異世界転生チートマニュアル

小林誉

第86話 消耗戦

エルネストとマリアンヌ――その両者の本音を言えば、できる限り直接対決を避け、自勢力が確実に相手を上回った時に一大決戦を挑みたかったのだろう。しかし彼等にはそれを出来ない共通の事情があった。金だ。軍を維持するには多額の費用がかかる。兵に対する給料や、彼等が日々消費する日用品に食料、それに水。それを前線まで運ぶために必要とされる大量の荷馬車に、護衛の兵隊などなど。両軍ともフランより大規模な軍隊なために、それらを使った軍を前線で睨み合いさせているだけでも、莫大な費用がかかっていたのだ。


金を払っているのは勢力を統べる二人だけでなく、当然その下についている貴族達も同じだ。彼等は日が経つにつれ、何の成果も出ないどころか懐具合が寂しくなるこの状況に、次第に不満を持つようになっていた。


「エルネスト殿下はいつ動かれるのか!?」
「マリアンヌ様は本当に決着をつけるつもりがあるのか!?」


不満を口にする貴族が数人なら処罰するだけで問題はなかっただろう。しかしそれが十人、二十人と増え続ければ話は別だ。いくらエルネストが敵に対しても部下に対しても冷徹で強硬な態度を取るとは言え、彼一人で戦争など出来ない。いちいち処罰していては自分の手足を切り落とすようなものだ。それに放っておけば敵方に寝返られるかも知れない状況では、もう正面決戦を回避する選択はなかった。


両軍が陣を張り、数ヶ月が経った場所は多数の天幕が無数に並んでいる。しかしそれが夜の内に撤去され後方に送られたとなれば、誰でも決戦が始まるのだと理解出来るだろう。それは当然互いの間者も同じだ。敵に動きあり――この情報を急いで持ち帰った間者からの報告で、両軍は静かに動き始めた。


翌日早朝、決戦場となる盆地には深い霧が立ちこめていた。もともと川が近く湿気の多いとこであったが、これは自然発生したものではなく、エルネスト軍の魔法使い達が奇襲を仕掛けるために作り出した人工的な霧だった。


間者狩りに加えて偽の間者による虚偽の情報をマリアンヌ側に流し、足止めに成功したエルネスト軍は、密かに軍を二つに分けると一つを迂回させ、一つをマリアンヌ軍の正面へと移動させた。そして完全に日が昇らないうちに一気に接近し、奇襲攻撃を仕掛けたのだ。


馬に乗り、槍を構えた重装備の騎士達が横一列に並びながら突進してくる姿を見た歩兵は、反撃する暇もなく鎧ごと体を貫かれる。音で敵が接近してくるのは解っていても、霧の中から突然飛び出してきた騎兵に反応するのは難しい。マリアンヌ軍の歩兵達は槍を構える暇すらなく、犠牲者を次々と増やしていった。


常識的に考えて、軍を二つに分けた場合、取るべき作戦は一つだろう。一軍で敵を引きつけておいて一軍を迂回させ、その背後を突く。今回エルネスト軍が取った行動は正にソレだ。しかし彼は途中からが従来と違った手法を取り入れている。つまり、敵を引きつけ時間稼ぎをするはずだった一軍による奇襲攻撃だ。これは軍を率いていたエルネスト自らが考え実行した案だ。彼の腹心達は必死になって止めたのだが、エルネストは自分の策に絶対の自信を持っていた。


(誰も考えた事のない策なら敵を攪乱出来るはずなのだ。常識に囚われてはいけない。あのフランでさえ出来た事だ。私に出来ないはずがない!)


フランが実行した後方奇襲上陸――実際には剛士が考えたこの作戦に、エルネストは悔しく思っていたのだ。自分より劣っているはずの妹が、戦術面で他者から喝采を浴びている。彼はその状況に我慢がならなかった。今回の奇襲攻撃は、それを払拭するための無謀な行動だったのだ。


エルネストのもくろみ通り、不意に始まった戦闘にマリアンヌ軍の前線は大混乱に陥った。なにせこの深い霧の中だ。数メートル先に居る味方の姿すら判別するのに難しい状況では、なかなか立て直せるものではない。それに比べてエルネスト軍はただ前に進めば良い状況だ。騎兵が空けた穴に雪崩れ込み、ひたすら前に向けて武器を繰り出す。狙いをつける必要のない状況だった。


しかしマリアンヌ軍もやられてばかりではない。彼等は素早く魔法使い達を集めると急いで前線へと向かわせ、立ちこめている霧を払ってしまった。それを防ぎたいエルネスト軍の魔法使い達であったが、彼等は霧を発生させるために力を使いすぎていたので、対抗する手段がなくなっていたのだ。


霧が晴れ両軍の姿がはっきりと見えるようになると、状況は一変した。前日までほぼ同数だったはずのエルネスト軍が半分近くに減っている。それを見たマリアンヌ軍は一方的に押しまくられた鬱憤を晴らすように、猛然と反撃を開始した。


前線は既に両軍入り乱れての乱戦になっている。歩兵同士が剣や槍で切りつけあい、騎兵も馬を下りて槍を振り回していた。そうなったら単純に数がものを言う状況だ。マリアンヌ軍は予備兵力として温存してあった騎兵の一団を両翼より迂回させ、エルネスト軍の背後を突くべく怒濤の進撃を開始した。


敵の背後を突く作戦――それは奇しくもエルネストがとった戦術と同じものだ。両脇を抜けていく騎兵の一団に対してエルネスト軍の取れる方法など限られている。彼等は最初の突撃に騎兵を使い切っているので追いかけさせる事も出来ないし、予備兵力もなく、ほぼ全力で突撃を敢行しているのだ。せいぜい矢を射かける程度で足止めをするだけだった。


邪魔する者も居ない状況でエルネスト軍の背後に回ったマリアンヌ軍は、お返しとばかりに敵後方へと突撃を始めた。もとより後方は魔法使いや弓兵などの、直接戦闘に向かない者達が多く居るため、彼等は為す術もなく倒されていく。体勢を立て直したマリアンヌ軍に対して、数で劣るエルネスト軍は刻一刻と追い詰められていった。しかしここで再び状況が変わった。迂回させていた部隊がようやくマリアンヌ軍の後方に到着し、攻撃を開始したためだ。


本来ならエルネストが受け持つ正面軍が時間を稼ぎ、迂回してきた彼等と呼吸を合わせていれば、ここまで厳しい状況にはならなかっただろう。迂回してきた軍は状況を悟るや否や、正面軍を助けるために突撃を始めた。


戦場を上から俯瞰した者が居れば呆れただろう。西からエルネスト軍別働隊、マリアンヌ本軍、エルネスト正面軍、マリアンヌ軍騎兵部隊と、まるで軍隊によるサンドイッチを見ているかのような状況なのだ。もはやこうなっては秩序だった行動など不可能で、両軍の兵はただ目の前に居る敵を無闇矢鱈と攻撃する混戦状態になってしまった。攻撃も撤退も思うようにいかず、いたずらに兵が倒れていく戦場。しかも悪い事に、一般の兵は今まで戦えなかった鬱憤を晴らすように攻撃的になっている。上官の指示など耳に入るものではなかった。


エルネストとマリアンヌ軍を率いる将軍が混乱続く戦場から離脱し、軍に撤収を呼びかけたのはちょうど昼過ぎ。生き残った兵は精も根も尽き果てたようになっていたので、命令に素直に従い、自領の方角へと撤退していく。互いにもう戦う余力がなくなっていたので、エルネスト軍は北寄りに、マリアンヌ軍は南寄りに遠ざかりつつ逃げ帰っていった。


この得るもののない戦闘で両軍は多くの犠牲者を出し、その力をそぎ落とす事となった。一般の兵の犠牲は当然として、航空騎士や魔法使いという貴重な戦力が多く失われたのだ。エルネスト軍の戦死者は全体の四割に及び、無事な者は一割ほど。後は全員が何らかの手傷を負っていた。マリアンヌ軍も似たようなものだったが、エルネスト軍に比べると若干被害が少なく済んでいる。これは軍を分けず、一丸となって動いていた影響だろう。


この被害により、両陣営の軍はフランと同規模にまで衰えてしまった。剛士と組んだフラン、エルネストとマリアンヌ、誰が国の覇権を勝ち取るのか、それは誰にも予想できない事だった。

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