【完結】女装男子のインビジブルな恋愛事情。
五〇時限目 その声は風に溶ける[前]
玄関先にある駐車スペースの隅っこに駐めた自転車には、銀色の雨避けカバーが掛けてある。中学校の通学に使っていたシティーサイクルで、変速機が付いていない。自宅からそれほど離れた場所になかったこと。価格が安かったこと。それだけの理由で購入したが、高校に入学して、片道数一〇キロ走るとなれば、変速機は必要不可欠だ。
どうしても変速ギアの付いた自転車が欲しい、と父さんにお願いして新調した自転車は六段変速が可能で、中学時代に乗っていたシティーサイクルが霞むほどだった。
使わない自転車は場所を取るだけで、早急に処分するべき。だが、どうしても廃棄できない。廃品回収車に持っていってもらえばいいだけの話でも、三年間を共に過ごした思い入れが相俟って処分を保留にしていた。
急ぐ旅でもないだろう。
そう思って、久し振りに旧車とご対面。少々錆びが根を張っているけど、走れないほどではなさそうだ。ストッパーをそのままにして跨り、ペダルを漕いで状態をたしかめる。重たいペダルに懐かしさを感じた。ただ、ギシギシ軋むのはいただけない。
靴箱の上に置いてある差し油〈ラッキーオイル〉を取りに戻り、ペダルを回転させながら注す。本当ならばしっかりと汚れを拭き取ってからオイルを注すべきだけど、炎天下の中、そこまでしていたら体力も尽きてしまう。自慢じゃないが、僕の体力はそれなりにない。中学生の頃よりは増えたであろうそれも、毛が生えた程度だ。
懐かしい感覚を踏み締めるようにペダルを回す。シャッター街のような町並みを走り抜けて、急斜面に差し掛かった。
僕の住む町は山を切り開いて作った場所にあり、どこへ向かうにしても長く険しい坂道が立ちふさがる。童謡〈とおりゃんせ〉にある『いきはよいよい帰りは怖い』を体言するかのような坂道を、両手のブレーキで減速させながら進んだ。生緩くて水分を過多に含んだ風は、体を冷やしてはくれない。嫌悪感と汗だけが雫になって、額から地面に落ちていった。
山を下り切ると、荒川水系の川にかかる橋が見えた。小学生だった頃に、この川で遊泳したり、魚釣りをした記憶が蘇る。あの頃の僕は純粋を絵に描いたような少年だったのに、随分と捻くれた性格になったものだ。人間は日々成長していくけれど、同時に衰退もしていく。僕は成長しているのだろうか。考えてみると、これは成長というよりも適応に近い。
かつて地球に君臨していた恐竜たちが、激変する気候に適応するべく変態したように、僕もまた変態したと言うべきだろう。まあ、趣味趣向も他人から見れば変態と呼ばれななくもないが。
橋を渡り終える頃には肺が悲鳴をあげていた。
ぜえぜえひいひい言いながら懸命にペダルを踏み、ようやっと目的地に到着。変えのシャツを持って来ればよかったと後悔しながら〈ファッションセンター島村〉の門戸を叩いた。
* * *
真新しい洋服の匂いは、なんと形容するべきだろうか。洗濯糊や洗剤ともまた違う匂いだ。店内スピーカーからはインストアレンジされたポップスが流れている。ドラッグストアやスーパーでも流れているものと同じで、USENにそういうチャンネルがあるのだろう。こんな間抜けアレンジのポップスを流すよりも、Youtubeに落ちているフリーEDMを流したほうが万倍マシだ。
だが、島村に限らず、ドラッグストアやスーパーは、どんな理屈かは不明だけれど、『これを流せ』と上層部から指示を受けて流しているのだろう。本当に、どんな理屈なんだか。
夫人靴、鞄、帽子、小物類が陳列されているコーナーの隣に、ブラなどの下着類が並ぶ。外周半分は下着をメインに展開しているようで、紳士服の『大きなサイズコーナー』を挟み、その隣に紳士用の靴下や下着が入ったワゴンがあった。
女性服はレジの前、店の中央に位置する場所にあり、水着もその中にあるようだ。見たいけど、この中を臆面もなく進んでいくのは勇気が必要である。ま、まあ……。一先ず女性用水着は後回しにして、紳士服売り場を目指した。
奥まで歩みを進めると、息を潜めるように影を落としているゲームコーナーがあった。二人乗り用のメリーゴーランド、じゃんけんマシーン、時代を感じる。世代に合わないコインゲームが三台並んだ奥に、どの年代に需要があるのかわからない、薄汚れたクマのぬいぐるみが景品になっているクレーンマシンがあった。
思わず、足を踏み入れる。
洋服に興味がない子どもたちへの救済処置として設置されたゲームコーナーで、僕も遊んだ記憶がある。特に好きだったのは社を模して作られた紅白ゲームだ。赤か白を選び、当たったらコインが貰える仕組み。このゲームには親切過ぎる機能がある。一度負けると社の襖が開き、狐面を被ったキャラが登場して、『次は白、ジャン!』と答えを教えてくれるのだ。隣に置かれたじゃんけんマシーンと比較しても、長く遊べるのは明白で、幼き僕は作業をするようにメダルを投入していた。
「まだ残ってたんだな」
ところどころ塗装が剥げて、剥げた場所が錆びて変色している。思い出補正って言葉はあまり好きではないが、少しばかり寂しい気持ちになった。
「もしかして……、鶴賀か?」
背後から呼ばれて振り返ると、そこにはかつてのクラスメイトと思しき男が立っていた。ピチピチの黒ティーシャツには『Cool』の文字がプリントされていて、その文字がギラギラと光っている。絶妙にダサいデザインだ。おそらく、人気アーティストグループとのタイアップ商品だろう。このデザインをした人気グループメンバーのだれかのセンスを疑ってしまう。
下はダメージジーンズで、俗に言う『オニイ系ファッション』というやつでまとめている。ツーブロックの髪を狐色に染めているのは夏休みだから、だろうか。細面のイケイケギャル男君の顔はどこかで見覚えがある。
自信に満ち溢れた長身痩躯のシルエットに、「あ」と声が漏れた。
「……柴犬?」
本名を柴田健という。通称〈柴犬〉で通っていて、中学時代に数ヶ月だけ同じグループに所属していた。とはいえ、取り分けて仲がよかったわけではない。クラスで色々あって決別してから疎遠になった知人の一人だ。
「おお、やっぱ鶴賀だ」
「うん、久しぶり」
「こんなところでなにしてんだ」
それはこっちの台詞だが、「別に」とだけ答える。まさか『女性用水着を見にきた』なんて言えるはずがないし、新しい水着を買いにきたって理由もあるけど、わざわざ伝えなくてもいいだろう。どうせ、世間話で二、三言葉を交わしたらさようならだ。
「もしかしてソレ遊んでたのか?」
じゃんけんマシーンを指しながら、柴犬が言う。
「懐かしいから見てただけ。そっちこそ、こんなところでなにしてるの?」
「この店は下着を買う店だろ?」
うわあ、わかってるおれかっけーアピールだ。
前々から『痛々しいヤツだ』とは思っていたけど、高校に入ってからそれに磨きをかけたようだ。こういう輩はホラー映画を見ても『ギャグだろ』、ハートフルなヒューマンドラマを見ても『ギャグだろ』しか言わない『ギャグだろ星人』である。そして、他人の感想に対して『ネタで言ってるんだよな?』ってクソリプを飛ばしがち。僕が最も嫌悪する人種のひとつだ。
ソイツらは自分がクソダサい行為をしていることに気がつかない。自分の行いが『かっこいい』と信じて疑わないからだ。胸元のCoolが泣いてるぜ、柴犬さんよお。
……そう思いつつも言葉にできない僕こそ、最高にダサい。
読んで頂きまして、誠にありがとうございます。もし差し支えなければ、感想などもよろしくお願いします。
これからも、当作品の応援をして頂けたら幸いです。(=ω=)ノ
by 瀬野 或
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