【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
九十二時限目 大和撫子でいられれば ⑧
ノックの音は届いたのだろうか? 此の期に及んで、我関せず焉とする所以は無いだろうに。しかし、待て暫しが無いと、業を煮やした所で、鶴の恩は返ってこない。
とまれかくまれ、僕らは、天照大神のように、天岩戸を閉じた月ノ宮さんが扉を開くのを、息を殺して、只管に待つ他に無いだろう。雁首を揃えて御神楽でも踊れば、嬉々として出てくるような状況でもない。
沈黙が続いて、僕はふっと首を回すと、ふたりはどうも座に堪えない様子で、左顧右眄しながら、眼を峙てている。落ち着かない気持ちはわからなくもないが、そんな心持ちで、月ノ宮さんとまともに話が出来るのか。……些か不安だ。
その時、扉の向こう側で僅かに、椅子を引く音が聴こえた。注意深く耳を聳てると、足音が徐々に近づいて来るのがわかる。然り而して、天岩戸の隙間から、天照大神、ではなく、大和撫子が顔半分覗かせた。
「……風邪の具合なら、もう大丈夫ですので」
続けざまに、だから帰れ、とでも言いたげな声音だが、僕はそれを拒むように、
「それはよかった。では、失礼して」
と、強引に扉を押す。
「え、ちょっと、優志さん!?」
急に扉を押された月ノ宮さんは、事態を呑み込めず、臆するかのように後退りしながら、僕らが部屋に入るまで、部屋の中央で、困惑を隠せずに、立ち往生を余儀無くされている。
天野さんが扉を閉めると、それを皮切りに、月ノ宮さんが苦言を呈するかのように「これは一体、何の騒ぎですか」と、声を荒げた。
「それはこっちの台詞よ」
天野さんは臍を固めたらしく、先程までの狼藉は嘘のようだ。僕を押し退けるようにして、両手を腰に置き、月ノ宮さんの前に立ち塞がる。
そういえば何時ぞやに、似たような状況を此の眼で視た気がする。あれは確か、と思い馳せながら、隣にいる佐竹を睥睨すると、佐竹も心当たりがあるようで、既視感ある現状に、「なんか、懐かしいな」と呟いて、僕は小さな頷きだけで返す。
この見幕は、僕が女装して天野さんと対峙する前、放課後の教室で佐竹に迫ったあの時とそっくりだった。なんだか感慨深い気持ちになるが、そう悠長に構えてはいられない。
「風邪なんて引いてないのに、どういうつもり? 別に、休んだ事を咎めるつもりはないわ。私が怒ってるのは、なんで何も教えてくれないのって怒ってるの。わかる?」
言葉尻こそ強いが、言葉の端々に哀が込められているような気がした。
天野さんの言う事は、友達だと思うのなら当然だと言える。佐竹も云々と頷いているしほぼ同意なんだろう。だけど僕は、僕らにも言えない事情があるから、月ノ宮さんは沈黙を貫いたのではないかと思い始めていた。
それは単に、天野さんが怒髪天を衝くかの如く、仁王立ちしているのを視て、冷静になれたからかもしれない。
仮に、執事である高津さんに、僕らを追い返してくれと頼んでいたと推察すると、そこには、名状し難い内情があったんじゃないかと、矯めつ眇めつ思索する。
……その『名状し難い内情』とは何だろうか。
もう暫く粛々と待ち、月ノ宮さんの言葉から探る必要がありそうだ。
「おい、恋莉。そんな態度じゃ言うも言えず、語るに語れずだろ、普通に。少しは冷静になれよ、ガチで」
「んな!? ……そ、それもそうね。てか、アンタの語彙力どうなってんのよ」
「今、俺の語彙力は関係ねぇだろ!?」
僕はどうして、佐竹が謎の語彙力を発揮しているのか知っているけど、このやり取りが張り詰めた空気を緩和したので、水を差さないでいた。
「相変わらずですね」
他人行儀にそう呟いた月ノ宮さんの瞳は、憂いを帯びて、僕にはどこか寂しげに映った。そして、引きっぱなしだった椅子に向かい、勢いのまま座ると、背を伸ばして居住まいを正した。──その表情に、もう、憂いは無い。緩和した空気が、再び張り詰める。
「優志さん」
当然、名前を呼ばれても、じゃじゃじゃじゃーん、とはならないが。
気を取り直して、月ノ宮さんの眼を視る。
「私は、ふたりだけに留めるつもりだったのですが」
「もしそうだったなら、もっと上手く立ち回るべきだったね」
これだけでは、売り言葉に買い言葉となってしまうので、矢継ぎ早に言葉を付け足す。
「でも、申し訳ないとは思ってるよ」
「……そうですか」
会ったら謝ろうと思っていたのは事実だから、これは本心だ。
「私も言葉足らずでしたので、百歩譲って、お互い様にしましょう」
「ありがとう」
「ですが」
月ノ宮さんの表情が、途端に険しくなった。
「探偵ごっこにお遊び興じて、他人のプライベートに首を突っ込むのは、愉快に思えません」
天野さんをストーキングしていた月ノ宮さんがそれを言うのか……、とは言えない。でも、僕の頭の中では西城秀樹の『ブーメラン♪ ブーメラン♪』が、全力で流れていた。あわよくば『ローラ』までトラックが進みそうになり、僕は既に停止ボタンを押してギャランドゥする。全然止めれてないな。
「でも、ここまで辿り着けたのも、それあってよ。優志君、凄く頑張ってくれてたんだから」
天野さんが割って入ってくれたおかげで、集中力を取り戻す事が出来た。
「そうだぞ。コイツが斜め四十五度に構えてなきゃ、俺達はここにいない」
うーん、これは分度器! ……何言ってんだ、佐竹。角度の問題じゃないんだが。
……思うに、『斜に構える』と言いたかったんだろう。僕は、『頑張りましょう』のスタンプを、佐竹の額に押したい気持ちを堪えながら、肘で脇腹を小突いた。
「それで、そろそろ本懐を話して欲しいんだけど」
このままだと、斜め四十五度の物をあれこれ考えてしまいそうで、像さんの滑り台が頭を過ぎりながらも、僕は本題を切り出した。
「そうですね。さすがにここまで来られてしまったら、……止むを得ません。取り敢えず、適当な場所にお座り下さい。話はそれからです」
適当な場所と言われてもなと、僕は月ノ宮さんの部屋を左見右見していると、佐竹がどこからか、背凭れ付きの座椅子を二つ持って来て、僕と天野さんを座らせてから、佐竹は何も敷かずに、床に胡座をかく。
僕らが額を集めるように成り行きを見守っていると、月ノ宮さんは、コホン、と可愛らしく咳払いして場を制した後、
「それでは、お話しします」
と、閑話休題に語り始めた──。
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