【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

九十七時限目 梅高祭 ②


「……雨地さん。どうして着替えてないんですか?」

 それは、月ノ宮家を敵に回すと捉えてよろしいんでしょうか? ──なんて、本気で言い出しそうな見幕で、月ノ宮楓は真顔で雨地に訊ねる。

「き、着替えるも何も、着替える服が無いんじゃ着替えられんだろ……?」

 精一杯の抵抗のはずが上擦った声になり、何とも情けない結果に終わった雨地は、赤面するも、それを隠すように他所を向く。

「そんなはずはありません。ちゃんと予備も含めて用意したはずです……あれ?」

 雨地の言葉が信じられなかった訳ではないが、この眼で確かめなければ納得出来ないのだろう。月ノ宮楓は着替えスペースのカーテンをガバッと開いて、中を隈無く見渡してから、

「……ありませんね」

 と、有り体に物を言った。

「だから言っただろ、〝無い〟って」

「仕方がないですね……」

 この奇妙な空間から抜け出せると胸を撫で下ろしたのも束の間で、「では」と、月ノ宮楓は何か閃いた様子で手を叩いた。

「執事役で約一名、全く機能していない人材がいるので、その方から燕尾服を貰って下さい」
「は? お前、本気で言ってるのか? ……誰だよソイツは」

 逃げを張るように言いながらも、雨地には心当たりがあった。しかし、それを認めてしまえば確実に逃げられなくなる。最も、月ノ宮楓は簡単に逃がしてくれるはずもないだろうが。

「鶴賀優志さんです。多分、教室の隅で微苦笑を浮かべていますよ」

 思った通りの人物がご指名された。

 嗚呼、あの浮いてた奴、そんな名前だったんだな。……そう言えば出席を取る時に『鶴賀』という名前を聴いた気がする。──と、雨地はようやく鶴賀優志という存在を意識した。然れど、存在を意識した所で接点が無い。そんな奴に『お前の燕尾服を寄越せ』と言うのか? それはさすがに酷な話だと、月ノ宮楓に抗議しようと言葉を搾り出す。

「待て。オレはソイツと何の関わりもないんだぞ?」

 そんな言い訳が通用する程、社会は甘くないんですよ。──と、月ノ宮楓が微笑みを湛えながら、鋭い眼光で訴えてくるので、雨地は思わず「……いや、なんでもない」と怯んだ。

 やはり、やらなきゃならないのか……? ガックリと肩を落として、すごすごと飲食スペースに成り代わっている教室へと戻った。

 教室の中には、先程よりも多くの客が犇めき、廊下には待ちの列が出来ている。佐竹も天野も必死に業務をこなしている中、件の鶴賀優志は、隅っこですみっコぐらしをしていた。

「おい」

 呼んではみたものの、無反応。

 なんだコイツ、ただのしかばねか? そう思って肩を叩こうとしたら、

「あ、え、えっと……はい。いらっしゃいませ」

 と、日本からブラジルまでの中継で発生する時差くらいの間を置いて応えた。

 反応が返って来たのはいいが、どう説明すればいいのかわからない雨地は、『いい天気だな』とか、『明日も晴れるらしいぞ』とか、『明後日は曇りなんだとさ』……なんて挨拶しか思い浮かばず、──おいおい、天気の話しかねぇのかよ? なんて頭の中で自分にツッコミを入れてみたが、どうやら相手も同様らしい。急に話しかけられてどうしたらいいのかわからないと言った態度で、ばつが悪そうによそよそしく、引き攣り笑顔だけを雨地に向けていた。

「同じクラスなのに〝いらっしゃいませ〟はどうだろうな。まあいい。話があるから裏に来い」

「え? ……あ、はい」

 さっきから『はい』としか返事をしない鶴賀優志を、雨地は『鈍臭い奴だな』と思いつつ引き連れて、再び、月ノ宮楓の元へ向かう。

 月ノ宮楓は、相変わらず黒板と睨めっこしながら、今日の売り上げがどうの、明日の売り上げがどうの、仕入れ値からの利益率がどうの……と、まるで呪文を唱えるようにぶつぶつと呟いていた。

「月ノ宮、燕尾服えんびの予備が無いのはお前のミスだろ? だからお前がコイツに説明しろ」

 現場を預かる責任者は、業務に関する全ての責任を負う事になる。例えば、ホールスタッフのミスにしても、調理場のミスにしてもだ。それが『責任者』というものであるが、部下に責任を押し付ける『無責任者』もいたりいなかったり。……果たしてコイツはどっちだろうな? 雨地は、月ノ宮楓の責任感がどれ程のものなのか、試すように説明役を押し付けてみたのだが──

「そうですね。在庫管理が不充分だった私のミスです。わかりました、代わりに説明します」

 なんて、あっさりと頭を下げるので、雨地は肩透かしを喰らったように眼を丸くして、月ノ宮楓が鶴賀優志に経緯を端的に説明しているのを、傍でぼうっと眺めていた。

「……と、いうわけで、雨地さんにその燕尾服を渡して下さい」

「それは構わないけど、それじゃあ根本的な解決にならなくない? 確かに僕が役立たずだったのは認めるけど、その代わりに……えっと」

 鶴賀優志は雨地をちらりと視る。その視線で雨地は『コイツ、オレの名前を知らないな』と察して、

「雨地だ」

 と、ぶっきらぼうに答える。

「ごめん。……雨地君が僕の代わりに入った所で、人手不足が解消されるとは思えないんだけど」

「そうでもないですよ? それに、人員はこれで二人分確保出来ますから」

 その言葉を訊いて、鶴賀優志の表情が曇る。

「もしかして……本気で言ってる?」

「ええ。佐竹さんの言葉を借りるなら、〝普通にガチで〟……ですね」

「……マジか」

「大マジです」

 何なんだ、コイツらの気兼ねないやり取りは?

 ……つか、鶴賀ってこんなに喋るんだな。

 雨地にはこのふたりの関係性がわからないので、疑問に感じるのは自然であり、何なら『付き合ってんのか?』とまで勘繰るも、存在感も無い冴えない奴を、月ノ宮が選ぶはずもない。そもそも、月ノ宮楓と吊り合うような男子がクラスにいるとも思えないので、懸念するような事態は有り得ないはずだ。

 ……なぜ、そんな事を気にかける必要があるのか、雨地は不意に、月ノ宮楓という存在が、自分の中で特別な存在だったのではないか? いやいや、それこそ有り得ない……何を考えてるんだと大きな溜め息を吐いた。

「雨地さん? 雨地さん。訊いていますか?」

「あ? いや、悪い。訊いてなかった。……何か言ったか?」

「申し訳無いのですが、当面は入場整理をお願いします」
「それはいいが……、どうしてだ」

「こちらも特別な準備・・・・・があるので」

 それは、鶴賀優志と何か関係がある事なのだろうか?

 雨地はもう考えるのも億劫になり、二言返事で済ませると、廊下へと向かって行った──。




 * * *




 こんな事になるのなら、もう少しボーイらしくしていればよかった。 

 だけど、僕にはアルバイト経験も無いし、そもそも、どうしてクラスの皆が平然と業務をこなしているのか不思議でならない。日本人は働き蟻に喩えられるけど、もしかしたら日本人は、細胞レベルで働き蟻なのかもしれないな。

 因みに、働き蟻の三割は働かない蟻らしい。──つまり、集団行動の中で『反面教師』を作っているのだ。それならば、働いてない蟻も『働かない』をしているので、実質、働かないを働いているのではないのか? ……なんだこれ、まるで『何もしないをしてるんだよ』みたいなプーさん理論だ。よくよく考えると、蜂蜜が好きな熊って凄い設定だよね。とってもハニーだ。間違えた、ファニーだった。

 僕の現実逃避虚しく、現実は残酷だ。少年は背中に羽根がある事に気づかないし、セインッセイヤァ! みたいに明日の勇者でもない。ハニーもファニーも大きな括りで、須くファンタジーである。

「月ノ宮さん。考え直して欲しいんだけど……、本当にこれを着なきゃ駄目なの?」

 手渡された女性給仕の服をしげしげと視て、まあ、優梨の姿になれば似合わなくもないと思ってしまった僕は、女装に対しての抵抗感が薄れている事に気がついた。これはよくない。……よくないけど、ちょっと着てみたいとか全然思わないんだからね! 的な、ツンデレ理論を構築してはブンブンと頭を振った。

「勿論です。こうなる事を想定して、他の物も用意しておきました」

 月ノ宮さんはどこから取り出したのかわからないが、片手に化粧ポーチ、もう片方の手にはウィッグを持っている。『こうなる事を想定して』とか言いつつ、こうなるように仕向けたのではないか? そんな疑念を抱きながらも、差し出されたそれらを、半ば強引に受け取った。

「クラスの皆にはどう説明するつもり?」

「〝助っ人〟とか言っておけば、恐らくは問題ないでしょう」

「実質、ノープランじゃん……」

「疑われたくなければ、身を粉にして業務に取りかかる事ですね。だけど」

 月ノ宮さんは一度、そこで話を区切った。そして、満遍の笑みを浮かべて──

「優志さんよりは期待出来ます」

 と、付け加える。

 その期待の根拠はどこから来ているのかわからないけど、月ノ宮さんは『やる』と言ったらやる性格だ。そこに『商い要素』が加われば尚更だろう。

「……まあ、やれるだけやってみるけど、その代わり、サポートは頼むよ?」

「ええ。それくらい御安い御用です」

 やっぱりこういう流れになるのか。衣装の話が出た時、嫌な予感はしてたんだよ。いい予感は大して当たらないのに、悪い予感の的中率は異常。というか、すんなり受け入れる僕もどうかしている。……これも、学園祭というイベントのせいだろうか?

 そういう事にしておこう。



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