【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百十四時限目 答え合わせ ②
珈琲の芳しい香りと、焼き立てのパンの甘い匂いがキッチンから立ち込めて僕の鼻奥を擽る。ダンデライオンに来てから直ぐ、摘む程度にマフィンを食べたけど満腹にはしていない。それも相俟って好物のモッツァレラチーズとサーモンのサンドイッチが食べたくなるけど、食欲をカフェラテで誤魔化した。……全く、珈琲とパンの香りの相性というのは罪だ。どこぞの学園祭でやっていた『お好み焼き喫茶』とは偉く違う。それでも業績トップというのだから恐れいる。
まあ、珈琲豆はダンデライオンから仕入れていたし、執事役の練習には高津さんが駆り出されていたので、『プロデュースバイ月ノ宮家』と言っても過言ではない。……が、執事役の男子勢が余りにも力不足だった。僕に至っては教室の隅でカーネルサンダースしているだけだったしなぁ。
いや、マスコット的な意味なら、まだカーネルサンダースの方が魅力的だっただろう。ただの白髭なおじさんなのにね。なんであんなに親しみを覚えるんだろうか? ランランルー♪ あ、これは対立店舗のキャラクターだった。
流星はあれだけ活躍したのに、思い入れは一切無い様子だ。それよりも僕に興味があると言いたげな表情をしている。
『答え合わせをしよう』
──流星はそう切り出した。
答え合わせも何も、僕はそれ以前に『課せられた問題』を忘れていたので答え合わせも何もないんだけど、それでも説いてくれるというのなら、……僕は流星の言葉に耳目を属する。
「答え合わせをする前に、ひとつ訊いておきたいことがある」
「うん?」
語尾が上がって疑問系なってしまったが、流星はそれに対して顎を引く程度に相槌を打ってから開口した。
「お前は〝どうなりたい〟んだ」
どうって? ──なんて訊ね返すのは野暮というものだ。僕だってそれくらいの含む所は理解出来る。ただ、その問いに対する答えが未だに出ていないので何とも言えない。
流星は僕が答えるのをじっと待っている。その顔をまじまじ視てみると、流星のまつ毛は長い。目鼻が整った顔立ちだ。スキンケアもしているのだろうか、肌も一般的な男性より綺麗だと言える。テーブルに置かれた両手に無駄毛は無い。男性的な手と言うより女性的な手だ。こういう所は僕と似ているのかもしれないけど、僕と流星は似て非なるもので、根本的に性格が真逆だ。そうは言っても数日程度の付き合いで、流星の何をわかっているのかと問われたら、何ひとつわかっていない。
──それは、自分自身にも言える事だ。
自分がどうなりたいかなんて、僕が知りたいくらいだよ。……それなら、なんて答えればいい? 質問に顧みて他を言うのは誠実さに欠けるけど、今の僕では筆舌に尽くし難い。
これはどうしたものか、僕が言葉を探していると、
「わからないか」
と、まるで僕が答えないのを見越していたかのような物言いで流星が訊ねた。
「……簡単に答えは出せないね」
「そうか」
「……うん」
簡単なやり取りの後、流星は背凭れに背中を押し付けるように深く座り直す。そして、何か思いげに天井を見上げた。僕らを照らすのは、四方向に羽を伸ばすシーリングファンライト。その起動を眼で追って、一周くらいしてから首を元の位置に戻して口を開く。
「世の中に性別が幾つあるか、お前は知ってるか?」
「大まかに言えば、ふたつ、かな?」
「……そうだ。でも、お隣の微笑みの国、タイには一十八種類もの性別がある。トムゲイクイーン、レズビアン、女性、男性、アダム、アンジー、サムヤーン、トム、トムゲイ、ゲイクイーン、ディー、ボート、チェリー、バイ、トムゲイキング、ゲイキング、トムゲイツーウェイ、オカマ……これだけ性別が存在するらしい」
「よく覚えたね……」
「暇だったからな」
間髪入れずに流星は答えた。
いくら暇だからって、タイに存在する一十八の性別を覚えるだろうか? ──やっぱり、流星はよくわからない。
「因みに、我が国日本で認知されている性別はふたつだが、国に認められてはいないものの、後三つ性別が存在する。それは〝中性と無性〟、そして〝両性〟だ」
その三つは訊き覚えがあった。
中学生の頃、とある女子が『ボクは中性だ』と豪語して、男子トイレを使用していたのが問題となり、しまいには『両性なんだよ!』と逆ギレして先生を困らせていた。
今思えば長島さんは『ジェンダーレス』を提唱したかったんじゃないかって思う。……結局、それは中学を卒業する頃には収まって、卒業間近にはゴスロリなファッションをして楽しんでいたから、僕の中で『中性』と『両性』に対するイメージはあまりよろしくない。
「僕がその〝中性か無性〟もしくは〝両性〟だって言いたいの?」
発した言葉に、不愉快な気持ちが乗っかり角が立ってしまった。それでも流星は冷静で、顔色ひとつ変えずに「そうだ」と言い切った。
「やめてよ。僕は男だし、戸籍謄本にも男性として記されてるんだから」
自分が男である事をを誇りに思っているわけじゃない。社会的にそんなのは当たり前で、当然で、事実だと言いたかっただけだ。……苦し紛れの言い訳みたいになっていたけど。
そんな言い訳を許してくれる程、流星は優しくなかった。
「それならどうしてあの時、……メイド服を着て接客していた時、あんなに楽しそうだったんだ。あれを〝演技だ〟って言うのはさすがに苦しいぞ」
「……」
「認めたくないのらオレが言い切ってやる。お前は〝両性〟だ。ジェンダーレスになろうとしなくてもいいが……、もっと自分に素直になれ」
どうしてつい最近知り合っただけの流星に、そこまで断言されなければいけないんだ。
『それは違うよ!』と抗議したいけど、反論するだけの言弾が無い。……このままだと僕がクロになってしまう! だけれど僕の隣には、助け舟を出してくれるような超高校級の探偵も御曹司もいない。
暫く、人心地無い沈黙が続く。──その間、僕は頭の中を整理する時間に当てた。
自分が中性であると認めたくないのは、単に意地を張っているだけなのかもしれない。流星の言い分は的を得ている。それに反発するだけの材料が無いのは、つまり、そういう事なのだろうか。
──ジェンダーレス。これは流星がちらりと口にした言葉。
その意味は『性別が無い』という意味だけど、昨今の日本でそれの意味する所は『女性的な男性』だ。『他人と同じにされたくない』という理由に倣えばサブカル系と一括りにされる事もあるが、僕はそれらとは違うと思いたい。そもそもマッシュルームヘアではないし。そして原宿至上主義でもない。軽トラを引っくり返す程の力も無いし。……いや、これはサブカル系やジェンダーレスとは全くもって関係無かった。
僕が常日頃『空気のように存在していればいい』と思うのは、僕は『脇役』に過ぎなくて、仮にどれだけ話かけられても「やあ。ここは梅ノ原高等学校だよ」の一点張りを貫き通すくらいで丁度いいと思っているからだ。主人公達の邪魔はしちゃいけない。それはプログラムが許さないから。
それはつまり『他人と同じでいい。何なら置き物程度に思って欲しい』という意味だ。この時点で僕がサブカル系じゃないという確証は得られた。……得てどうする? そんなのどうでもいいだろう。僕が中性だと認めたくないのは、他に理由があるからじゃないだろうか? ジェンダーレスとかサブカル系とか、それは今、全く関係の無い事だ。
『もっと自分に素直になれ』
流星はそうも言っていた。
素直な気持ち、か──。
正味、優梨になっていた方が気が楽なのは認める。あれこれ設定を考えて、それに準えていただけの『偽りの自分』だったけど、その設定が『理想の自分』然れば、優梨である事が本来の僕だと合点がいく。
あれ?
つまり僕は『女性』になりたいのか?
──それも違うだろう。
僕は女性になりたいわけじゃない。
だけど、あと少しで答えが出せそうな気がする。
その答えが『両性』だとすれば、これまで優梨として受けた感情に答えが出せてしまうし、あの時感じた『女性への憧れ』にも似た気持ちにだって……。
僕は男でありながら、女性への憧れもある。
憧れと言えば語弊があるかもしれないけど、上手い言葉が見つからないので、憧れと称しておこう。
腑に落ちるに足る答えが出てしまった──。
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