【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

一百二十三時限目 フリースタイルラッパーSATAKE


「痛って!?」

 佐竹君は私がデコピンした額を右手で摩りながら、「何すんだよ」と眉間に皺を寄せる。その表情は〈件の写真のあの人〉にそっくりで、私は思わず「なるほど」と頷いた。佐竹君はどうして私がそう呟いて頷いたのか理解出来ない様子で、私の反応を視るなり訝しみながら、「だから、……何なんだよ」と私をそしるように言い捨てた。

 さすがにデコピンはやり過ぎだったかもしれない。起こすだけなら肩を揺すれば済む話だけど、寝しなに邪魔された鬱憤を晴らすには佐竹君の額が丁度よかったので、私がそこに会心の一撃を浴びせるのは自然の摂理なのだ。

 ──まあ、ちょっと強過ぎたかも? そうは思っても反省はしない。

 だってデコピンした私の左人差し指も痛いんだから、これはお互い様だよね? ……暴論過ぎてジャイアニズムすら霞むんじゃないだろうか。そんな事よりも重大なトラブルが発生している。

「佐竹君、これ」

 私は格さんが印籠を取り出して『この紋所が目に入らぬか』の如く、流星から送られてきた写真を画面全体に映して突きつけた。

「あ? その写真がどうし……」

 どうやら〈異変〉に気づいたらしい。佐竹君は思わず絶句して、口をぽかんと開けたまま暫く硬直。電車がガタンと揺れた拍子に頭の中の整理がついたのか、それとも外れた歯車が噛み合ったのか、「どうしてアマっちと姉貴がツーショットで写ってんだ……」とぼやき、殊更に眉を顰めている。こうなっている原因は、後にも先にも佐竹姉弟なんだけど? 私も流星も、これから会う約束をしている楓ちゃんやレンちゃんも、須く被害者である。

「ああもう! どうして姉貴はこうなんだ。毎回毎回面倒事を持って来やがって」

「それ、佐竹君が言う?」

「ブーメラン上等だよ、クソ! ああもう、どうすりゃいいんだ……」

「佐竹君、声が大きい」

 騒がしくて煩わしいと思われたのだろう、周囲の眼が私達に集まっている。

 「……すんません」

 佐竹君は顎を引く程度に頭を下げながら、ボソッと謝罪の言葉を述べた。




  * * *




 車輪がレールの上を走る音だけが響く車内で、人心地無い雰囲気に包まれてしまった私達は、隣の車両へと移り適当な椅子に腰掛けて、なるべく大きな声にならないようヒソヒソと耳を峙てながら密談を交わす。不意に眼にした週刊誌の中吊り広告には、赤枠に白字で『大物女優Yが禁断愛、一般人男性とホテルデート』の文字が大々的に印刷されていた。これが噂の何ちゃら砲ってやつかと雑念を抱いていたら、佐竹君が「おい。訊いてるか?」と私の視界を遮るように右手を上下に数回振った。

「ちゃんと訊いてるよ。……で、なんだっけ?」

「お前なぁ。まあ、俺が原因だし偉そうな事言えねぇけど、……ガチで頼むぞ?」
 
 はて、私は佐竹君に何をガチで頼まれていただろうか? 顎に左手の人差し指を押し付けるように置きながら、密談の内容を思い出してみる。

 ──隣の電車に移動して、コショるに至った経緯。

 私達は電車に乗って、楓ちゃん達との合流地点へ電車で向かっていて、その途中で流星からのメーデーが送られてきた。琴美さんがダンデライオンで流星に絡み酒ならぬ、絡み珈琲をしているのを、流星が写真で送ってきて、それを視た佐竹君が心底困り果てている。……ここまでが前回までのトゥエンティフォー。

 ──ここからが車両を移動した後の密談内容。

 現在交戦中の流星は、ひとまずそのまま頑張ってもらう事にして放置……じゃなくて、現状維持。問題は楓ちゃんとレンちゃんにどう説明するかだ。

 当初の目的は『買い物』だったけれど、佐竹姉弟のいざこざに巻き込まれては服を買う時間が無くなるだろう。それは私にとっても不本意な結果だ。だからと言って佐竹君ひとりをダンデライオンに向かわせるわけにもいかない。ダンデライオンで愛が落ちてくるような姉弟喧嘩をされたら、照史さんに迷惑がかかる。だから佐竹君を琴美さんに会わせられないのだけれど、琴美さんは察しがいいから、私が佐竹君と一緒にいると確信しているはず。……だから挑発するようなポーズで撮ったのだろうか? そう考えたらあのポーズにも意味が合ったんだと納得してしまった。

 本来なら責任を取らせる形で、佐竹君をダンデライオンに放り込むのが正しい。それに巻き込まれた流星はかなりとばっちりだろう。彼を供養するように、なんみゃーはーらーぎゃーてーぎゃーてーと心の中で唱える。……うん。これで流星に対しての負い目は無くなった。

 問題は楓ちゃん達なんだけど、当然ながら二人は無関係だ。勿論、私だって無関係なんだよ? けど、それを佐竹君が許してくれないから詮方無しと無い知恵を絞ってる。だって、私達を含めたパーティー四人でダンデライオンに乗り込んでも、火に油を注ぐだけなのは想像に容易い。……この場合は私が魔法使いで、楓ちゃんは賢者かな? レンちゃんは戦士っぽいから、魔法使い、賢者、戦士、佐竹、でバランスは取れてそう。──佐竹君の職業? 佐竹っていう職業じゃないの?

 思考が逸脱ルーラしちゃったなぁ……。

 どうにもこうにも考えが纏まってくれないので、一度、佐竹君の考えを訊こうと、虚から視線を佐竹君に戻す。佐竹君は負のオーラを放ちながら両膝に肘をついて、組んで手に顎を乗せながら、「あんにゃろう、こんちくしょう」的な恨み言をブツブツ吐いていた。私の事などお構い無しという態度は鼻持ちならない。なので『ボディがガラ空きだぜ』と、脇腹を突っついた。

「にゅふぉん!?」

 ……何そのリアクション、逆に斬新なんだけど。

「急にやめろ!? 変な声出ただろ!?」

「うん。ちょっと気持ち悪かったよ♪」

「満遍の笑みでディスってんじゃねぇよ……、何かいいアイデアは浮かんだか?」

「それが……」

 何の成果も上げられなかった事を佐竹君に伝えると、悄然するかのように肩を落とした。

 私だってここまで考えが纏まらないとは思わなかったんだよ? 楓ちゃんの時はあんなに上手く事を運べたのに、どうしてか手詰まりだ。楓ちゃん達に事情を説明して、それからどうするか考えるくらいしか案が思いつかないという旨を佐竹君に伝える。

「やっぱそれっきゃねぇよなぁ」

「二人に助言を請うのが嫌なの?」

 散々私を巻き込んでいるのに?

「そうじゃねぇけど、大事になり過ぎるだろ」

 琴美さんが動いた時点で、もうその範疇は越えてるんだけど、……気づいてないの? アナタの姉はそういう人種なんだと早急に気づいて欲しい。

「だけどこのまま手を拱いていたら時間が勿体無いよ。当初の目的だってあるんだから、楓ちゃん達に知らせるのは絶対条件じゃない? ……もしかして忘れてた?」

「忘れてねぇよ。……わかった。俺は楓に連絡すっから、優梨は恋莉を頼む」

 やっと重い腰を上げたかと思った矢先、私達も乗せた電車が乗り換え駅に到着した。プシューと空気が抜ける音と共にドアが開く。私達は急ぎ荷物を手に取り、駆け込み乗車ならぬ駆け抜け降車すると、『閉まるドアにご注意下さい』のアナウンスが流れてドアが閉まり、電車が徐々に加速しながら過ぎ去って行った。

 考える事に集中し過ぎてすっかり忘れてた。危うく乗り過ごす所だったねと、私は佐竹君に声をかける。

「だな」

 佐竹君は心ここに在らずでそれだけ言い残し、手元にある携帯端末に眼を落とす。そして、ホームの壁際にあるプラスチック製の青いベンチにふらふらっと腰掛けると、手元の携帯端末を耳に当てた。電話の相手は楓ちゃんだろう。ばつが悪そうにうんたらかんたらと言い訳を並べては、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。……私もレンちゃんに連絡しないと。

 バッグではなく、パーカーの腹部に縫い付けられた両手通しのポケットから携帯端末を取り出してアプリを開く。トークルーム選択画面には流星からの送信が五件。……受信していた事には気づいていたけれど、ほら、タイミングがね? ──顰みに倣ってうんたらかんたら言い訳をしてみたが、後に流星から殺害予告される事間違い無い。

 流星とのトークルームを筆頭に、下にはグループトーク、レンちゃん、楓ちゃん、佐竹と続く。その中からレンちゃんのルームを開いて『通話』のアイコンをポチっとな。スピーカーからお馴染みのコール音が流れて、五回目を聴き終わる頃に『もしもし?』とレンちゃんの声が聴こえた。

「もしもし、えっと……優梨です」

『うん。……何あったの?』

 何か所じゃないんだよね……。

 私は事のあらましをレンちゃんに伝えると、溜め息混じりの『勘弁してよね』が聴こえた。恐らく電話の向こう側で、頭痛がするとでもいうように目頭を抑えているに違いない。

『佐竹は今なにしてるの?』

「楓ちゃんに電話で怒られ中、かなぁ……」

 佐竹君はまるで外国人がジェスチャーを交えて会話するように、片手をあっちらほっちらしている。それだけを視ればラッパーが『YOYO、チェケラ』しているように視えなくもない。偶に眉間に皺を寄せているので、強烈なリリックを相手に浴びせるフリースタイルラッパーのそれに近いかも。嘘、それとは程遠い。何なら吉幾三の『おら東京さいくだ』状態。向かう先は埼玉だけど。佐竹君が楓ちゃんに『埼玉生まれ片田舎育ち、ウェイなヤツらは大抵友達』しているのを嘆じながら睥睨していると、耳元から『ユウちゃん?』と呼ぶ声が聴こえて我に返る。

「あ、ごめん。えっと、それでね? 今日の事を相談したいんだけど」

『わかったわ。取り敢えずこっちに来てくれる? 私ももうすぐ到着するから』

 それじゃあ、と電話を切った私とは対極的に、佐竹君は未だにフリースタイルラップを披露していた。




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