【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

九十六時限目 梅高祭 ①


「おあっ!? アマっちじゃね!? お前、何週間振りだよ!?」

「義信……何度も言うが、オレをたまごっちみたいに呼ぶな。オレには雨地流星あまちりゅうせいって名前があってだな」

「そんなのどうでもいいから手伝えよ! 今、〝猫の腕も借りたい〟くらい〝こてんこてん舞い〟なんだ」

 それを言うなら『猫の手も借りたい』だろ。そして、『てんてこ舞い』だ。『こてんこてん』は、確かに古典的な言い回しではあるが。──ツッコミは入れない。

 確かに店内は満員状態で騒然としている。店内を見渡すと、暇そうにしているのは、隅で名状し難い笑みを浮かべている『アイツ』しかいない。

 それならば、マネキン人形のようになっているアイツの尻を、蹴り飛ばしてでも働かせればいいのではないか? しかし、それを言うタイミングが掴めない雨地は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるだけで、場の雰囲気に流されてしまっている。

「ほら、早く裏で着替えて来いよ!」

 着替えとは、つまり、雨地も燕尾服を着ろ、という命令である。なぜ、義信にそんな命令をされなければならないのか? ただでさえ右も左もわからない状況の連続で苛立っていた雨地は、思わず、

「ふざけんな殺すぞ」

 と、かなり物騒な悪態を吐いた。──当然ながら、雨地に殺意は無い。

「殺してもいいけど、殺すなら学園祭が終わってからにして」

「生存ルートを教えろ!?」

 下手くそなツッコミをする佐竹の後ろから顔を覗かせたのは、雨地の性格と絶対に相容れない性格をしている天野恋莉だ。

 当然、彼女も件のメイド服を着ている……雨地は不覚にも、「似合ってるじゃねぇか……」と思ってしまったが、そんな事、噯にも出さない。その代わりに、「また会いたくない奴に捕まっちまった」と舌打つが、彼女は特に気にする様子もなく、雨地の背後に回り込み、有ろう事か、ずいずいと背中を押す。

「おい、触るなっ!」

 首を回して文句を垂れたが、やはり、彼女は全く動じない。それ所か、雨地を押す強さが増した。

「触られたくないならとっとと歩きなさいよ。裏で楓が指揮を取ってるから、着替えたら指示を仰いで」

 楓?

 もしかして、月ノ宮の事だろうか?

 雨地は首を傾げる。

「……どうなってんだ」

 あの澄まし顔の日本人形もどきが、陣頭指揮を取っているとは、雨地には想像も出来なかったのだ。そういう役目は、それこそ天野の方が似合うだろう。雨地が学校をサボっている合間に、クラスの人間関係が変化しているであろう事は事実のようだ。

 雨地流星は普段から学校をサボる癖があり、素行が良い生徒とは言えない。しかし、不良と呼ぶ程の悪行は重ねず、半端者と呼ぶのが丁度いい、そういう生徒だ。ただ、吊り上がった眼に、金髪で、片耳にピアスを付けているせいで、位置付けは不良となっている。

 そんな雨地が入学式から悪目立ちするのは当然であり、誰ひとりとして声をかけなかったのだが、佐竹義信だけは違った。そのおかげもあり、クラスに行けば『アマっち』と呼ぶ男友達も数人いるのだが、それはそれ、これはこれで、佐竹に少なからず恩義を感じてはいるが、この不名誉なあだ名を広めたのも佐竹であり、恨み節も言いたくなる。

 天野恋莉に対しては、ずけずけと物を言うので、単純に『生意気だ』と本人にも伝えているのだが……どうにもこのクラスにはお人好しが多いらしく、拒絶しても向こうから声をかけてくる。

 そして、一番不可解なのが月ノ宮楓という、このクラスのマスコット的存在の女子生徒だ。風の噂で『月ノ宮製薬社長の娘』というのは知っている。

 ──だが、それだけだ。

 男子人気は圧倒的なのは認めるし、その容姿の可愛さ、憐憫な立ち振る舞いにも雨地でさえ生唾を呑むくらいだが、その月ノ宮楓が、この混沌渦巻く催しのリーダーだと誰が思うだろうか? しかも、妙に客入りがいいのも腑に落ちない。

「おい天野。それはどういうことだ? 月ノ宮が陣頭指揮なんて」

「普段サボってるからわからないんでしょ」

 ──ぐうの音も出ない正論である。かるが故に、雨地には耳が痛い。

「文句があるならバックヤードにいる楓にどうぞ」

「だから押すなって……っ!?」

 無理矢理押し込められた幕一枚隔てる向こう側は、黒板と、時間割と、古びた掛け時計、徹頭徹尾てっとうてつびどう視たっていつもの教室である。さすがにここを〈バックヤード〉と呼ぶにはお粗末過ぎた。

 その教壇で腕を組み、黒板と睨めっこしながら唸っているのは、

「月ノ宮……楓」

「……はい? あ、雨地さんでしたか。丁度よかったです。人手が足りなくて困ってたんですよ。アチラに臨時の着替えスペースを用意してあるので、そこにある燕尾服に着替えて下さい」

 同じクラスなのですから、当然ですよね? とでも言いたげな表情だ。

「いや、オレはやるとは……」

着替えて下さいね?・・・・・・・・・

「……」

 オレの知っている月ノ宮楓ではない。

 そう、雨地は思う。

 慈愛の微笑みを湛えながら、その眼に笑みは無く、歯向かえば殺されるくらいには迫力があり、自分の目の前にいるのは、バイト先のマネージャーや店長、それクラスの存在だと天地は悟った。……これにはさすがの雨地でも、屈服せざるを得ない。

 言われるがままに教室の隅に用意された〈一帖程度のスペース〉のカーテンを開けて入ると、真っ赤なカーテンに囲まれるので、とてもではないが落ち着けない。

 その着替えスペースには、安物の白い三段の棚があり、上は空っぽ、中段にはハイカラメイド服、下段には裁縫道具が入っていた。

「……いや、無いぞ」

 思うに、上段に燕尾服の予備がある予定だったのだろう。

 ──しかし、そこにあるはずの燕尾服の予備は無い。

 あまり、女性服を漁るのは気分がよくないが……と思いつつ、そちらもガサゴソと探ってみたが、間違えて紛れ込んだ形跡も無く、これはいっかなどうするか……雨地はその場で暫く考え込んでみたが、

『無いものは無い、だから仕方がない』

 そう安堵して、着替えスペースから出た──。



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