【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
六十四時限目 月ノ宮楓は単刀直入に切り出す ①
東京の端から電車を四つ乗り継いで、東梅ノ原駅に到着した。片道およそ一時間半強の道のりに、片手は吊革、もう片方の手で携帯端末を操作して暇を潰すだけ。それも、五駅くらい過ぎれば飽きてしまう。
見慣れない街並みを車内から傍観するのは嫌いじゃないが、傍観するよりも散策するほうが好きだ。知らない土地は不安もあるが、それ以上にわくわくする。
東梅ノ原駅から出て、ロータリーを直進。最初にある路地裏への道を進んだ先には、懐かしさを感じる風景が広がった。頭ひとつ抜けた百貨店を目印にして進むと、個人経営の居酒屋が見えてくる。
店先に暖簾がかかるのは、もう少し時間が遅くなってからだろう。
雑居ビルと雑居ビルの間に挟まれた喫茶店〈ダンデライオン〉は、夏休みでも変わりない営業をしているはずだ。
常連客しかいない店内に広がるのは、香ばしい珈琲の匂いと、ダンデライオンのマスターである照史さんが選んだ音楽。店内照明が絞ってあるのは落ち着いた空間を演出するためだと、以前、優志が自慢するように語っていた。
高校生という分際ではありながらも、「小洒落た喫茶店の常連だ」と胸を張って言えるのは気分がいい。〈常連〉という言葉の響きも、感情に訴えかけるなにかがあるし、マスターと気軽に雑談できる関係にあるってのもポイント高い。
ダンデライオンの外観は、店内が一望できるように、道沿いの壁部分がガラス窓になっている。
だが、両隣にある雑居ビルが日差しを遮断するので、店内に入る日差しは頼りないものだ。
外から店内を窺うと、いつもの席で楓がアイスコーヒーを飲みながら読書をしていた。
「小難しい本を読んでそうだなあ、ガチで」
言葉にはせず、口の中だけに留める。
楓は滅多に一般書籍を読まない。
いや、実際は読んでいるんだろうけど、俺は、楓が一般的な〈小説〉と呼ばれる媒体を両手で持ち、斜め四十五度くらいの角度を保ちながら読む姿を、見たことがなかった。
楓の部屋には、何度か足を運んだ。
でも、やましいことはしていない。
会って、お茶とお菓子と昼食をご馳走になって、駄弁って、終わり。
そのときの記憶の中にある、楓の部屋の本棚には、参考書やビジネス関係の本が八割方を占めていた。大手企業の社長が書いた経営理念の本や、ヴァージン・レコード社長の自伝なんてのもあった。
一応、一般的に知られている小説や漫画の類いもあったが、本棚の隅っこに押し込められて、肩身が狭そうだった。
楓がいま読んでいる本も、どうせそういった硬っ苦しい本に決まってる。
カフェでパソコンのキーボードをカタカタ叩いて『自分仕事してます』アピールするヤツらと重なり、溜息を吐きたくなった。
意識高い系女子、月ノ宮楓。
改めてそう括ってみると、絶対に関わらない存在だと感じた。
* * *
ダンデライオンのドアを開けば、からりんとドアベルが鳴り、振り子を揺らす大きな古時計が出迎える。いまも動いているこの時計は、おじいさんのとけひい〜、ではない。
そういえば、この古時計について照史さんに訊ねたことはなかった。忘れなければ、いつか訊いてみよう。
カウンター席には老齢の男性がレジ付近の席に座っていた。
この人はよく見かける。
多分、俺たちよりも古株。
高齢ではありながらも、身なりはしっかり整えているご老人は、黒いラガーシャツに白のジーンズを着用し、靴は黒光する革靴を履いている。椅子の背凭れの突起部分には、茶色に黒のチェック柄が入ったハンチングが引っ掛けてあった。いい歳の取り方をした爺さん。そんな雰囲気が背中から伝わってくる。
ぷかあと煙草を吸う姿も一丁前だ。
俺も歳をとったら、この爺さんみたいになりたい……煙草は、控えたほうがいいと思うけどな。
心の中で「長生きしろよ」と思いながら、店内奥へと進んだ。
「いらっしゃい」
洗い終わったカップを布巾で拭きながら爽やかな笑顔で言うのは、この店のオーナーであり、楓の兄貴でもある月ノ宮照史。
俺たちは〈照史さん〉って呼んでいるけど、姉貴は冗談混じりに〈照史君〉とも呼んだりする。
姉貴と照史さんは、軽い冗談を言い合えるくらい長い付き合いのようだ。
白いシャツに黒エプロンという普段通りの姿は脳裏に焼き付いていて、照史さんを思い出すと、大抵はこの姿が浮かぶ。
エプロンのポケットには、三本のペンが差してある。黒と赤と、もう一本はシャーペン。
ノックの先端に消しゴムがついていたが、消しゴムを使用した形跡は見当たらなかった。
わかる。
どうもシャーペンについてる消しゴムって、消しゴムというよりもただのゴムだもんな。
「どうもっス」
会釈程度に頭を下げた。
「ご注文は?」
照史さんは拭き終わったコップを定位置に戻し、エプロンのポケットからボールペンとオーダー表を取り出した。
「アイスココア、つゆだくで」
「つゆだく……善処するよ。席はいつもの席でいいかな?」
無言で頷くと、照史さんも頷き返した。
「座って待っててね」
俺がダンデライオンに到着したことは、照史さんとの会話を通して楓の耳に入ったはずだ。然し、楓は然として本に目を通し続けている。鬼のような集中力……集中力の塊。
どちらにしても〈鬼〉という漢字が入るので、楓は実質『鬼』かもしれない。
クラスで内で一位、二位を争う美少女ではあるが、恋莉の性格に難がなければ、恋莉に分があると思う。
恋莉にあって楓にないモノが勝敗を決する、と言っても過言じゃない。山と川、どっちが好きかってのは、人それぞれだけどな。
なんとなく、足音を殺しながら楓に近づいた。
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