【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。

瀬野 或

八十三時限目 そこに理路整然は無くとも


 公園に面した道路には愛犬を自慢げに腕に抱えながら歩くひとや、両手にスーパーの袋をぶら下げる主婦、そして和気藹々と自転車を漕ぎながら家路を急ぐ子供達が目立ってきた。嗚呼、あの子達は確か別の公園でゲームをしていた子だ。自転車のカゴの中にある黒いリュックサックが、凹凸のあるアスファルトによって揺れている。

 頭上にあった太陽は西に傾き、空を茜色に染めた。眼の端々にトンボが飛んでいるけど、あれは赤トンボかシオカラトンボか見分けがつかない。それ程に僕の視力は低下してしまったのか、本を読む時は部屋を明るくしてなるべく離れて読むようにしよう……それでは米粒よりちょっと大きい程度の活字を読めないのではないか? うん、テレビと同じ対処とはいかないようだ。

 僕の目の前で仁王立ち宛らにしていた月ノ宮さんは、伝えたい事を全てとは言わずとも言い切ったようで、何食わぬ顔で隣に腰を下ろしている。その素振りはまるで、何事も無かった、と言わんばかりだ。僕は仁王立ちしていた月ノ宮さんの詐欺ペテンにでもかけられたのだろうか? それはいつの間にかバトル漫画になったテニス漫画の方か。この場合、狐につままれた、と表現した方が正しいかも知れない。

 然りとて、『何もなかった』と済ませられる状態でもない。

 えっと、何が起きたんだっけ……?

 あまりにも理路整然りろせいぜんとしない話だったので呆気に取られてしまっていたが、道理も通らない筋道を辿った所で思案に余るだけだろう。うーむ、UUUM、ブンブンハローと首を傾げる僕に月ノ宮さんはただ黙して、反応を窺っているようだ。

 益体ない事をあれこれ考えても埒が無いので、先ずはひとつずつ、頭の中に浮かんだ疑問を投げかける事にした。

「月ノ宮さんの彼女になるって、どういう事?」

「言葉通りですよ」

 そう断言する月ノ宮さんだが、それでは矛盾が生じる。月ノ宮さんは僕に『私に恋しても望みはない』と公言したばかりで、もし言葉通りだと言うのなら、僕は文目あやめも分かたぬ泥沼に頭を抱えるような事態に陥らなかったはずだ。

「それはさすがに無理があるんじゃないか?」

「……そうですね」

 諦めたように大きく溜め息を吐いた後、色を正して僕に向き直った月ノ宮さんは、そこはかとなく漂う愁いを帯びながら横髪を耳にかける。──その仕草は不覚にも婀娜あだめいて視えた。

「私は、〝欲しい物はどんな手段を用いても手に入れる〟……そういう女です」

 もう何度も聞いてきた月ノ宮家の家訓だ。

 ……確か、月ノ宮さんのお父さんの言葉だったっけ。

「恋愛においても、それは変わりありません」

「そう、なんだ」

「ええ。そうです」

 その家訓が月ノ宮さんの誇りだとするなら、どうしてそんなに寂しそうな笑顔を僕に視せるんだろう。

「お父様の言葉は絶対であり、逆らう事は許されません」

「それは……」

 照史さんの置かれる状況を鑑みれば一目瞭然だ。──しかし、僕はそれ以上の言葉を呑み込む。

「そういう生き方しか、私は出来ないんです」

「窮屈そうな生き方だね」

「窮屈? ……そう、かも知れません。ですが、同情を誘っている訳ではなく、これが私という人間なんです。だから……、私は醜い。優志さんの弱みに付け込んで、優志さんの状況さえ顧みずに、我を通そうとしているんです」

 可哀想だという言葉では事足りないかも知れないが、やはり、同情は出来そうもない。だけど、それでも……。僕は月ノ宮さんを友人として、今も思っている。それが迷惑だと言われたらどうしようか。その胸の内を知られない限り拒絶はされないだろうけど、何か、掛ける言葉はないだろうか? 気の利いた言葉は……どうも、出てこない。

「急にこんな話をされて迷惑なのは百も承知です。だけれど、私は……恋莉さんを諦められない」

「……それと、僕が月ノ宮さんの彼女になる事がどう繋がるの?」

「恋莉さんは優志さん……いえ、優梨さんが好きです。だから」

「その優梨を手に入れて、天野さんの気を引こうとした?」

「……そうです」

 それこそ悪手じゃないだろうか? 天野さんの性格を考えると、優梨に恋人が出来たら、そこに疑いを感じなければすっぱりと割り切るはずだ。現に、優梨が佐竹の彼女扮していた時、天野さんはそこに疑いがあったからこそ問い詰めて真相を暴いただけであって、疑いが生じない、本当に恋人が出来たと納得すれば諦めるはず。──いや、だからこそ月ノ宮さんは僕に彼女になれと言ったのだろうか?

 そこまでして天野さんの気を引く理由とは何だ?

 何がそこまで、月ノ宮さんを追い詰めているんだ?

 これまで、僕は月ノ宮楓という人物をどう視ていたんだろう。

 腹黒い、とか、小賢しい、とか、僕と住んでいる場所が違う、とか、勝手にあげつらっていたんじゃないか? 隣で唇を噛み締めている月ノ宮さんは、僕と同い年の女の子だと言うのに、大人びた雰囲気に惑わされて、月ノ宮さんの内面を視ていなかったんじゃないか? そうだとするなら、僕も大概醜いだろう。友達が苦しんでいたのに、それを知らぬ存じぬ我関せず、自分可愛さに眼が眩んで……自分勝手だったのは僕の方だ。

「……ごめん」

「え? どうして優志さんが謝るんですか?」

「僕は月ノ宮さんの彼女になる事は出来ない。僕は男だから、そもそも〝彼女〟にはなれないんだよ。それに僕は、僕が好きになったひとと恋人になりたい。月ノ宮さんと同じ理由だね」

「……」

「僕が今、誰が好きで誰を選ぶのか、それは僕自身もわからないし、僕自身が僕自身をわかっていないこの状況で誰かを好きなったとしても、胸を張って〝好きなひとが出来た〟なんて言えない。多分、それは天野さんもそうだと思う。……ついでに、佐竹もね。月ノ宮さんがどうしてそんなに追い込まれているのか、その真意は僕にはわからないけど、如何ともし難い理由があるんだと推察は出来る──だから」

 だから、何だろう……。

 続ける言葉を考えるも、浮かんだ言葉が適しているのか。

 それでも、ここまで言ってしまった以上は呑み込む事は出来なかった。

「だから、これからも僕は月ノ宮さんの友達として、そして、格下の恋敵として付き合っていきたいんだけど……どうだろうか?」

「どうも何も、そこまで言われてしまったら拒絶も出来ないではありませんか……。本当に、優志さんは狡いですね」

「月ノ宮さんには敵わないよ」

「そういう所が狡いんです。でも、案外心地いいかも知れません」

 殺伐とした空気が月ノ宮さんの微笑みと共に緩和されていく。

 豆腐の移動販売車が、名前も知らないような演歌っぽいBGMを奏でながら進むのを、月ノ宮さんは珍しそうに眺めていた。

「あのお豆腐屋さんのお豆腐は美味しいんですか?」

「専門店だから美味しいんじゃないかな? 近所では評判いいらしいよ」

 実際に食べた事もない豆腐屋の評判なんて誰も信じられないだろう。でも、よく近所の家の前に止まって豆腐のやり取りをしているのを視掛けるので、おそらくは美味しいのだろう。

「曖昧な答えですね」

 それは豆腐屋の評判を指した言葉だろうか? それも曖昧だ。

 だから僕は、然として曖昧に答える。

それも・・・、そうだね」

 曖昧模糊な話は、最初からだ。

 何も解決していないし、始まってすらいない。

 だからこそ、始めるべきなんだろう。

 僕も、月ノ宮さんも、それを・・・始めるしかないのだ。

 だから僕は今日という日を『いい散歩日和だった』と、俚耳りじり易い言葉で締め括る。

 そううそぶけば、曖昧な話にも理路は整然とするだろう、なんて思いながら──。



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