異世界転生チートマニュアル

小林誉

第15話 脱出

「それは……」
「それは?」


誰かが鳴らしたゴクリと言う喉の音が緊張に静まりかえった部屋の中で響いた。この場で落ち着いているのは屋敷の主であるロードと、スパイだったセバスチャンだけだ。冒険者達はしきりに周囲の気配や脱出経路を無言のまま探っているし、リーフに至っては今にも掴みかからん形相で剛士を睨み付けている。


「それは、自分で書きました。それを作ったのは私です」
「君が? それは本当か?」
「ええ。その本に書かれている文字を読めるのは私だけしか居ません。なので本を取り上げたところで無駄ですよ」


エルフの村の長老なら少しだけ読めたようだが、何も馬鹿正直に話す必要は無いと剛士は思った。自分だけしか文字を解読できなければ、情報を引き出すためにも身の安全は保証されるはず――そう考えての発言だったのだが、ロードはそんなに甘い人間では無かった。


「別に君の意思は関係無い。気がついていないようだが、ここに来た段階で君に拒否権は無いんだよ。大人しく本の内容を全て私に開示したまえ。素直に協力するなら食事と寝床ぐらいは与えてやろう。嫌だというなら拷問してでも翻訳させる。この本の内容は驚異の一言だ。これを独占できれば、私がこの国の王になる事も可能だろうからな。秘密を知っている人間を外に放つわけには行かない」
「!」


そんな事を言われて黙っているほど剛士達は平和ぼけしていない。曲がりなりにも、この物騒な世界でしばらく生活してきた身だ。危険を察知すれば即座に逃げる程度の反応は体に叩き込んである。椅子を蹴って飛び退いた剛士とリーフは背後に居る冒険者達に急いで駆け寄る。それと同時に二人居た冒険者の一人が窓に椅子を叩きつけ、脱出口を開いた。


「逃がすな!」
「逃げるに決まってるだろ!」


窓枠に足をかけた剛士は、振り向きざまに懐から取り出した物をロード目がけて投げつけた。それは勢いよく部屋を突っ切ると狙い違わずロードの鉄仮面に命中し、その仮面を二つに割った。


剛士が咄嗟に投げつけたのはクナイだ。忍者などがよく使っている、投げて良し切って良しの便利な武器だ。この世界には無い武器であっても作るのは比較的容易なので、街の鍛冶屋に頼んで作らせて、護身用に持っていたのだ。本物の忍者が投げたのなら今頃ロード
の仮面を貫いて彼の顔面に突き刺さっていたであろうクナイも、素人の剛士が投げたので刃の方ではなく、柄の方が命中したのだった。ここは剛士の下手くそぶりを責めるより、むしろ真っ直ぐ飛んだだけでも大した物だと褒める場面だろう。


剛士の投げたクナイの直撃を受けたロードの仮面は二代目スケ○ン刑事よろしく真ん中から綺麗に割れ、その中身をさらけ出した。


「え!?」
「な、なにそれ!?」


逃げようとしていた剛士やリーフ達は、露わになったロードの素顔を見て驚愕する。中から出てきたのは当然南○陽子などではなく、火傷で肌が溶け、醜く歪んだ男の顔だったのだ。ロードは咄嗟に手で顔を覆い、彼等の視線から逃れようとするかのように身をよじる。


「見たな……この顔を見られたからには生かしておけん。殺せ! コイツらを一人残らず殺すのだ!」


ロードが叫ぶと同時に部屋のドアが蹴破られ、数人の騎士がなだれ込んでくる。もはやここに至って問答をしている余裕など無く、剛士とリーフは護衛に促されるように窓の外へと飛び降りた。


「ひええっ!」


咄嗟の事であまり深く考えず、窓から身を乗り出した剛士は後悔した。この屋敷はかなり大きく三階建て。自分達が招待された部屋は建物の最上階。つまり、建物の三階から飛び降りた事になる。空挺部隊の隊員のような訓練を剛士が受けているはずも無く、彼は為す術も無く地面に激突する――はずだったのだが、それはリーフの魔法によって回避された。


「風の精霊よ! 私達を守って!」


滅多に魔法を使う事の無いリーフではあるが、そこは腐ってもエルフだ。生まれつき優れた弓使いと精霊使いでもある彼女の魔法は素早く発動され、彼女を含む剛士一行の落下速度を急減させた。


「おっとっと! あ、危なかった!」
「さあ速く! 奴等、すぐに追いついて来ますぜ!」


地面に降りてホッとする暇も無く、護衛の一人が剛士の腕を取って走り出す。彼の言うとおり、背後にある屋敷の中は急に慌ただしさを増していた。追っ手がかかるのも時間の問題だろう。


「急ぐわよ!」


真っ先に駆けだしたのはリーフだ。彼女は明かりも無い闇夜の中を、まるで昼間のように迷い無く進んでいる。流石はエルフと言ったところか。剛士達人間は彼女の背を目印にして、必死になって後を追った。足を止めればあっという間に追いつかれる。そんな恐怖もあって走り続けた彼等は、やがて自らの屋敷に辿り着いた。


「止まって!」


先頭を走っていたリーフが鋭い声を上げ、まるで通せんぼするように腕を上げる。


「どうした――」
「静かに!」


唇に指を当てるリーフの様子に、剛士達は押し黙る。そして彼女が指さす方を、近くの建物に身を隠しながらのぞき見てみると、そこには予想もしない光景が広がっていた。剛士が最近手に入れたばかりの屋敷。その敷地内に、見慣れぬ騎士や兵士が我が物顔で談笑しながらたむろしていたのだ。


「なんだあいつ等?」
「決まってるでしょ。ロードの手下よ」
「しかし、ここに着いたのは俺達の方が速かったはずだろ?」
「……連中の様子から察すると、我々が屋敷を出たと同時に制圧された――と考えるのが妥当でしょうな」


焦る剛士とは対照的にリーフと護衛達は比較的冷静だ。そんな彼等の様子を見て、頭に血が上りかけた剛士は冷静さを取り戻す。今更騒いだところで事態は変わらない。なら、これからどうするかが重要なのだ。


「たぶん……セバスチャンだけじゃなくて、内通している人間が何人も居たんでしょうね。今から考えれば、経験豊富なメイドや執事が手際よく集まったのも不自然だった。完全にロードの手の平の上だったって事よ」
「くそったれ……! せめて屋敷にある金だけでも取りに戻りたいが、あれじゃ無理だよな……」
「何を言ってるのよ。屋敷の金なんて今はどうでも良いじゃ無い! 私達の命綱でもあるあの本がロードに奪われたままなのよ? なんとかして取り戻さないと……!」


そう。逃げるのに夢中になってそれどころでは無かったが、チートマニュアルは未だにロードが手中にしている。あれをどうにかして取り返さないと、剛士達は再び無一文でこの世界に放り出される事になってしまうのだ。


「あんたがちゃんと管理してればこんな事にならなかったのに……! どうすんのよこの状況!」
「うるせえな! こんな事になるなんてわかるわけないだろ!」
「ちょ、ちょっとお二人とも! 声を抑えて! 見つかってしまいますよ!」


ヒートアップしかけたところを慌てて割り込んできた護衛の一人に制止され、二人はばつが悪そうに黙り込む。


「くっそ~……せめてここに本さえあれば――」


と剛士が口走った瞬間、彼の手の中に奪われたはずのチートマニュアルが突然姿を現した。誰も予想しなかったその登場に、剛士をはじめとする一行は驚きすぎて声も出ない。剛士本人は手の中に現れたチートマニュアルをパラパラと無言で捲り、中身を確認してからリーフ達と無言で見つめ合った。


「……なにこれ? どう言う事?」
「……わからん。俺は引○天功じゃないはずなのに……」
「誰よそれ。なんかの魔法がかかってたって事? ねえ剛士、心当たりは無いの?」
「そう言われても――」


と、そこまで言いかけて剛士はハッとする。この世界に放り込まれた時、彼の祖父が言っていた事を思い出したのだ。


『本は決してお前から離れず、破損する事も無い』――確かに祖父はそう言っていた。


(マジかよ……戻って欲しいと願うだけで手元に戻ってくるなんて……)


口は悪いが孫を心配してくれた祖父の深い愛に感動し、剛士は思わず涙する――はずもなく、彼はニヤリと笑みを浮かべる。


(つまりこれって、路銀に困ったら本を売って回収するって方法が無限に繰り返せるって事か? 元手がゼロなら確実に億万長者じゃないか!)


隣に居るリーフが、(また、ろくでもない事考えてそうね……)と呆れているが、剛士がソレに気がつくはずも無い。リーフは頭を振り、剛士のアホ面から目をそらす。


「と、とにかく。その本が戻ってきたのなら、さっさと逃げ出した方が良さそうね」
「え? 屋敷の金はどうするんだよ?」
「少しは頭を使いなさいよ。この状況で取り返せるわけ無いでしょ? 連中が我が物顔で屋敷を占拠してるって事は、財産も差し押さえられていると思うのが自然よ」
「なっ――」


叫びを上げようとする剛士の口を、慌てて護衛の一人が押さえ込む。これだけ何度も騒いでいると、いくら敵が鈍感でも気がつくというものだ。


「……悔しいけど、その本さえあればまたお金は稼げるわ。領主の手の届かない範囲に逃げてから、再起を目指しましょう。それ以外に方法は無い」


悔しげに唇を噛むリーフに同意するように護衛達も頷く。流石にその状況になってまで剛士も金を取り戻そうとは思わない。彼は基本的に臆病なのだ。


「わかった。じゃあ今の内に逃げようぜ。ところで、あんた達はどうするんだ?」


剛士の視線の先には護衛として雇った冒険者――二人組の男女の姿があった。彼等は顔を見合わせて肩をすくめる。


「俺達は前払いで金を貰ってるからな。あんた達が次の拠点に移る間ぐらいは護衛を続けるつもりだったさ。それに――」
「あんた達と一緒に居ると面白そうだしね。仲間に加えて貰えれば、こっちも色々と美味しい思いが出来そうじゃない?」


悪びれもせずにそう言い切る二人組。てっきり、金の切れ目が縁の切れ目とばかりにこの場から去って行くと思っていた剛士達は、二人の以外な反応に戸惑った。


「どうするのよ剛士?」
「どうするって……」


腕を組みながら改めて二人組を観察してみる。男の方は冒険者をしているだけあってガッシリとした体格だ。身長は百八十センチほど。短く赤い髪の上に、ぴょこりと短いケモミミが生えている。所謂獣人と言う奴だ。尻尾はマントの中に隠しでもしているのだろうか、今は見えない。


もう一人は女だ。こちらはやや褐色で、体格的にはリーフとあまり変わらない。しかし服の隙間から覗かせる手足に無駄な肉は無く、鍛え上げられた体なのだと想像させた。剛士と同じ黒髪黒目で、短く纏めた髪をサイドテールにしている。一見日本人と間違えそうな容姿だ。


(ハッキリと金が目的って言うなら、この先裏切る可能性は低いか……。俺達をロードに差し出しても端金しか貰えないだろうし、仲間になれば大金を稼ぐ機会にも恵まれるという判断だろうな。なら、仲間にするのは悪くないかも知れない。俺とリーフだけじゃ身を守る事も難しいからな)


決断し、剛士は二人の冒険者に向き直る。


「よし、わかった。じゃあ俺達は今から仲間だ。護衛役だけでなく、色んな仕事を任せる事になるかも知れない。それで良いなら見合った報酬を支払おう」
「そうこなくっちゃな」
「期待して良いわよ。私達の腕は確かだから」


ホッとしたように胸をなで下ろす二人組。奇妙な偶然が重なって味方を増やした剛士達は、まずは身の安全を確保しようと、夜陰に紛れて街を抜け出すための行動を開始した。

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