【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
一百十二時限目 結果発表
深緑色の黒板。ステンレス製の窓枠。大きな方眼用紙に油性ペンで書かれた粗末な時間割表。几帳面に並べられた机。
もう、梅高祭の余韻は無い。
残ったのは『優梨という女子はどのクラスにいるのか』という、まるで都市伝説めいた噂話と、明後日から通常授業に戻るという事実のみ。誰かがそれを嘆くと、それを訊いた誰かが退屈そうに頷いて、誰かはわざとらしく欠伸をした。
教室を見渡すと、月ノ宮さんと天野さんの姿が無い。
実行委員の姿も無いので、おそらくは売り上げの話か何かだろう。そう言えば、今日の午後一番に集計結果が知らされると、教室で話題に上がっていたっけ。だからなのか、後片付けが終わっても帰ろうとする者は少ない。教室にいない者も数人いるけど、部活の出し物の片付けとか、そっちに顔を出しているんだろう。
月ノ宮さんと天野さんは兎も角、佐竹までいないというのはどういう事だろうか? ゴミを捨てに行ったきり戻って来なかったから、その分の指示出しは月ノ宮さんが行っていた。良くも悪くもそれが功を奏したのか、片付けは月ノ宮さんの的確な指示出しによって、午前の授業終了を知らせるチャイムの三〇分前に終わり、見事、僕は自分の席でいつも通り、暇な時間を持て余している。
考えなければいけない案件は山程あって、そのどれもが簡単に答えを導けない。だから、ぐるぐると思考を回転させるのを止めて呑気を決め込んだ。
窓の外、何キロくらい離れているのかもわからない山々は、所々に紅を差して、緑と赤のコントストが秋を強調しているようだ。遠くの空から烏の鳴き声が響く。何ともまあ田舎だろうか。田舎なんだよなぁ。田舎だし。
退屈過ぎてふわぁと欠伸が出た。
さっきまで本を読んでいたけど、どうも集中力に欠けていて、同じ行を何度もループした。あまりに往々と繰り返すものだから本を閉じて、教室の中や、窓の外をぼんやり眺めていたんだけど、窓から差し込む光が暖かくて眠気を誘ってくる。机の上はいい感じに温まっていて、ちょっとしたカイロのようだ。頬をくっつけたら気持ちがよさそうで、もういいや、そのまま寝てしまおうと思った時、教室後方の扉がガラガラと音を立てながら開いた。
「皆、すまん! ちょっと野暮用が出来て、それに付き合ってたらこんな時間になっちまった。マジですまん!」
教室に入って来るなり掌を合わせて謝罪の言葉を並べたのは、ゴミ出しに行ったきり帰って来なかった男だった。佐竹の周囲に男女数人が詰め寄り、「何してたんだよ」みたいな質問が飛び交うものの、佐竹はその理由について「まあ、ちょっと色々な」なんて誤魔化して、頑なに話そうとしない。
まあ、あの佐竹だ。他のクラスに友人がいても不思議ではない。というか、ああいう人種は『ウェーイ』とハイタッチすればマブダチになれるらしいので、そういう系の友人とバイブスがアゲアゲになる話でもしてたんだろう。多分。知らないけど。人気者は大変ですなぁ。
ピンポンパンポーンと教室のスピーカーから、校内放送が始まる音が響くと、それまで佐竹に釘付けになっていた彼ら彼女らを含めた教室にいる全員の視線が、音の発信源に集中した。
『集計が終わりましたので、結果をお知らせします』
感情も無ければ抑揚も無い、『やらせてます感』満載の放送部の女子の声に、僕らは耳を傾ける。
『第二十七回梅高祭、最も集客を集めたのは──』
やらされてる感満載なのに、こういう所はしっかりと間を置いて勿体つけるとは、さすがは放送部。なんなら一度CM挟んでから、再び『集計結果が』の所から、声色を変えてやり直すくらいの間を置き、淡々とした口調で、
『一年三組、お好み焼き喫茶です。おめでとうございます』
──と告げた。
その瞬間、夕方の『遅くならないうちに帰りましょう』に反応する犬のような、嬉々とした雄叫びが教室内に轟く。
「っしゃああああこらあああああぁぁぁっ!」
誰かが亀田興毅ばりに声を張り上げている。……宇治原君、お前か。君、そういうキャラだったの? まあ、恐らくはもう話す機会は無いのだろうけど、その雄叫びは似合わないから止めた方がいい。近くにいた女子がドン引きしてるのに気づいて?
宇治原君は置いておくとして、有言実行した月ノ宮さんに、僕は尊敬の念を抱くも、それと同じくらいの恐怖を感じた。一体どんなマジックを使ったんだろう? 知りたいけど知りたくない、この気持ちってもしかして恋? 一頻り少女漫画ノリを頭の中で繰り広げ終わる頃、マークの外れた佐竹が、教室にいる彼ら彼女らとハイタッチしながら僕の机の前までやってきた。そして、自分の席に、いつも通り椅子の背凭れを腕置き変わりにして僕の方を視ながら座る。
「やったな、優志」
「やったのは月ノ宮と天野さん、そして佐竹でしょ。僕は何もしてない」
これは謙遜ではなくて、鶴賀優志としては何もしてなかった。
「そんな事ねぇだろ? ちゃんとやってたじゃねぇか」
「まあ、片付けはちゃんとやってたね」
「それを言われたら耳が劈くわ……」
劈かれてたら、その両耳は佐竹の頭部から離れているんだけれどねぇ。
「それを言うなら〝耳が痛い〟でしょ?」
「あ、そうか。……日本語ってマジでむずいな」
こんな下らない話をしに来たわけじゃないだろう。愛想笑いを浮かべる佐竹に、僕は冷ややかな視線を向けた。その視線に気づいた佐竹は苦笑いを浮かべる。……やっぱり、ゴミ出しの時に何かあったらしい。カマはかけてみるものだ。
「……アマっちに会ったんだ」
「流星? 学校に来てたの? ……何しに?」
まあ、流星もこの学校に在学しているひとりだし、言葉だけ並べれば至極当然なのだけれど、流星の性格からして、片付けに来るような甲斐性は無いはずだ。……何か、来なければならない深い理由でもあったんだろうか?
「〝暇潰し〟としか話してくれなかったな。そんでまあ、片付けの手伝いをしろって説得してたらこの様だ」
「ミイラ取りがミイラになるような話だね」
「なんだそれ、呪いの類か?」
「……」
駄目だコイツ、早く何とかしないと。
──もう手遅れだ! 時間が無い! クソ! 行くぞ! 佐竹えええぇぇぇ! 僕はきっと最後にゾンビになった佐竹の眉間に、無慈悲な銃口を向けるんだろう。……完。
……いや、終わらなけど。
ゾンビウイルスが街に蔓延り、パンデミックな状態になった妄想を膨らませてから、気を取り直して佐竹に向き直る。
「それで、他には何か言ってた?」
「え? あ、そうだな。特にこれと言ったことは……。普通に雑談してたわ」
「佐竹、それは〝サボり〟って言うんだよ?」
「返す言葉もねぇな」
深く勘繰り過ぎだろうか? もしかしたら本当に雑談だけで終わったのかもしれない。それに、仮に他の話をしていたとしても、僕がそれを知ってどうする? 例えば昨日の晩御飯とか、ドラマとか、そういう話をされても退屈なだけだ。
「そういや、楓と恋莉は?」
「ふたり共、実行委員に呼び出されてるけど、そろそろ戻って来るんじゃないかな。発表も終わったし」
「マジかよ。……怒ってたか?」
「そりゃあもう、憤懣やるかたないと言った具合にね」
「ガチかよ」
「怒りに対して〝ガチ〟と返すのもどうかと思うけど、まあそりゃ、ガチで怒るよね。普通に考えて」
佐竹は表情を曇らせた。
相手は月ノ宮さんと天野さんだから、顔が青ざめるのも頷ける。くどくどねちねちくねくねと、ふたりからお説教される佐竹を想像するのは容易い。あれ? 田んぼに出現する視てはいけない的なのが混ざった気がするけど、まあいいか。
五分も経過すれば勝利を称える歓声も消えて、暇を持て余した彼、彼女らは教室を後にする。今日は特別ダイヤなので食堂は開いていない。昼食は各自で何とかしなければならないので、早々に学校を出て、友達とファミレスやドーナツ屋かうどん屋に行くんだろう。どうしてうどんかって? 埼玉は香川県の次にうどんの消費量が高いのだ。かるが故に、埼玉県は『せや! うどん沢山食べて香川県抜いたろ!』的なスローガンを打ち出したけど、埼玉県民は香川県を抜こうと思ってないひとがほとんどだろう。なんなら、埼玉銘菓の『彩果の宝石』や『十万石まんじゅう』を食べた事が無いひとが多いまである。これ、埼玉県民あるあるね。
「しゃーねぇか。こうなりゃ土下座でも何でもして許して貰うわ」
「あ、まだその話続いてたんだ」
「終わってねぇよ!?」
だって僕には関係無いからなぁ。
そもそもサボった佐竹が悪いんだし、怒られる理由が最たるものなら甘んじて受け入れるのが当然だろう。
「それじゃ、頑張ってね」
ガタッと椅子を引いて、僕は立ち上がった。
「どこか行くのか?」
「佐竹が怒られる姿なんて、視たくないんだ……」
「ゆ、優志、お前……っ」
「絶対に笑っちゃうからさ」
「高みの見物かよ!?」
「喜劇は笑って観るものだよ」
……まあ、理由はそれだけじゃない。
お腹も空いたし、この場にいても無駄に時間を浪費するだけだ。偶には学校帰りにカフェに寄って、本の続きを読むのも悪くないかなと思うんだけど、そういえば駅前にカフェなんて無かったなぁ。これはダンデライオンに行くしかなさそうだ。
後ろから「薄情者ー!」と抗議の声が訊こえたけど、僕はそれを無視して教室を出た──。
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