方向へ向き始めた事は私には止められなかった。そのせいで彼をここまで追い詰め、罪の無い人々を死に追いやった。全てはあの日の、彼の心を裏切った私の、せめてもの罪滅しなの……」
「……」
 マーナリアは寂しげにそう呟き、涙を流す。
「セトンヌ。あの日の事、あなたはハッキリと覚えているでしょう?」
「……」
 リガルナが宮殿内にいて、兵士に取り押さえられていたあの時。
 マーナリアが必死になってリガルナを庇い、それでも庇いきれずに追放したあの日の出来事は、セトンヌも良く覚えている。
 あの時は何の疑いもなく、リガルナが自分の家族を奪ったのだと信じていたからこそ、マーナリアが庇う意味が理解できずにいた。
 しかし、今なら分かるような気がする。
 エレニアは、自分の弱さから何かと問題のあるものは様々な理由をこじつけ、いかに残酷だと言われるような手段を使ってでも排除する冷徹な部分も持ち合わせていた。
 そうだと思い込んだなら、もうそれしか見えない。マーナリアの言葉でさえもその耳に届かないほどだった。
「神は、真実だけを述べます。決して曲がった真実を語ったりはしません」
「……それでは、エレニア様は」
「私は、それでもお母様を恨むことはありません。お母様はご自身と、この国を守ると思えばこその判断だったのは分かっているから……」
「……」
「……アレアの言葉は、きっと彼も、それに今日集まる全ての人の心に届くはずだと私は信じています。それが、今回の私の賭けです」
 マーナリアの言葉に、セトンヌはマーナリアがリガルナを処刑する判断は欠片もない事を悟った。
 むしろ、死ではなく生を与えるのだと。
「しかし、今日集まる人間たちに届いたとしても、それ以外の人間には……」
 セトンヌの言葉に、マーナリアは小さく微笑んだ。
「言霊の力は他の何よりも強いのだと言うことを、もうあなたは知っているでしょう? もし、私の賭けが成功したのだとしたら、今日集まる多くの人間たちがそれを周りに言うはずだもの。彼は、人を愛する事のできるただ不器用なだけの人間だと……」
「しかし、彼をそう簡単に受け入れるでしょうか?」
「そうね。彼を受け入れようとする者とそうでない者と分かれるでしょう。むしろ、そうでない者の方が圧倒的に多いはず。今はそれでも仕方がありません。ただ、その後、彼がどうするかで次第に受け入れてくる人間も増えてくるはずだわ。私は、そのきっかけを与えるに過ぎないだけですもの。その後の事は、彼が自分で決めることだわ」
「……やはり、あなたはリガルナに生を望んでいるのですね」
 セトンヌの言葉に、マーナリアは迷うことなく頷き返した。
「えぇ。彼にとって、何が一番の極刑であるか。それは生きると言うことです。彼は生きることでこれまでの罪を償わなければなりません。これまで以上に苦しい事も辛いことも沢山あるはずです。でも、それを乗り越えて行かなければならないわ。いつまでも過去に囚われてばかりでは人は前へ進むことは出来ない。それは、死ぬことよりも辛く、重い罰だとは思いませんか?」
 マーナリアの言葉に、セトンヌはただ何も言えず静かに目の前に眠るアレアを見つめていた。
 アレアが語ると言う言葉。それがどんな言葉なのかわからないが、その言葉がリガルナだけでなく自分たちを含め多くの人間の心に響くだけの力があるのかどうかが気になって仕方がない。
「生きていく内に見えてくる自分自身と向き合うことはとても恐ろしいものです。でも、それを乗り越えて行くことで、彼にとって手放せない最高の財産となり、そしてその先で生きることが喜びになる瞬間があるはずだわ。例えそれが今できなくても、その末の末まで……」
 アレアの棺を見やりながら呟いたその言葉の中には、マーナリアの望みも含まれていた。その時棺の側に現れた銀狼姿のルインを見つけ、小さく笑みを浮かべてみせる。それに対し、ルインは何も言うことなくただ静かに目を閉じて頭を深く下げた。
 自らを母と名乗ることなく、ただ静かに見守り続けてきたルインの想いもきちんと届けたい。マーナリアはそう感じていた。
「……セトンヌ。そろそろ時間です。行きましょう」
 マーナリアはそっと扉を締め、セトンヌと共にその場を立ち去った。

「Reverse cross」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く