【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
八十五時限目 大和撫子でいられれば ②
月ノ宮さんが学校を休んで三日が過ぎた。
風邪で寝込んでいるのなら、そこまで不自然な日数でもない。僕なら後二日粘って、一週間の休みにする。そして大胆不敵に休みを謳歌するけど、月ノ宮さんはそこまで小賢しいやり方でズル休みしないだろう。もっと用意周到に、計画的に実行するはずだ。だから内心、ただ事ではない、と思っていた。
僕は佐竹と天野さんを学校終わりにダンデライオンへ呼び出したのだが、呼ばれたふたりはいつもの席に座って「何事だ?」と、お互いに顔を見合わせている。それもそうだろう、僕がふたりを呼び出すなんて事、これまで一度もなかったのだから。
ダンデライオンはいつも通り空席が目立つ。毎度毎度来る度に思うのだけれど、経営状況は大丈夫なのだろうか? それでも今日は集客している方だろう。最も、店内には馴染み客が多く、ご新規さんは一割程度といった具合だ。カウンターに座っているおばちゃんがリピーターになってくれたらいいけど、それも望み薄い。
「おい優志。そろそろ俺らを呼んだ理由を話してくれてもいいんじゃね?」
痺れを切らした佐竹が、不満気に口を尖らせている。僕だってそうしたいんだ。だけれど、僕は、この期に及んであの件を、彼、彼女に打ち明けるべきか考え倦ねている。
どう言葉を換言するべきだろうか? 発した言葉には責任が伴う。なればこそ、筆舌に尽くし難いのだ。然ればとて、このまま黙りを決め込むのばつが悪い。
こういう時、もうひとりの僕に入れ替わって、『俺のターン! ドロー! モンスターカード! ドロー! ずっと俺のターン!』 ……なんてしてくれたら、どんなに気楽だろうか。しかし、ダイレクトアタックされているのはインセクターではなく僕自身である。うん、そろそろ『HANASE☆』と催促されそうだ。
「それ程に深刻な話なの……?」
今度は天野さんに心配されてしまった。無理もない。ずっと黙して語らずでは先行きが不安になってしまう。月ノ宮さんは僕だけに留めておきたかった話だったんだろうけど、会った時に謝ればいいかと臍を固める。
「実は……」
僕は日曜日に月ノ宮さんに会った事、そして、どんな内容を話したのか慎重に言葉を選びながらふたりに話した。その間、アイスコーヒーはカフェラテに、アイスカフェラテはロイヤルミルクティーに、アイスココアはホットココアに代わっていた。佐竹、ココア大好きかよ。
話は終えた。三人寄れば文殊の知恵。さあ、これからの方針を決めようじゃないか! なんて事にはならず、僕ら三人は店内に流れているテイクファイブを聴き終わるまで、静かな時間を過ごしていた。
「いや、お前。それ、もっと早く言えよ……」
静寂を破ったのはやはりこの男、佐竹である。佐竹は小鼻を膨らまして苦言を呈すると、椅子に深く座り直して、腕を組み、どうしたもんかと顔を顰めた。
「だけど、月曜日にそんな事を言われても、私達に何か出来た?」
「どうかな……、どうだろう」
何も出来ないとまでは断言出来ないにしろ、由々しき事態には備えられたかもしれない。その事態はまだ露呈していないし、対策も何もないのだが。そもそも、月ノ宮さんが休んでいる理由は、本当に風邪だという可能性だって充分にある。
……なんて甘い考えは捨てるべきだろう。
照史さんは事情を把握していそうだけど、僕らに口を挟んで来ないだけに、こちらから訊くのは躊躇われる。四方八方手詰まりで、妙案は浮かばない。これでもし問題が発生していれば、解決の糸口を幾らでも探せるだろうけど、その問題すら起きていないだけに、こちらも手の出しようがない。
無力だ。
そう思わずにはいられない状況を、僕ら三人は身を持って体験している。問題の無い問題に対して、どう対策するべきだろう。まるでなぞなぞだ。いや、なぞなぞの方がまだ可愛い。
「一応、風邪が治るのを待ってみるか……?」
遠慮がちにそう唱えた佐竹は、自分の案に自信が無いとでもいうように、恐る恐る僕らに訊ねた。
「それが得策とは言えないけど、それしか方法が見当たらないわね……」
そうなのだ。本当にそれしか策が無い。
警察は事件が起きてから出動する。ヒーローだって後から登場するし、名探偵だって殺人事件が起きてから推理を始める。後手に回ってしまうのは些か不安ではあるものの、それ以上の案は出てきそうもない。だけど、
「それで、いいのかな」
不意に小石を投じてしまった。
僕の口から零れた疑問は、それこそ、心に留めておくだけにするはずだった。何だか最近、感情よりも口が先に動いて仕方無い。
「じゃあ、他に何かあるのか」
「わからないけど、月ノ宮さんはきっと、あの時、何かを伝えようとしていたと思う」
「楓が伝えたかった事って、何?」
それがわかっていたら、こうして放課後ティータイムよろしくな状況になっていない。だから、それを、天野さんは知りたいんだろう。佐竹だってそうだ。しかしいっかな、曖昧に終わらせてしまった話を整えるのは骨が折れる。
杞憂で終わればそれでいい。むしろ本望だ。それで終わらないと思うから、こうしてふたりに問いかけているのだけど、やはり、余りにも理不尽過ぎる問題だった。
店内にドアベルの音が鳴り響いた。どうやら客が数人帰ったらしい。さっきのおばちゃんもこれから夕飯の支度があるのだろう、申し訳なさそうにそう告げて、照史さんに小さく頭を下げて出ていった。日本人のこういう所は律儀だと思う反面、窮屈で億劫だ。それを礼儀と呼ぶのなら、自虐も板についている。僕はどうだ。我が身を振り返ってみると、やはり僕も日本人であり、自虐について言うならば、他に引けを取らないだろう。──自慢にもならない。
外の陽は黒が濃くなり、茜色の光が窓を照らす。元々証明が薄暗い店なので、赤のコントラストが数々のアンティークな装飾品を彩るようだ。天蓋に吊るされている扇風機の羽みたいなやつ、あれの正式名称は何だったか、……忘れた。
「あのさ」
と、彼は言う。誰とは言わない。それを言うのは決まって彼しかいないのだから。伝家の宝刀『あのさブレード』。相手は死ぬ。殺してどうするんだ。
「今日はもう遅いからあれだけどよ。明日の放課後、お見舞いがてらに楓の家に行ってみないか?」
月ノ宮家か……。ひょんなきっかけでお邪魔したけど、あの時は散々だった。と言うか、『ひょんなきっかけ』の『ひょん』って何なんだろう。とても間抜けに訊こえる。
「そうね。心配だし。でも、突然押しかけて迷惑にならない?」
「恋莉が楓に連絡すりゃ済む話だろ」
「私が?」
「他に適任はいるか?」
天野さんは暫く黙り込んだが、「それもそうね」と首肯した。
佐竹にしては機転が利くものだ。僕の中で佐竹に対する評価が上がった。
「それで、いつ連絡すればいいの?」
「帰ってからでよくね? つか、そろそろ俺も帰らなきゃなんねぇし」
「そうね。それじゃ、今日はここまでね」
ふたりはそう言って鞄を手に取って立ち上がる。
「優志?」
まるで立ち上がる様子もない僕を、ふたりが不思議そうに視る。
「先に帰っていいよ。僕は気分転換に本を読んでから帰るから」
僕は鞄から、まるで聖剣を引き抜くかのように、一冊の本を取り出して掲げる。聖剣ブックカリバー。相手は死ぬ。だから殺してどうすんだ。
「優志君って読書好きよね。……私も読んでみようかな」
「普通に似合わねぇって言えないから悔しいな」
「今度、私でも読めそうなのを見繕って貰える?」
僕はそれに頷きだけで返す。間違っても天野さんにハロルド・アンダーソンは勧められないな、と思いながら。
「ありがと。それじゃ、また明日ね」
「程々にしとけよ。またな」
「うん。またね」
形式だけのやり取りというのは窮屈で億劫だ、だけど、気楽でもある。それが『当然』であり『道徳』も関与しているのなら殊更だ。だから『建前』は成立するし、そこに疑問を持つひとは少ないだろう。そんな事を思いながら、座ったまま、彼らが店のドアベルを鳴らすのをひっそりと待ち続けた。
テーブルの上に置いていた『建前』を、痛まないように、そっと鞄にしまい込む。いつしか店内には僕だけになり、ジャズピアノが寂しげな音を奏でた。
「嘘を吐くなんて、悪い子だね」
「〝嘘を嘘だと気づかれなければ、それは真実である〟」
「〝然りとて、優しい嘘など存在しないのだ〟……なるほど。もうそこまで読み進めたのかい? 早いなぁ」
今、僕が読んでいる本の一節を、臆面もなく引用してみたけど、やっぱり、少し小っ恥ずかしくて、照史さんから顔を背けた。
今日はもう店じまいにするらしい。照史さんは一度店から出て、表札の裏側に書かれている『closed』を表にして、ドアに鍵を掛けた。その後、カウンターの中に戻って、「一杯奢ろう。何か飲むかい?」と僕に訊ねる。けど、もう苦味はお腹いっぱいだ。僕が首を振ると、照史さんは自分の分の珈琲と、もう片手に氷の入ったオレンジジュースを持って、僕の前に座る。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
このオレンジジュースも手作りなんだろうか? 僕がまじまじと見詰めていると、「ごく一般的なオレンジジュースだよ」と、あられもなく言い放った。確かにフルーツは値が張るし、手作りを店で提供するのは難しいのかもしれない。そうだとしても、ちょっぴり、残念に思ってしまった。
僕がストローを啄ばんでいると、照史さんは微笑みを浮かべながら、まるで面白いものでも視るかのように僕を視る。
「……なんですか」
「いや、ごめんごめん。優志君は不思議な子だと思ってね」
「不思議?」
あまり聞き慣れない言葉だっただけに、オウム返しで返事をしてしまった。
「誰の事も興味が無いという素振りで、本当は人一倍興味津々だ。まるであべこべ。そこが優志君の魅力なんだろうけど、果たしてそれがいつまで通用するかな」
「ド正論過ぎてぐうの音も出ないんですけど、ギャフンと鳴けばいいですか?」
「あはは。どんなコメディよりも面白そうだ。……キミのそういう所、嫌いじゃないよ」
「それはどうも」
それで? と窺うように、照史さんは僕を見据える。その瞳にはどこか、挑発的な色を感じた。ここで臆せば、ふたりに嘘を吐いてまで店に残った意味が無い。だから僕は、その挑発に便乗する事にした。
「月ノ宮さん……楓さんが、風邪で三日休んでます」
「そうか。きっと熱があるんだろう。楓は昔から、風邪を引くと熱を出すんだ」
だからその病欠日数は妥当である、と言われた気がする。
まだ、言葉が足りないようだ。
照史さんは問答を楽しんでいるように、余裕な表情を浮かべながら湯気の立ち昇る珈琲を啜った。この感じ、琴美さんとやり取りしているような錯覚すら覚えて、背筋がぞっと粟立つ。そうであっても、怖気づくわけにはいかない。
「本当に風邪ですか?」
「学校にはそう伝えているんだよね? それなら、そうなんじゃないかな」
さすがに単刀直入過ぎたか。これは失敗。なら、趣向を変えてみてはどうだろうか?
「楓さんらしくない、と僕は思います」
「〝楓ならもっと上手くやるだろう〟……、そう思っているんだね? でも、楓だってまだ高校一年生だ、失敗の一つや二つするさ。それがこの〝風邪〟なんじゃないかな」
『風邪』に対して『失敗』と託けるのは、『体調管理も仕事のうち』という大人社会の常識だ。月ノ宮さんを『まだ高校一年生だ』と主張するなら、その常識は通用しない。仮に大人だと認めているのなら、そんな言葉は出てこないはず。だから、今の照史さんの言葉は辻褄が合わない。矛盾が生じるのは、そこに秘密があるからだ。つまり、照史さんは何かを隠している。
「本当に〝風邪〟ですか?」
今度は堂々と、端的に、確信を持って照史さんに挑む。すると、ここに来て初めて、照史さんの微笑みが途絶えた。
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