【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

九十四時限目 大和撫子でいられれば ⑩


「お待たせしました。再開致します」

 謹厳きんげんな態度で語り始めた月ノ宮さんに、確固足る意志の強さを感じる。

 僕らはごくりと生唾を呑むと、再び訪れた肌が痺れる程の緊張感に表情を硬くして、寒いはずもないのに腕を摩る。……そうしないと痺れが取れない気がした。

「先程にも少し触れましたが、お父様の言葉は絶対です。私は、お父様の跡を継ぐ事を目標にしてきましたので、アメリカに渡って見識を広げるのはプラスだ、と捉えています」

 月ノ宮さんは遠慮がちに、「だから……」と付け足す。

「私は、私の意志で、渡米します」

 『わたしの意志で』と言い添えたのは、この決断は自分の意志だと強調したかったからだろう。父の言葉や、月ノ宮の仕来しきたりに忖度をしたわけではなく、自ら望んだ結果だと強調するように、月ノ宮さんは言い倣した。

「風邪と称して休みを頂いたのは、簡単に出せる答えではなかったので、その事実と向き合う時間が欲しかったからです。……なんて言えば、多少、格好もつきますけど」

 付け加えられた言葉は、静寂を湛える部屋に虚しく響いた。

「精神的にも辛い事実でしたから、あれこれ考えて塞ぎ込んでいました。やっぱり、辛いですね」

 「言ってくれればよかったのに」なんて言いたそうな表情を浮かべる天野さんは、月ノ宮さんが、どうして、その事実を言わなかったのかを考慮したのだろう。ぐっと言葉を呑み込んで唇を結んでいる。




 探偵ごっこの結末は、あまりにも報われない真実と、遣り切れない感情が相俟って、喉奥を押し潰すような苦しさを伴う凄惨せいさんな終幕になった。

 月ノ宮さんの声音から、どれ程に懊悩したのか窺える。

 ここに至るまで、何度も自問自答を繰り返して来たはずだ。今更、ああだこうだと蘊蓄うんちくを傾けて辺幅へんぷくを飾っても、無意味に臍をむだけだろう。……だとしても。

「理解は出来る。でも、僕は納得できないよ。だから、応援する事も出来ないし、激励もしない」

「……はい。わかってます」

「こればかりは、僕らが口出ししていい案件じゃない。ただ、ひとつだけ言うとしたら、……本当にアメリカでしか、月ノ宮さんの見識を広げることは出来ないのかな? ってことだけ」

「どういう意味、……ですか」

 アメリカンドリーム、なんて言葉があるくらいだ。アメリカには、それだけ夢を掴み得る『何か』があるんだろう。……行った事も無いし、興味も無いからわからないけど。

 最近、芸人が渡米するニュースをちらほらと見聞きする。彼ら彼女らは『芸能人』として、日本のお茶の間を賑わせていた人達だ。しかし、人気が低迷して、逃げるように海外へ渡るのを視て、『武者修行』と称すれば、幾分、言い訳にはなるもんだと思った。勿論、本気で海外に勝負を挑みに行くひともいて、一概に『逃げた』とは言えないし、何なら、同じ日本人として、スターダムにのし上がって欲しいとも思うが、それと、今回の件は、似て非なるものだ。

 事の発端は月ノ宮さんのお父さんにある。そこに月ノ宮さんの意思は、果たして、本当にあったのだろうか? 疑いは晴れない。

 ──なら、晴らすべきだろう。

 それが月ノ宮さんの為にならなくとも、これが僕のエゴだとしても、有耶無耶にされて、曖昧模糊に終わり、理路整然も無くて、辻褄も、平仄も合わずに終わるなんて、もう御免だから。

「アメリカに行くのはいいと思う。異文化に触れれば、視える景色も変わるんじゃないかな」

「では」

「でも」

 矢継ぎ早に、月ノ宮さんの声を打ち消す。

「今のままでは、それもままならないと思うよ? だって、月ノ宮さんは、自分から〝アメリカ留学する〟と言ってないよね」

 僕は月ノ宮さんと口論するつもりはない。だから、極力、言葉尻が強くならないように細心の注意をしながら、

「自分発信じゃないのに、それを美徳と言うように納得するのは、月ノ宮さんらしくないんじゃないかな?」

 月ノ宮さんを否定した。

「どんな理由であれ、どんな相手であれ、簡単に屈服するお利口さんなお嬢様じゃ、それこそ月ノ宮さんのお父さんは納得しないんじゃない? ……って、会ったこともない僕が言えたことじゃないかもしれないけど」

 八の字を寄せながら僕の話を訊いていた月ノ宮さんは、得心がいったようで、「一理ありますね……」と小さく呟き、眦を決して立ち上がると、わざとらしく両手を思いっ切り広げて深呼吸をした。その表情は、活力に満ち溢れている。

「……これでは、負けを認めたと同じではないですか。……それこそ、月ノ宮家の家訓に泥を塗るようなものですね」

「月ノ宮家の人間に敗北は許されない、……的なアレか?」

 綻んだ空気を察した佐竹が冗談半分に訊ねると、月ノ宮さんは不敵な笑みを浮かべる。

「当然です。例え相手がお父様でも、負けるわけには参りません」

 なるほど、これが反抗期か。でも、反抗は反抗でも、生半可な反抗にはならなそうだ。

 血で血を洗うような骨肉の争いにならなければいいが……なんて、それを焚きつけた僕が言える台詞ではない。

「じゃあ、留学の話はどうなるの?」

 天野さんが首を傾げながら訊ねた。

「現状では何とも言えません。私自身、渡米にはメリットを感じているので、恐らくはそうなると思いますが、それは今日、明日の話ではなく、もっと未来の話にしようと思っています。倒すべき相手は、お父様以外にもいますから」

 横目でちらりと僕を視る。

 いやいや、僕なんて踏まれたら一発でぺしゃんこになって100ポイント手に入るぞ。何なら、自ら崖に飛び込むまであるが、好敵手と位置付けられたのなら、お姫様を連れ去るくらいの気概は必要だろう。そのお姫様を、誰とは言わない。

 僕にはまだお姫様の正体が誰なのか、わからないから──。




 * * *




「今日はその、……すみませんでした」

 駅前のロータリーで、高津さんが運転するクラウンを横に、月ノ宮さんが深々と頭を下げた。辺りはすっかり真っ暗だが、周囲にある店の照明のせいで、黒の車体に僕らの姿が潰れて映っている。

「もういいわよ。……それで」

 天野さんは言葉を詰まらせたが、これ以上は何も言うまいと首を振ってから、「いつから登校出来るの?」と訊ねた。

「そうですね。月曜から登校出来ると思います」

「わかった。それじゃ、また学校でね」

「はい。それでは、おやすみなさい」

 月ノ宮さんは再び、会釈程度に頭を下げてから車へと乗り込んだ。

 車のテイルライトが赤く点灯して、後方席の窓が静かに開き、微笑みを湛えている月ノ宮のご令嬢が小さく手を振った。僕らもそれに倣い手を振る。隣にいる佐竹だけは、「またな!」と大きく手を振っていた。

 僕らに見送られながら、クラウンは夜の闇に溶けるように、遠くへと、帰るべき場所を目指して走り去る。

「……大丈夫かしら」

 不安と心配が混じる声で、天野さんは、誰に問うでもなく、思案投げ首のうちに視えなくなった車に思いを馳せながら、ぽつりと零した。

「ま、アイツのことだ。上手くやんだろ」

 両手を後頭部に置いて、所在無さげに佐竹が反応すると、天野さんは「そうね」と無理矢理納得したようだった。

「それじゃ、俺らも帰るか」

 時刻は既に一十九時半を過ぎている。高校一年生が気軽に出歩いていい時間ではない。

 ──まあ、例外はあるけど。アルバイトしているハラカーさんとか? あれ、ハラカーさんって誰だっけ?


 季節が秋に移り変わったからだろう、心倣しか夜風が冷たく感じる。それでもまだ、長袖を着るには早いと思うけど、お洒落は気合だ、というし、巷のナウでヤングな、時代先取りファッションリーダー達は、ガイアの囁きを感じながら、痩せ我慢してライダースに袖を通すのだろう。多分、割とどうでもいいけど。

 改札へ向かう階段までは一緒だ。でも、それぞれ違うホームなので、自ずと近くにある改札前で立ち止まる。近場にある一番線を利用するのは天野さんだ。

「今日は驚きの連続だったわね」

 どうしてか、今日の感想を言う会が開催される。

 何だかむず痒くて座に堪えない気持ちになるも、突慳貪つっけんどんではいられないのがこの感想会であり、取り敢えず、顰に倣っておけば間違いない。よし、僕も感傷に浸るぞ。観賞していても始まらなそうだからね。カンショウだけに。ウププププ。……やっぱり、今日は冷え込む。

「今日というか、ここ最近は普通に吃驚しまくりだわ。ガチで」

「アンタもいろんな意味で吃驚なんだけど、大活躍した優志君よ」

「僕は特別なことをした覚えはないよ」

 謙遜ではなく、これは正直な意見で、僕は単純にこれまで曖昧だった話の筋道を通したくて、委細構わず虚勢を張っただけだ。

「でも、今回はお前に助けられたぜ。俺と恋莉だけじゃここまで出来なかっただろうなぁ」

「そうね、相方がアンタじゃ無理よ」

「当たりが強いなァ!?」

 いつも通りの漫才のはずが、何処と無く虚しさを感じる。……いや、そうじゃないな。僕は、まだ心残りというか、やらなきゃならない事が残っていて、それが終わらない限り、心穏やかではいられない。だから、

「僕は先に帰らせて貰うね」

 と、足早にその場を後にした。

 後ろから「じゃあなー!」とか「またねー!」とか訊こえた気がするけど、後ろ髪引かれる事無く、僕は目指すべき場所を目指した。


コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品