【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百四十三時限目 関根泉の前では理も無に帰す


 僕には実績があるんだ──そう思っていた時期が僕にもありました。

 関根泉という女の子は確かに変人で変態である。

 そんな関根さんでも太刀打ち敵わない相手だと思うのが佐竹姉、琴美さんだけど、関根さんと琴美さんでは圧倒的な違いがある。

 ──それは『文脈』だ。

 会話の尾鰭おひれはひれに含みを持たせて翻弄させるのが琴美さんのスタイルだとすれば、関根さんのそれは『はらひれはらほれ』の珍妙な文脈で、理路整然もあったもんじゃない。こういうのを『蒟蒻問答』とでも言うのなら、関根さんとの会談は、正しく蒟蒻問答と呼べるだろう。しかもこの蒟蒻、煮込んだら煮込んだ分だけぷるんぷるんになってくもんだから質が悪い。僕が右と言えば上を向くし、左と指せば眼を閉じる。……何だこれ、天邪鬼よりも天邪鬼じゃないの? でもそれって結局は天邪鬼だよね? つまりは『天野ジャック』なんですね。ファニーファニー。

 ダンデライオンで関根さんと脈絡も無い話をする事数刻、もう、関根さんから天野さんの話を訊く事を半ば諦めかけたその時、これ天啓とでもいうべきだろうか、関根さんの口から「そう言えばワトソン君がね」と飛び出した。

「何だか最近、弟君と反りが町ない。あ、これ失敬。反りが合わないと嘆いていたのだよ。鶴賀優志は何か訊いてる?」

 なんでフルネーム呼びで敬称すら無いんだろう……なんて、〈疑問に思うという概念を放棄した自分〉に、驚きを禁じ得なかった。

「僕はその事について関根さんに訊きたかったんだ。質問を返すようで申し訳ないけど、何か心当たりはあったりしない?」

 関根さんは『うーん』とも『すーん』とも唸りながら、小首を傾げつつツインテールを揺らし、そのツインテールの先っぽを指に巻き付けながら熟考。そして、「あぁ!」と、声を跳ね上げる。

「そう言えばだね? ……ここだけの話だよ」

 僕にだけ訊こえる程度のか細い声で、関根さんは口元に手を添えて、こしょこしょと話し出した。

「実は、ワトソン君の弟君って、第二婦人の子供らしいですぞ」

「第二婦人? ……つまりそれは、腹違いの弟さんって事かな?」

「以前に家族の話になった時、そんな話をワトソン君がしていた気がするのです」

 その弟と反りが合わなくて、クリスマスパーティーに行けない……?

 これだけでは話の辻褄が合わないな。

 他にも無いだろうか、どんな些細な情報でも欲しい。

「他には? そうだなぁ……、天野さんが気を揉むような事件とか、そういう話は?」

「あるにはある……けど、そればっかりは男子に話せない女子トークだからお口にチャック!」

 ……と、言いつつも、関根さんは自分の前に置いたメニュー表を、指先でこつこつ叩いている。

「……わかった。チーズケーキでいい?」

「話が早くて助かりますなぁ♪ マスター! レモンティーとチーズケーキのセットを一丁プリィィズ!」

 レモンティーもかよ……ケーキセットとは言ってないんだけどなぁ。

 ──まあ、仕方が無い。

 これで天野さんの情報が訊けるのならば安い出費だ。

 照史さんがケーキセットの準備を初めると、関根さんは嬉々とした表情で、「ちぃずけぇきぃ♪」とはしゃいでいる。

 こうして改めて関根泉という人物を視ると、本当に高校生なのか疑ってしまう。

 見た目で判断するのは誠実さに欠けるけど、関根さんの身長、言動、その他諸々全部引っ括めても初見で『高校生だ』とわかる人なんていないのではないだろうか? せいぜい『中学二年生』止まりだが、……身長と声質に関して言えば、僕も大して変わらないので、きっと『同族嫌悪』というやつだろう。とどのつまり、佐竹が全部悪い。佐竹は高身長だし、イケメンだし、言葉を発さなければメンズナックルの編集者に『キミ、もしかしてガイアに囁かれてない?』と訊ねられるくらいの風格がある。そんな男が隣に立ってみろ、兄弟に見間違えられたって不思議じゃない。だから全部佐竹が悪いんだ、そうに決まってる。

 腹の底で煮えたぎらせた、とばっちりとも言えるだろう佐竹に対しての悪意が表に出てしまっていたのか、ケーキセットを運んできた照史さんは、怪訝な顔で「どうしたんだい?」と僕に訊ねてきた。

 まさか同族嫌悪がどうの、佐竹がこうのなんて、それこそ外聞がいぶんはばかる話だ。おばちゃんの井戸端会議よろしくに、ジェスチャーを交えながら赤裸々に語れるはずもなく、

「いえ、なんでもないです。ちょっとアイデンティティクライシスに陥っただけですから」

 と、誤魔化してやり過ごそうとしたのだけれど、関根さんが急に何か思いついたらしく、元気な声と同時に手をあげた。

「それ! 前から不思議に思ってたんだけど、アイデンティティって単語を文字にすると〝アイデンティティ〟でしょ? でも、発音すると〝アイデンティティー〟じゃん? どっちが正しいんだろうね?」

「英単語で書くとこうだよね」

 照史さんはエプロンの胸元に引っ掛けていたボールペンをさっと取り出して、伝票の裏側に筆記体で〈Identity〉と記入した。

「日本語読みだと〝ティー〟が一般的だけど、だからと言って〝ティ〟が不正解というわけでもない。これは〝エレベーター〟と〝エレベータ〟みたいなニュアンスの違いと同じかも知れないね。ボクら日本人は〝エレベーター〟と発音するけど、〝エレベータ〟とは発音しないだろう?」

 関根さんは「えれべぇたぁ……えれべぇた……」と、頻りに呟く。

「本当だ! エレベーターって言う! こいつはたまげぇたぁ!」

「解決して何よりだけど、そろそろ優志君の話を訊いてあげようね」

 照史さんは関根さんの頭をぽんぽんっと撫でて、後ろ手を振りながらカウンターへと戻っていった……イケメンはこういう事を自然とやってのけるからおどれぇたぁ。

 ──ゴホンゴホン。

 脱線し過ぎた話を戻すのは骨が折れる。

 万遍の笑みでチーズケーキを頬張って、甘みに頬っぺたがとろけそうになっている関根さんを視ながら、僕も頼めばよかった……じゃなくて、これ以上本筋から外れないようにするには、どうやって話を進めればいいだろうと思案に暮れていた。

 相手が関根さんなら、それこそ、フルマラソンで異例の延長戦を走るような覚悟を決めるべきだろう──これまで色々な人を相手にしてきたけど、関根さん以上に手強い相手はいないかも知れない。

 例えるのなら、いしつぶて無双してくるアイツとか、カウンターメテオを決めてくるアイツとか、銃攻撃を無効にするアイツとか、……思い出したらイライラしてきたんだが? それくらい厄介な相手に対して、知略を巡らせても無意味なのかもしれないなぁ……件のそいつらには火力ゴリ押しだったし、早期決着こそ手っ取り早い方法は無い。

 外も大分暗くなってきたし、これ以上時間を浪費するべきじゃないだろう。女の子を夜遅くに返すわけにもいかないからね。

 未だに眼前にいる彼女は、口の中いっぱいに広がるチーズケーキの香りに夢現ゆめうつつにいるけれど、そろそろ現実に戻ってきて貰わねば、……最後の一口を運んだと同時に、僕は居住まいを正して臍を固める。

 関根さんが握っているのは、結末を大団円で納める為の鍵。その鍵を手にしなくては、始まる舞台も始まらない。開けられる宝箱も開けられない。その宝箱の中身はびっくり箱じゃないといいけれど、開けてみないことには中身を確認できないのだから──。

 焦りと期待、そして、どうか吉と出てくれと、おみくじを引く時と似た祈りを込めながら、

「そろそろいいかな」

 僕は緊張感たっぷりに訊ねた。

「うん。……なんだっけ?」

 ──やっぱり、ツインテールを引っ張っていいだろうか。


 

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